182 基本ダンジョン攻略技術者試験37
「……それでは、基本ダンジョン攻略技術者試験合格を祝して……」
「乾杯……」
今日は、試験を終えてから最初の金曜日。
会社の近くにある居酒屋『夢子の家』にて、ドラ子とカワセミはビールのジョッキを静かに鳴らした。
そう、静かにである。
別に周りが盛り上がっていないから気を使ってとか、そういうわけではない。
むしろ仕事が終わって待ち合わせをしていたドラ子達が入ったころには、店は大層盛り上がっている時間だった。
周りのテンションに比べて、いやにこの二人のテンションが低いだけである。
「ドラ子ちゃん……テンション低いね……」
「そういうカワセミ先輩のほうこそ……」
二人は、お互いに疲れた目を向け合ったあと、どちらからともなくじゃんけんを始める。
「勝った方からで」
「了解です」
そして特に駆け引きのないじゃんけんの結果、ドラ子の方からテンション低めの理由を語ることになった。
その頃にはポツポツと食べ物も届き始めているので、枝豆をムシャムシャ貪りながらドラ子は言う。
「私たち、頑張って試験合格したじゃないですか」
「うん」
「それなのに、メガネ先輩が私の知識に不安があるからって言って」
「うんうん」
「来年改めて基本ダンジョン技術者試験を受けろって言うんですよ! 上級資格取ったのに! 改めて!」
「あー」
言葉とともに、ぐいっとビールを呷るドラ子。
それに対するカワセミは、そうなるかーと言った納得半分の苦笑いを浮かべていた。
「一応、資格を持っていると見なした場合の給料はちゃんと出るらしいんで、減棒ってことはないんですけど」
「それは、良かったね?」
「でも、攻略技術者取った分の増額とかもないんです」
「多分、そもそも規定もないしね」
そう。
攻略技術者は難関資格ではあるが、別にそれがないと仕事ができない、といった類の資格ではない。少なくとも、この会社では。
だから、持っているとすごいねと一目置かれはするし、それとなく上司の覚えがめでたくなったりもするが、別に持っているから給料増額とかそういうのはない。
ドラ子的には、骨折り損のくたびれ儲け──とまでは言わないが、骨を折った割に手に入ったのが一年の猶予だけと思うと、やり切れないものがあった。
「何より、また勉強したくない!」
「ドラ子ちゃん……業務に必要なものだから、勉強はしようね?」
「うわああああああ」
そしてドラ子の最後の本心に対しては、カワセミもにっこり笑顔ながら残酷に突き放さざるを得なかった。
だって、技術者の方の知識は、ダンジョン関連の仕事で必要不可欠だから。
取れる能力はあるのだから、あとはもう、頑張ってと言うしか無い。
まぁ、そのこと自体はドラ子としても、不本意ではあるが理解はできるので、飲み込んだことだ。
だが、今日の彼女のテンションを下げているのは、それだけではなかった。
「それにプラスして、まだあるんですよ」
「うん?」
「今日って、試験明け最初の金曜日じゃないですか」
当たり前に尋ねられたことに、カワセミも困惑しながら頷く。
そもそも、今日を指定してきたのはドラ子の方である。数日前に彼女から金曜日に空いていないかと連絡を貰い、当たり前のように入っていた攻略サポート部の飲み会は、大手を振って辞退してきたのだから。
そんな金曜日がいったいなんなのかを、ドラ子は言った。
「実は今日、新人歓迎会の予定だったんですよ」
「……??? えっと、何回目の、って話?」
「あ、先輩はうちの事情を知りませんでしたね」
そして、ドラ子はカワセミに、自分たち保守サポート部の新人歓迎会が未だに行われていないこと、そして、伸び伸びになっていた会が本日開かれる予定であったことを伝えた。
話を聞いたカワセミは、ドラ子以上に頭を抱えた。
「えー、ゴブリン君、それはないよ」
「やっぱり他の部署から見ても無いですか」
「攻略サポート部だったら入社して一月で四回は新歓やってるもの」
「それはそれでどうかと」
飲み会に対する意識の違いを肌に感じる二人であった。
それはそれとして、ドラ子は話の合間にようやく届いた唐揚げをつまみながら、いったい何があったのかを説明する。
「なんかですねー、ゴブリン先輩、仮予約の状態で予約完了だと思っていたらしくてですねー、三日前くらいに自動でキャンセルされたって連絡が来て事態に気付いたらしんですよねー、で案の定、新歓なくなりまして」
「…………そんなことある?」
「あったんだから仕方ないですよね」
流れとしては、ゴブリン君が仮予約を済ませた豪華な海鮮居酒屋は、人数などが確定したら本予約の連絡を、少なくとも三日前までにすませる必要があったのである。
当然、キャンセルのメールに気付いたゴブリン君は、慌てて本予約を取ろうとするも時既に遅く、店の席は埋まってしまっていた。
そこから慌てて代替の店を探そうとするも、どこぞの誰がやっているかも定かではない怪しげな店くらいしか見つからない。
それでも『土壇場でやっぱり店を変更しました』と強引に押し進めようとしたところで、不審に思ったハイパーイケメン蝙蝠に詰問され、事件は発覚したのだ。
ここまでくると、流石の蝙蝠さんも怒りを通り越して感心していた。「そんなに新人歓迎会で失敗を重ねられる人、他に居ないよ?」と。
というわけで、割と海鮮の口になっていたドラ子は、三日前にいきなりお預けを食らわされて、その勢いのまま、打ち上げをする約束になっていたカワセミを誘ったのである。
「なんかあれです。私ら本当に、これっぽっちも歓迎されてないんだなと、思い知らされると言いますか」
「そ、そんなことないと思うけど……」
擁護しようにも、実際の保守サポート部を見た訳では無いカワセミは、力無い励ましを送るので精一杯であった。
「とまぁ、私のことはもう大丈夫です! ゴブリン先輩に何かを期待するというのは、この世界で最も愚かな行為の一つだってことくらい、分かってますから」
「ゴブリン君の評価がストップ安に」
「たぶん白騎士ちゃんの方が、ゴブリン先輩の倍はスムーズに新人歓迎会開けますよ」
「それはそう」
少なくとも、このままゴブリン君に幹事を任せるくらいなら、いっそ白騎士に幹事を投げた方がよほどスムーズに話が進むのは目に見えていた。
本来歓迎されるべき新人に、歓迎会の幹事を任せるという所業に目を瞑ればだが。
「というわけで、今日は流石の私もちょっとセンチメンタルな気分だったのですが、そんなもの、美人の先輩との飲みとあっては吹き飛びます!」
と、ここまで散々愚痴を零しつつも、ドラ子はやや強引に結んだ。
実際、新人歓迎会という名のタダ酒タダ飯が流れたのは残念だが、それはもう済んだ事だ。どうせ次がある。
考えようによっては、歓迎会ということでゴーレム部長の隣に配置される──ような状況を避けられたと考えればプラスとも言える。
「まぁ、ドラ子ちゃんが良いならそれで良いけど」
一方の、面と向かって美人と伝えられたカワセミは、照れ笑いを浮かべつつ、すぐにその表情に影を落とした。
ドラ子が吐き出したいものを持っていたように、彼女もまた、今は吐き出したい愚痴を抱えているのだ。
「それじゃ次は私の番だけど」
「あ、ちょっと待って下さい」
そして、選手交替とばかりに話し始めようとしたカワセミにドラ子は待ったをかける。
ちらり、と己のデバイスに届いているメッセージを確認すると、カワセミに言う。
「もうすぐ着くそうなので、折角なら待ってから話しましょう」
「待ってドラ子ちゃん。来るって誰が?」
「ふっふっふ」
カワセミが、ドラ子が企んでいる何らかのサプライズに戦々恐々とするも、ドラ子は不敵に笑うだけだ。
この状況で、今回の試験に関わりのある人が来るとすれば?
「まさか、骨無しペンギンさんを?」
「それだけはないですから!」
確かに、ドラ子本人としては、今回のお世話になった度合い的に呼んでも、ギリギリおかしくない相手ではあった。
だが、ドラ子本人としては、普通に顔を合わせたくない人種だったので、この状況に呼ぶ事だけは絶対になかった。
「ヒントはお財布代わりになってくれる人です」
「想像以上にゲスいヒントが来ましたけど」
そして、その条件で考えても、役職持ちで更にいろいろと権限を抱えていそうなペンギンは当てはまりそうだが、本人に呼ぶ気がないのでノーカンである。
では、誰が来るのかと言えば、
「誰が財布だ」
「メガネ先輩!?」
そこには、今回の話に間接的に関わっているようないないようなである、メガネの青年が到着するのであった。
「先輩がなぜここに!?」
「なぜもなにも、そこの後輩に『せっかく試験合格したのに、お祝いも無しなんて酷いです!』とか脅されてな」
突然の先輩登場に混乱したカワセミは、ドラ子の顔をチラ見する。
ドラ子はサムズアップで頷いた。
そう、この場にメガネは呼んだのは実利半分趣味半分であった。
実利は言うまでもなく、先輩にたかろうという清く健やかな食い意地であったが、趣味としてはこの二人のことだ。
あわよくば、なんか色々進展したら面白いなと思った次第である。
「ささ、先輩、駆けつけ一杯ということで」
メガネが到着するとほぼ同時に、先程のメッセージを受け取ってから注文を飛ばしておいたビールも到着する。
メガネはドラ子から素直にジョッキを受け取り、少しだけの仏頂面で言った。
「それじゃ、二人の試験合格を祝して、改めて乾杯」
「乾杯!」
「か、乾杯」
スッと差し出されたジョッキに、ドラ子は盛大に、カワセミはかなり控えめに合わせた。
三人が、グビグビと喉を鳴らしたあと、メガネ先輩の登場は喜びつつ、やっぱりテンションの低いカワセミは、自嘲するように続けた。
「まぁ、祝ってくれたのは二人だけで、うちの部長は私を叱り飛ばしたんですけどね」
「どういうことなんです?」
自嘲を過ぎて、半分諦めの境地みたいになっているカワセミであった。




