168 基本ダンジョン攻略技術者試験25
「えー、まず。私達の持ち点なのですが」
「はい」
「一点です。誇張とかそういうの無しで、一点です。もう後がありません」
「……はい」
場所は戻って、再び試験会場の中にある冒険者ギルドのような場所。
反省会が始まって早々、カワセミから告げられたのは無慈悲な現状であった。
時刻は夕方に差し掛かろうかというところ。
試験終了の時間も迫り始めており、焦る気持ちも生まれる中でその点数は、絶望的と言っても過言ではなかった。
これが始まってすぐであれば、持ち点を回復するために最初から再チャレンジという選択肢も取れただろうが、今から攻略をやり直すのはとてもではないが現実的ではない。
つまり、ドラ子たちが合格するにはこの一点を最後まで守り切らなければいけない。
むしろ、こうして一点残ったというのが、奇跡的な幸運であった。
「まず、一から状況を整理しましょう」
反省、と称してカワセミは先程の最下層アタックを振り返る。
まずは、ドラ子とひよこ(仮)の再会と、そのぶつかり合いからである。
そもそもここで、ユニークドラゴンとして育てられたひよこと出会うのは想定外ではあったが、それ自体は決して悪い出来事ではなかったはずだった。
だが、ドラ子とひよこがナチュラルに殴り合いの喧嘩を始めたところで、事態はあっという間に急変した。
「とりあえず、ドラ子ちゃんはそのデフォルトの状態では、ドラゴンちゃんには勝てそうにないのよね」
「……っす」
ドラ子は渋い表情ではあるが、自身の負けを認めた。
いくらドラ子がそんじょそこらのドラゴンより強力だといっても、流石に、バフとデバフを合わせて相手に30倍の強化を施されたとあっては、分が悪かった。
メンチの切り合いから即移行した殴り合いは、技術ではドラ子が上回るものの、地力の差が現れて、戦況はひよこ有利へと傾いて行った。
そもそも体格的にも相手のほうが頗る巨大であったし、その状態で曲がりなりにも殴り合いを成立させていた時点でおかしいのである。
そんなドラ子マジックをもってしても、純粋なフィジカルの差はいかんともしがたかった。
あと、いつの間にかひよこを応援するためにわらわらと集って来たギャラリーのドラゴン達に、完全にアウェーの雰囲気を作られたのも問題の一つだったかもしれない。
「そして、その状況も『第二形態』を解放すればひっくり返せそうだった、と」
「そうです。ひよこ如きに見せるのは業腹ですが、負けるよりはマシだと」
だが、いくらひよこがダンジョンそのものを味方に付けようとも、腐ってもドラ子は、この世界に根を下ろしたエリートドラゴンの家系であった。
ドラ子には第二形態がある。
というより、この人間形態が社会に溶け込むために、意図的にリミッターをかけた状態だと言えるだろう。
第二形態ともなれば、普段は人間であるために抑え込んでいる龍の形質が噴き出し、全ての基礎能力を二倍以上に跳ね上げる。
通常形態では劣勢であった殴り合いも、第二形態を解放すればひっくり返る。
実際に、ドラ子渾身の右ストレートが突き刺さったひよこは、完全にたたらを踏んで怯んでいた。
そこで、ドラ子は行けると判断したが、ドクターストップをかけたのはカワセミだった。
「でも、ドラ子ちゃんが第二形態を解放した瞬間、持ち点がゴリゴリ削れ出したのよね」
「……っす」
そうなのであった。
ドラ子が攻勢に出て躾けを完了させようとした僅かの間に、これまで温存していた試験の持ち点が、驚くべき速度で減って行った。
それに悲鳴を上げたのはカワセミであり、そのカワセミの悲鳴を聞いて、ドラ子はひよこに止めをさすのを中止して駆けつけた。
そのまま、強引にその決戦から離脱して、一度この試験会場に戻って来たのである。
そして現状を共有するための、この反省会である。
「まず、私の仮説になるけど、ドラ子ちゃんのステータスは、このダンジョンの許容限界を越えていたんだと思う」
「きょようげんかい」
聞き慣れない単語だった。
というかダンジョンにそんなものが存在するのか。
「恐らくだけど、それはこの試験の持ち点の制度から生まれた概念なの」
「ふむふむ」
「というのも、私達攻略冒険者の本来の目的は『ダンジョンマスターに気付かれずに、ダンジョンコアのある中心部に向かい、コアを無力化すること』だったわよね?」
「うっすらと、そんな設定だった記憶があります」
ドラ子はややぼんやりとした記憶を掘り返した。
たしか、基本的に今回の試験の趣旨はそういうことだ。
受験者の目的は、攻略不能ダンジョンを最小限の改変で切り抜け、ダンジョンマスターに気付かれることなく、ダンジョンを攻略すること。
なぜ気付かれてはいけないのかといえば、それはダンジョンの攻略の目的が、ダンジョンを無力化することだから。
小さな改変の方が持ち点の現象が少ないのは、小さな改変であればあるほど、ダンジョンマスターに気付かれる危険性が低いから。
受験者に求められるのは、普通のダンジョン攻略者の振りをして、敵対的なダンジョンマスターに最後まで気付かれず、その毒を中心部まで届けられる能力だ。
ダンジョンにとって不利な改変であればあるほど、それはダンジョンマスターにとっての違和感となる。
大掛かりな改変であればあるほど、その違和感が形になる。
その積み重ねで、ダンジョンマスターに自分たちが侵略者なのだと気付かれてしまえば、もう二度と中心部まで辿り着くチャンスはやってこないだろう。
だから、この持ち点──敵対的なダンジョンマスターが自分たちに気付くまでの擬似的な『リミット』は、この試験ではとにかく重要な要素なのだ。
そして、そういった性質があるからこそ、カワセミはドラ子の第二形態で持ち点が削られていった理由に仮説を立てる。
「多分だけど、今回の強さの天井はあのひよこちゃんなの。そして、それより強い存在は、ダンジョン管理術式に徹底的にマークされる」
「なるほど?」
そして、一通りの説明を聞いても、いまいちピンと来ていなさそうなドラ子に、カワセミは優しく言った。
「自分の最強の手駒より弱い相手は、結局最後は自分の手駒に負けるんだから、そこまで警戒する必要は無い。でも自分の最強の手駒より強い相手がいたら『これはやばい』ってなるでしょ?」
「なるほどです!」
つまりそういうことであった。
ドラ子の第二形態は、この試験では『強過ぎる』のだ。
デバフをかけられてもなお、ユニーク級のドラゴンを圧倒する戦闘力は、そんじょそこらの術式改変を上回る『異変』として、ダンジョンに検知されるということだ。
むしろ今までドラ子が素で戦えていたのは、ひよこの存在があったから、という可能性まである。
そうでなければ、警戒されない程度に自信に弱体化を施す必要があったかもしれないのだ。
「もし、ドラ子ちゃんに第二形態の戦闘力を保ったまま、ダンジョン管理術式には大した事のない戦闘力だと誤認させる偽装能力があれば、話はまた変わってくるんだけど」
「流石にそんな能力は持ってないですね……」
「となると、もう第二形態は出せないわね」
ドラ子の頭の中には、そんな能力をなんなく使いこなしそうな先輩の姿が約一名浮かんでいたが、それを述べたところでなんの進展も無い。
分かるのは、試験合格のためには第二形態は使用できないこと、そしてその状況でどうにかしてひよこをやりすごさなければいけないこと。
そして、自分たちの持ち点はすでに1点であり、やりすごすために術式を改変する事すら満足には行えないこと。
「……控えめに言って詰んでません?」
「限りなく詰みに近い何かね。単純な罠を設置することだって、もう怪しいレベル」
並べてみると、ポジティブな要素がほとんどなかった。
正面から戦っても勝てず、かといって搦め手を使うにはポイントが足りない。
事実上、攻略不可能と思われた。
「でも、まだ詰みじゃない」
それでも、カワセミの顔はダンジョン攻略を諦めてはいなかった。
一見すればどうあがいても詰みの状況だが、そうではないという確信があった。
「この最下層のコンセプトは、おそらく『倒せない敵』だと思うの」
この試験では、階層ごとに攻略不能ダンジョンらしきポイントがある。
それは悪辣な初見殺しだったり、通る手段が不明な通路だったり、強制的なパーティ分裂だったり、正攻法で攻略した際の冗談みたいな物量だったり。
普通にダンジョンを攻略しようにも、そうはさせぬという仕掛けがダンジョンには仕組まれている。
それが最下層であれば、おそらくはあのひよこ(仮)だ。
普通に戦うには強過ぎるし、無理やり倒そうと強化すれば容赦なく持ち点を減らされる。
だから、ダンジョンのコンセプトとしての『倒せない敵』である。
今思えば、第一階層に『徘徊型ボス』を配置したのも、この最下層に対するヒントだったのかもしれない。
あのボスは『倒せた』が、正解は『倒すこと』ではなかったように。
「だから、あのドラゴンちゃんを『倒さない』で進む為の何かが、必ず想定されていると思ったの」
言いつつ、カワセミはドラ子とひよこが戦っていた間にずっと取得していた最下層のマップデータを表示する。
本来であれば、ダンジョンのマップデータなど、そこら中歩き回ったり、時には自分で罠にはまったりしながら手に入れるものだろう。
だが、そこはダンジョン技術者だ。その場にいながらダンジョンの術式からデータを引っ張ってくる、くらいのことが出来なければ話にならない。
そうして引っ張って来たデータに、怪しい要素は『二つ』あった。
「まず一点。あの最下層ね、至る所に魔力場の乱れ──つまり、ランダムテレポートの罠が仕込んであるの」
「つまり?」
「その場所を把握さえしていれば、緊急離脱はできるようになっている」
それが運営の想定した攻略法の一つだろう。
要するに『倒せない敵からは逃げろ』ということだ。
この方法は、敵に見つかったら追いつかれる前に飛び込む『判断の早さ』と、ランダムテレポート故にどこに飛ぶか分からない中でゴールに近づく『運の良さ』の二つの要素が要求される。
そして、飛ばされる位置がランダムなので、下手をすれば一日中かかってもゴールに辿り着けない可能性や、逃げたつもりで全然逃げられない位置に飛ばされる危険性も孕んだ諸刃の剣となる。
だが、その二つを承知の上でも、戦って全滅するよりはマシといったところ。
というわけなのだが、この攻略法を使うには、一つ大きな問題がある。
「ただ、ドラ子ちゃん、今ランダムテレポートに素直に飛ばされることできる?」
「た、多分できる、とは思いますが……」
「そうよね……」
それはドラ子が転移耐性を獲得してしまったことである。
本来であれば耐性はあくまで耐性で、強制的な無効化ではない。
慣れてくれば自分の意志で、素直に転移を受け入れることもできるだろう。
だが、ドラ子がそれを取得したのは昨日のこと。
咄嗟の転移で、無意識に拒否してしまったとしたら、カワセミとはいとも容易く離れ離れになってしまう。
逆にそれを避ける為に手を繋いで転移するにしても、ドラ子がうっかり拒否してしまったらドラゴンに追いつかれて全滅だ。
あくまで可能性の話ではあるが、それは明確なリスクだった。
「今からあの転移床ゾーンに戻って、転移の練習をすることもできるけど……」
「じ、時間がもう」
「そうなのよね……」
さりとて、今から第二階層に戻って、転移の感覚に慣らすには、時間がかかり過ぎる。
実際にこのランダム転移作戦を行うなら、リスクを飲み込んでぶっつけ本番しかあるまい。
「だからこそ、このもう一つの『怪しさ満点』の情報を確認しなくちゃね」
その正攻法(?)に特殊なリスクがあるからこそ、カワセミはもう一つの情報に手を伸ばす。
それは、マップデータを取得したときではなく、ひよこドラゴンのデータを取得した際におまけで付いてきた『メッセージデータ』だった。
あからさまに『このドラゴンについての情報ですよ』という体で手に入ったメッセージだけに、何か有益な情報が入っていそうではあった。
あったのだが、カワセミはそこに『嫌な予感』を覚えて、すぐに開く事はしていなかった。
「でも、流石に無視するのも忍びないしね」
ただ、メッセージの存在自体はドラ子と共有してしまったし、嫌な予感がするからという理由で開けないのも違う。
うだうだと迷っている時間がないのも確かだ。
カワセミとドラ子は頷き合って、そのメッセージデータを開く。
『…………誰かがこのデータを開いたということは、恐らく私の生み出したドラゴンと出会ったという──ブチッ』
そして、その映像メッセージが流れ出したところで、カワセミとドラ子は反射的に映像を切った。
二人で、顔を見合わせ、頷き合う。
「ペンギンさんでしたね……」
「ペンギンさんでした……」
そのメッセージデータは、明らかに骨無しペンギンと思われる女性の独白からスタートしようとしていた。
二人は、本当にこのメッセージを聞くべきか、時間がないのに深く悩んだのであった。
罠かな?




