164 基本ダンジョン攻略技術者試験21
第七階層のボス──というには些か物足りなかったが──を倒したあと、ドラ子はカワセミを起こした。
予めカワセミに渡されていた眠気飛ばしを口に含ませると、カワセミは今まで見た事のない渋い顔で『苦っ』と叫んで飛び起きた。
そして、起きた瞬間、地面に倒れている自分の姿を見て、あーっ、と何とも言えない顔になる。
「とりあえずお疲れさまドラ子ちゃん。一応ここはボス部屋ってことで良いのかな」
「その筈です」
目の前の、次の階層へ向かう為の旅立ちの扉が偽物でなければ、その筈だ。
一応、惑わし系の階層なのでその可能性は考えたが、カワセミから預かっていた情報と照らし合わせる限りは、ここが階層の終点のはずである。
「それじゃ、今日はもう遅いし、ここまでにしましょうか」
カワセミもデバイスで軽く扉の調査を行った後に、笑顔で言った。
ついでに、その笑顔はドラ子がドッペルゲンガーに色々質問したときに浮かべていたそれと同じに見えた。ちょっと怖かった。
「ここまでにするのは良いとして、この後どうするんです?」
「会場に戻って一晩休んで、また明日の朝からアタックをするつもり」
カワセミはドラ子と計画を改めて共有する。
目算としては、現時点で第七階層まで進めているのは僥倖と言えるだろう。
残る階層は二つ。
情報のない最終階層は明日の午後一杯を使うとしても、午前一杯をもう一つの階層に割り振れるというのは、かなり余裕のあるスケジュールだ。
「それはそうとして先輩。一つ聞きたいんですけど」
「なあに?」
「私、お泊りセット的なの何一つ持って来てないです」
「ああ……」
今後の予定も分かったし、ダンジョンで特に気になることはないドラ子であったが、ダンジョン以外のことであれば気になることがあった。
普通に試験内容を知らず、日帰りのつもりであったドラ子は、泊まるためのアイテムを何も持って来ていない。
というか、僅かなお金と筆記用具とデバイスくらいしか持っていない。
「それは大丈夫、かな。ダンジョンに泊まるつもりのガチ勢でもなければ宿泊セットは持って来てないと思うし、売店に売ってると思う。それに、運営からも最低限の──毛布くらい借りられるはず」
「毛布ですかぁ」
毛布と聞いて微妙にドラ子のテンションは下がった。
何も無いよりはマシだが、お家のオフトゥンで寝る予定が相当ランクダウンしたのは間違いなかった。
着替えも無いし、風呂も無い、良く調べなかったのは自分だが、テンションは下がる。
「あと、今日普通に帰ってご飯食べるつもりだったので、炊飯器をタイマーでセットして来ちゃったんですけど」
「……うん、諦めて」
「炊きたてご飯がぁ」
もはや娯楽のために日々を生きているドラゴンにとって、その二つを取り上げられたのは大きなダメージとなるのだった。
「てめぇごらぁ!」
「なんだおらぁ!」
気を取り直して一度試験会場に戻り、そのまま夕食を済ませる為に集会場的な場所に向かうと、丁度その中心で男二人が殴り合いをしていた。
その光景に目を丸くするカワセミとドラ子であったが、カワセミは即座に近くに居た人間を捕まえて状況を尋ねる。
「どうしたんですか、彼ら」
「ああ、今回の第七階層で壮絶に殺し合って持ち点を失くしたみてえでな。お互いに責任をなすり付け合ってる──というのが表向きの理由みたいだな」
「表向きの」
カワセミとドラ子の二人は順調に進んではいるが、別にトップでダンジョンを攻略しているわけではない。
それは単純に、二人パーティ故の処理能力の低さに起因する。
早い段階で情報を仕入れたおかげで持ち点の減少こそは控えめであるが、その分慎重な攻略になっているのは否めない。
であればこそ、自分たちと同じくらいかそれ以上に進んでいる受験者も当然居るし、もしかしたら試験合格に王手をかけているパーティや、既に合格を決めているパーティだっているかもしれない。
だから、自分たちが第七階層の『背刃の牢獄(仮)』を抜けたのと同じように、そこに突入して失敗したパーティが居ても、おかしくはない。
そして、その原因が殺し合いであったならば、その責任をなすり付け合っての殴り合いが発生しても、おかしくはない。
ないのだが。
「ユリちゃんは俺のことが好きなんだよ!」
「ふざけんな! ユリちゃんは俺のプレゼントを嬉しそうに受け取ってたぞ!」
喧嘩の原因は、どう見ても痴情のもつれであった。
まるで一個前の『夢魔の分かれ道(仮)』から魅了の状態異常でも貰ったみたいな、どこかボケた頭で殴り合っている。
ついでにそのパーティの女一人が、男二人を心配そうに見つめながら、別に止める気配も見せず、そのくせ『私の為に争わないで!』みたいな顔をしていた。
その暫定ユリちゃんを、暫定もう一人のパーティメンバーの女性がドン引きした顔で見ていた。
「ドッペルゲンガーに、ああまでしてやられるパーティも珍しいがなぁ」
「あ、ドッペルゲンガーの仕業だってバレてるんですね」
「まぁな。ドッペルゲンガーが試験に居る年は、大抵こういうバカ騒ぎが起こるらしい」
まぁ、見るからにバカ騒ぎである。
殴り合っている二人は真剣なのかもしれないが、周りはどう見ても見世物を見る目だ。
というか、中心から少し離れた所に居る見知ったスキンヘッドは、その様子を眺めながら実に美味しそうに酒を呷っている。性格が悪い。
それはそれとして、ドラ子も実に一杯やりたい気分になった。
「ダメよドラ子ちゃん」
「ま、まだ何も言ってないです」
そしてドラ子が何かを言う前に、カワセミはドラ子に釘を刺した。
なお、その殴りあいは両方がフラフラになったのを見計らったタイミングで、ドン引きしていた女性が喧嘩両成敗して収めていた。
ユリちゃんもついでに一発良いのを貰っていた。
「え? ドッペルゲンガーって、化けた相手の秘密を知っているわけじゃないんですか?」
夕食に頼んだジャガイモとベーコンのゴロゴロ炒めを頬張りながら、ドラ子は素っ頓狂な声を上げた。
やや大袈裟なリアクションを取るドラ子を見て、カワセミは苦笑いを浮かべる。
「やっぱり、ドラ子ちゃんは私のドッペルゲンガーと楽しくお喋りしていたみたいね」
「うっ、そ、それはぁ」
状況証拠的にも言い逃れの効かないドラ子であったが、質問が質問だっただけに積極的な肯定はし辛かった。
そんなドラ子にできたことは、視線をさっと逸らすことくらいである。
「……とりあえず、ドッペルゲンガーの話したことは全部デタラメだと思っておいたほうが良いの」
「……半分くらいは本当のことを喋るんじゃないんですか?」
うっかり聞き返してしまったドラ子に、カワセミは『やっぱり喋ってたんじゃない』と言いたげな視線を向けるも、追及は控えた。
代わりに、ドッペルゲンガーの秘密を述べる。
「半分くらいは本当のことを喋るというのもあながち間違いじゃないんだけど、それは別にドッペルゲンガーが心の中を見ているからってわけじゃないのよ」
「???」
でも、ドッペルゲンガーは私の知らないことを喋っていたぞ、と思うドラ子に、カワセミは説明する。
「ドッペルゲンガーの本質は、化けた本人を騙すんじゃなくて、その仲間を騙すこと。であれば、どういう反応を取るのが一番騙されやすいと思う?」
「ええと、わかりません」
「簡単に言うと、ドラ子ちゃんの前に私のドッペルゲンガーが現れたとしたら、そのドッペルゲンガーは『ドラ子ちゃんが答えて欲しい答えを返す』のよ」
「ほ?」
これは、意外と知られていないドッペルゲンガーの生態であるが。
ドッペルゲンガーは心を読んで人になりきる生き物ではあるが、深層心理までを読み解くほどの能力はない。
ではどうやって、他人に自分を本物だと信じさせるのかといえば、他人が求めている答えを、心を読んでそのまま返してやっているだけなのだという。
「ええとじゃあ、例えば私が仮に先輩のドッペルゲンガーに、込み入った質問をしたとすれば?」
「ドラ子ちゃんが『こう返って来たら面白いだろうなぁ』という答えが優先的に返ってくるというわけね」
「じゃあ、答えは全部デタラメってことですか!?」
「それがそうでもないからややこしいのよね」
ドッペルゲンガーは、大抵の質問には相手がこう返して欲しいという回答を読んでそのまま返す。
だが、化けた本人が絶対に言わないような言動までは取らない。
それこそ、半端ない女好きに対して『本当は男が好きなんだろう?』などと尋ねてみても、絶対に『男が好き』と言わないような女好きであればそこは否定する。
だから、ドッペルゲンガーは大抵の場合は質問者が気に入る回答を返すが、一定のライン以上では本当のことを言う。
そしてそもそも、質問者が気に入る回答が真実でないというわけでもない。それが真実の場合だって当然ある。
総合すれば、相手が真実を言っているのか、デタラメを言っているのかは、さっぱり分からないということだ。
それだけのことなのだが、それが巡り巡って『半分くらいは本当のこと、半分くらいはデタラメなことを言う』というイメージになったのである。
「じゃあどれが本当でどれがデタラメなのか、判別する方法とかは?」
「それすらも分からないから、ドッペルゲンガーの言葉は全部信じないほうが身のためなのよ」
「そんなぁ」
ドラ子は項垂れた。
カワセミが眠っている間に、ドラ子は結構なことを尋ねていた。
誰が好きとか、誰が嫌いとか、大抵は下世話な話題ではあったが、それはもう、ドラ子は楽しく話していた。
それが全て、ドラ子を楽しませるためのドッペルゲンガーの接待だったのだと知らされてしまっては、ドラ子の気分も落ち込むというもの。
だが一点、ドラ子は心にひっかかりを残す。
(私が期待していた?答えを返さなかった質問が一個だけ、あるんだよね)
ドッペルゲンガーの残した毒を今の内に取り去っておこうと、懇切丁寧に説明するカワセミを見ながら、ドラ子は目を細めた。
ドッペルゲンガーに、メガネ先輩のことを尋ねたとき。
ドッペルゲンガーは『神』と答えた。
これは、ドラ子の想像を越えて彼女を困惑させた。言って見れば、ドラ子が望んでいた答えではなかった。
つまり、ドッペルゲンガーとの会話の中で、これだけはカワセミが曲げることができなかった唯一絶対の真実──という可能性が浮上してきてしまった。
「カワセミ先輩」
「なぁに?」
「カワセミ先輩は、神を信じますか?」
「どういうこと?」
ドラ子の唐突な問いに、カワセミはきょとんとした。
いや、言われた通りに忘れた方がいいのだろう。
「いやうん、流石にないない」
「ドラ子ちゃん、大丈夫?」
カワセミ先輩から『神』と返って来たとしても、それはそれで自分は楽しんでいた。
今は、それで良いじゃないか。
ドッペルゲンガーくんの天職はバーテンダーだと思うんですよね
そしてすみません、やはり次の更新も一週間空きそうです。
ダブルコロナはやめて




