153 基本ダンジョン攻略技術者試験10
それから軽くダンジョン内での行動の擦り合わせを行っていると、やがて、試験開始の時間となる。
時間になる直前、ドラ子達の部屋に試験用のデバイスが届けられた。これが持ち点の管理や術式の読み込みなどを自動で行ってくれるというわけだ。
カワセミはドラ子の許可も取って、このデバイスで利用できる言語のうち、Solomonにも使われている慣れた術式言語を選択する。
これで、ダンジョン内での術式の読み取りや書き換えの準備は整った。
カスタマイズもそこそこに、カワセミは時間を確認したのち、ドラ子を見やった。
「それじゃ行きましょう」
「はい!」
それから二人は隊列を組んで慎重に、ダンジョンの入口──光の渦巻きのようなもの──に足を向ける。
二人行動に隊列と言える程のものはないが、ドラ子が前、カワセミが後ろだ。
今回の入口は、ダンジョン内の様子が見えるタイプではなかったので、飛び込んでから即座に状況を把握する必要がある。
二人が渦巻きの中まで入ると、自分たちが入って来た入口が消え、軽い浮遊感のあとに反対に出口が現れる。
月明かりに照らされた土の地面と、立ち並ぶレトロな雰囲気の家が見えていた。
「ドラ子ちゃん。出口から出たら、周囲を警戒して」
「了解」
やがて、ドラ子はその足で土の地面を踏みしめ、カワセミは彼女の邪魔にならない程度の近さでその後に続く。
怖れず進みドラ子の背について、カワセミは思考を回す。
(最初は廃村型? いやまだ決まった訳じゃない。となると、注意しなければいけないのは大きく二つ。住民が存在しているのか否か。そしてダンジョンの攻略目的は何か)
草木までも寝静まったような、異様な静寂に包まれた村であった。
静かに鳴いている虫の声だけが、ここが死後の世界でないことを教えてくれる。
周囲を見渡しても、一様に真っ暗の家々に人が住んでいるのかは定かではない。
廃村型のダンジョンは、どちらかと言えばダンジョンとしてはマイナーな部類だろうか。
実際のファンタジー的な異世界であれば、別にダンジョンと言わずとも、やむを得ない理由で廃村になってしまった村はいくらでもある。
例えば自然災害、人口の過疎化、戦争、そしてモンスターの襲撃など。
様々な理由で村から人がいなくなることはあるし、住民がいなくなった村にモンスターが住み着くというのも、なくはない話だ。
その場合は、恐らくモンスターが住み着く原因──例えばボスモンスターの討伐などがダンジョンの攻略目的となるだろう。
だが、そもそもここが廃村ではなく、仮に住人が存在しているとなると、事態はさらにややこしくなる。
メタ読みとして、試験であればこそこの村がダンジョンであることは間違いないのだが、そんなダンジョンに住人が居て、何食わぬ顔で生活しているとしたら。
住人全てが実はモンスターとか、その自覚は無いが操られているだとか、平和な村を装った盗賊達のアジトとか、あるいは──。
「満月──ね」
あるいは、特殊な条件下において、村そのものがダンジョンに近しい特異点となってしまうか。
瞬間、ぞくりとした感覚が、カワセミの背筋を抜けて行った。
悪寒というほどの話ではない、明らかに、体調に影響を与えるレベルの、冷たい感覚である。
(デバフ?)
もともと、攻略不能ダンジョンの多くは、攻略者に攻略をさせる気がない。
故にこの試験の傾向としても、こちらの能力を縛るタイプの制約は数多く、その押し付けられた不利の解除をいかに最小限に抑えるかが、持ち点節約のポイントと言っても良い。
だが、カワセミの感じた悪寒にはタイムラグがあった。
ダンジョン側がかけたデバフが今更になって効果を発揮した、という考え方もできるが。
逆に言えば、今まさにデバフをかける何者かの、キルゾーンに入ったという考え方が──
「っ!?」
油断していたわけではなかった。
だが、同時にどこか腑抜けていた。
試験なのだから、状況確認の時間くらい用意されているものと、心の隅で思っていたのだろう。
焦って周囲を見回そうとしたその瞬間には、既にカワセミの眼前にまで鋭く伸びた爪が迫っていた。
危機を感じとった脳が、脳内麻薬を大量に分泌し、迫る攻撃がスローモーションに見える。
だが、身体は咄嗟に動かせない。
回避が間に合わない。
試験であれば、ここはアバター再生成式の限定ダンジョンであろうから、本当に死ぬということはない。
だが、これが現実であれば、致命的だ。
攻略不能ダンジョンの多くは、アバター再生成式ではない。
つまり一度死んだらおしまいのダンジョンであり、さらにダンジョンの理念に沿わないそれらの中で死ぬということは、その魂にも碌な未来は待っていない。
故に、試験中における死の持ち点減少は、無視できないレベルで大きい。
だが、それはそれ、これはこれだ。
もはや死が避けられぬのであれば、せめて情報だけはなんとしても持ち帰る。
伸びた爪の根本は、毛むくじゃらの大きな手。
その先も毛むくじゃらの胴体が続いて、ようやくカワセミは下手人の顔を拝む。
歪に広がった口と、鋭く尖ったギザギザの犬歯。鼻につく獣の臭い。
不細工な狼の顔が、毛むくじゃらの胴体にくっついている。
ワーウルフ。狼男。ウェアウルフ。呼び名はそんな感じのモンスターだ。
それを見て、カワセミは内心でほくそ笑んだ。
確かに、そこそこ強力なモンスターである。
だが、随分と弱点が有名なモンスターだ。
その存在はしばしば吸血鬼と混同されることも多く、それだけ弱点も繋がっていたりするが、一番簡単なのはシルバー・ブレット──銀の弾丸。
それさえあれば、討伐は容易なタイプのモンスターだ。
生憎カワセミは銀の弾丸までは用意していなかったが、まず間違いなく売店で売っているのだろう。
あるいはこの村のどこかに入手手段が用意されていてもおかしくはないのだが、攻略不能ダンジョンであるならば、無くてもおかしくない。
まあいい。
ここが村であることを加味すれば、攻略目的もそこそこ明白になったと思える。
借りは後で返す。
だから、カワセミは自らの目を貫かんとする鋭い爪に怯え、目を瞑ったりはしない。
最後まで、余裕を持ってそれを見据えてやろうと腹に決めた。
そして、その爪が触れるか触れないかの辺りで、ピタリと動きが止まった。
なぜ急に攻撃をやめたのか。
そうカワセミが疑問に思ったのも束の間、見知った少女の、知らぬ声が聞こえた。
「なにしてんだ? てめえ?」
それまでの朗らかな顔とは真逆の、怒気を滲ませ瞳孔を爬虫類らしく縦に開いたたドラ子が、がしりとカワセミに迫る凶手を抑えていた。
否、抑えるに留まらず、ドラ子はそのまま少し力を入れ、掴んでいた腕を握力だけで握りつぶした。
「ゲゲグゴオオオォオォォォ!!」
悲鳴と遠吠えの中間のような声を上げ、ワーウルフが仰け反る。
だが咄嗟に離れようとする彼にドラ子はなんなく追従すると、その毛むくじゃらの胸元を掴んで地面に叩き付けた。
逃げられないようにマウントを取り、勢いのまま残った無事な方の手も握りつぶす。
「私の目の前で大切な先輩を傷付けようとするなんて、良い度胸だなおい?」
開きっぱなしの瞳孔と、口からちろちろと漏れる火が、ドラゴンの苛烈な本性を表している。
ぐいっとドラ子が顔を寄せると、凶悪なワーウルフの目が確かに怯えたように揺れていた。
「じゃあ、死ぬか」
ドラ子はそれだけを言って、右手を振り上げる。ごうっと握った拳に白い炎が宿るのが見えた。たぶん聖なる炎とかそういう系の属性攻撃だと思えた。
カワセミはしばしその様子を茫然と眺めていたが、はっと我に返る。
「ドラ子ちゃんストップ! 殺さないで!」
「ほぇ?」
それまで苛烈を極めていたドラ子の顔が、突然の制止の声でとぼけた調子に戻る。
カワセミは試験用のデバイスを取り出して、ワーウルフ関連の行動ログを読み取る。
ログを読むだけであれば、減点はほとんどない。
そして、その周辺術式から、ワーウルフが徘徊型のボスであること。そして、ワーウルフの状態は『何者か』に把握されるということ。
またワーウルフが死んだ場合は、それが『何者か』に即座に伝わるらしいことを読み取った。
「やっぱり。ドラ子ちゃん。そのワーウルフ、殺さないで無力化した方が良い」
「ええと、理由をうかがっても?」
「殺すとこのエリアのボスの警戒度が跳ね上がるから。そうか、売店で銀の弾丸を買えば良いと思わせるのも罠か。見つからないように逃げ隠れしながら、領主の館に辿り着くのが一番の正解ってことね」
途中で質問への返答から独り言に変わりつつ、カワセミは軽い書き換えを行った。
術式にではなく、このワーウルフの行動ログに対してだ。
「何してるんですか?」
「ワーウルフが謎の侵入者を発見し、傷を負ったが問題無く始末した、というログを残したの。これで私達は居ないものとして行動できるわ」
なるほどぉ? とドラ子は思った。
実際に、それで何がどう変わるのかは、良く分かっていなかった。
カワセミ「ところでドラ子ちゃん、デバフは?」
ドラ子「デバ……フ……?」
カワセミ「気づいてない……? こんなに悪寒がするのに……?」




