145 基本ダンジョン攻略技術者試験2
人がどのような事情を抱えていようと時間は進む。
時間を遡行するには膨大な申請とリソースと術式の理解が必要なので、それはこの世界にあっても同様に言えることだ。
つまりドラ子がどんなことを考えていようと、滞り無く業務は回るし、否応なく仕事は定時を迎える。
「それじゃ、お先に失礼します」
「おう。お疲れ」
メガネの先輩に声をかけられながら、ドラ子は定時でオフィスを出た。
朝に言われた通り、少し担当チケットの調整をして、ドラ子が残業せずに帰れるようにしてくれていたのが分かった。
そして送り出されたドラ子は、満面の笑みでオフィスを出たあと、上から降りて来たエレベーターに乗ったところでその仮面を盛大にぶっ壊した。
(何も、何も解決策が浮かばない……!)
冷や汗をだらだらと流しながら、ドラ子は周囲の人に配慮して脳内で叫ぶ。
そう。
とりあえずこの一日どうするか考えてみたが、当たり前のように解決策など存在しなかったのだ。
(いや、解決策というかこの先取れる行動は、あるにはあるけど)
思いながらドラ子は頭にいくつかの選択肢を浮かべる。
①正直に申し込みすらしていなかったと謝る
②申し込みはした体でやっぱり受験はダメでしたと謝る
③怒られる前に会社を辞める
だいたいこの三択だ。
(……いや、もっとマシな案はないんかい!)
当然の話だが、ドラ子の現状はすでに王手を突きつけられており助かる見込みはない。
できることは、素直に降参するか、逃げ道が無くなるまで逃げ続けるか、将棋盤をひっくり返すかの三択なのであった。
①は論外だ。自分の申し訳なさが軽減される以外の効果がない。現実的なのは②だろうが、試験に向けてチケットの調整までしてもらった上で嘘を吐くのは心理的ハードルがちょっと高い。③に至っては最悪路頭に迷って死ぬ恐れがある。
(だけど、どっちみちこのままだと減給で飢え死にするんだよなぁ)
ドラ子の脳内の話なので、流石に飢え死にはしないだろと突っ込んでくれる人もいなかった。
そう。三択に共通していることは、いずれにせよ金が減るということだ。
育ち盛り?の旺盛な食欲を持っているドラ子にとって、それはどんな状況だろうと致命的に思えた。
とはいえ、肝心の資格を取る手段が存在しないので、詰んでいるわけだが。
「いや待てよ、資格を認定している組織を爆破すれば全てはうやむやになるのでは?」
はっと気付いた瞬間、ドラ子は思わず口にしてしまっていた。
「!?」
「!?」
「!?」
一緒のエレベーターに乗り合わせていた人々が驚愕の表情でドラ子を見る。
「あ、なんでもないですぅ……すみません……」
ドラ子は身につけた社会人スキル愛想笑いを張り付けながら、ぺこぺこと頭を下げてまた乗客Aに戻った。
(いや落ち着け私。それはもう、資格どうこうとか以前に犯罪だ。刑務所のご飯は少なくて不味いと聞くから最悪の選択だぞ)
ドラ子が正気を取り戻した頃、エレベーターは一階のエントランスに辿り着いた。
開くボタンを長押ししてくれている人にペコペコしながら、エレベーターを出たドラ子は、憂いを抱えながらもいっそ晴れ晴れとした、まるで天気雨のような表情になった。
(そうだ。ヤケ食いしよう)
もはや減給を受け止め、今のうちに食えるだけ食っておこうという、清々しい結論であった。
さて、ではどこの安くて量の多い店に、と思っている矢先、不意に彼女に声がかかる。
「おや、そこにいるのは同志ドラ子くんじゃあないか!」
聞き覚えのある、馴れ馴れしい女性の声であった。
ドラ子は思わず湧いて出てきそうだった嫌な記憶に蓋をし、振り返るかどうか五秒ほど迷ったあとに、それでも確認しない方が気持ち悪いと思い直してそちらを見た。
「うわでた」
「ははは! 人をゴキブリみたいに言わないでほしいなぁ!」
案の定、そこにいたのはモンスター生産管理部の部長であり、モンスター関係の諸悪の根源であり、同時にSolomonを術式たらしめているモンスター召喚の根幹術式を握っていると推測される危険人物。
ややマッドサイエンティスト風味の変人、骨無しペンギンであった。
「…………」
「んん? どうしたんだい同志? なにやら複雑な表情を浮かべているが?」
長身のスラッとした白衣の美人が、少しだけ頭を下げてドラ子に目線を合わせようとする。
ドラ子は、そんな彼女に静かに言った。
「あ、頭を下げない方が良いですよ。良い場所に顔があったらうっかり殴ってしまいそうなので」
「あはははは! そんなに恨まれるようなことしたっけ?」
「…………」
直接的にはテロに加担させられそうになったくらいだが、間接的には色々あった。
とりあえず直近で言えば、フロストジェノサイドドラグワームwithドリルでの件だろうが、それは白騎士(仮)の担当だったので、ドラ子はどうにか拳を収めた。
それどころか、今ドラ子を苦しめている問題ですら、魔王城爆破の原因となった魔王剣問題の、その根幹となる聖剣の雛形を作ったのは恐らくこの女である。
つまり、自分を苦しめている元凶は、まさにこの女だと言っても過言ではないのでは?とすら思った。(過言である)
「それで、どうしてペンギンさんが本社に?」
このままサヨナラすることも考えたのだが、この危険人物から理由も無く目を離すのも心理的に負担があったので、ドラ子は尋ねた。
「なぁに、召喚についてちょっと特殊な要請があるとのことで、その調整に来たのさ。今はモッチーがトイレに行っているから待っているところだよ」
「……トイレですか?」
「かれこれ10分は帰って来ないねえ」
それはトイレに行っているのではなく、上司が何かやらかしたことの後始末をしているのではないだろうか?
ドラ子はそう思ったが明らかにやぶ蛇だったので言わないことにした。
「それで同志ドラ子は、なぜそんな思いつめた顔をしているんだい?」
そんなところで、今度は逆にペンギンから尋ねられ、ドラ子は思わず言葉を詰まらせた。
「うっ、そんな顔をしていましたか?」
「おうとも。まるでこれからどこかの施設を爆破する計画を立てているテロリストがごとき顔だったね」
「その案は却下しましたけど!?」
「考えはしてたんだねぇ!?」
本物のテロリスト(未遂)に驚かれるのは不満なドラ子であった。
「そこまで思いつめていたのなら、同志の心のケアも私の務めだ。存分に相談してくれて良いよ?」
「…………ううむ」
詐欺師のような優しい笑顔を浮かべるペンギンを前に、ドラ子は少し考え込んだ。
常識的に考えて、この人物から建設的な案が出るとは思えない。
思えないが、これでも企業の部長になるほどの人なのだ。
もしかしたら、ドラ子の考えも付かない何か突飛な解決策を授けてくれるやもしれない。
そう思ってしまったドラ子は、自分の話であるということをぼかして、ダメ元で相談してみることにした。
「いえまぁ、これは友達──」
そして友達の話、と言ったらバレバレな気がして。
「──ではなくただの知り合いの、鳥の巣みたいな頭をした男の話なのですが」
「ふむ」
ドラ子は自分の惨状を、適当に思いついた実在の人物に被せて話すことにした。
これで万が一何かがバレても、スケープゴートに当たれば実質ノーダメであった。




