144 基本ダンジョン攻略技術者試験1
「──以上で朝のミーティングを終わります」
本日のミーティングも滞り無く終了し、保守サポート部の一日が始まろうとしていた。
滞り無くと言っても、いつも通りレッサーゴブリン君とついでにドラ子の進捗へのツッコミが主な内容だったのだが、今日はそこまで紛糾していないので問題はない。
いつもと違うのは、この後のレッサーゴブリン君の発言からであった。
「あ、すみません。それと一つ確認したいのですが」
朝のミーティングも終わり、小会議室からオフィスに戻ろうとしていた面々を引き止め、ゴブリン君は言う。
「そのぉ……伸び伸びになってしまっていた……新人歓迎会の話なんですが」
「そういえばそんなものもありましたね……」
うっかり、ジト目と共に声を出してしまったのはドラ子であったが、周囲の人間も概ね似たような意見であった。
なぜなら、既にドラ子達が入社してから半年が経とうとしているのだ。
その間、行われたのはハイパーイケメン蝙蝠が主催したプレ新人歓迎会のみで、正式な新人歓迎会が開かれる様子は皆無であった。
これが攻略サポート部であったならば、入社して一週間で三回は歓迎会が開かれているところだ。それはそれでどうだろうか。
「ゴブリン先輩の中に、まだ我々を歓迎しようという気持ちが残っていたとは」
「すまぬ……すまぬ……」
ドラ子はさらに歯に衣着せぬもの言いで詰めるが、それを諌めようとする人もいない。
とはいえ、歓迎してくれるというのならドラ子も……あとついでに白騎士もやぶさかではない。
だが、次に続いた言葉がいささか問題であった。
「それで、開催日なんですけれど、都合が合えば最短で再来週の金曜日とか」
レッサーゴブリンくんの指定した日付に、皆が思案を巡らせていた。
ついでにドラ子の脳内では、給料日と天秤にかけて、その日がタダ飯になるなら食費をどう分配しようかと再計算が行われていた。
だから、他の面々が『またこいつは……』という苦笑いを浮かべているのに気付かなかった。
そんなドラ子の横から、ドラ子と違って苦笑い側に属していた白騎士(仮)が声をあげる。
「ゴブリン先輩。お気持ちは嬉しいのですが、再来週は基本ダンジョン技術者試験が土日にありまして」
「あっ、申し訳ない」
そう。
再来週の金曜日というのは、丁度、新人達が一番忙しく勉強をしていなければいけない日だったのだ。
基本ダンジョン技術者試験。
ダンジョン技術者としてキャリアを積む上で広く一般的に周知されている資格である。
主にダンジョンに関連した基礎的な技術や知識を問う内容で、ここの知識を土台として、より応用的な、あるいは専門的なダンジョン技術を習得して行くものである。
試験は筆記試験の土曜日と、実技試験の日曜日に別れていて、その両方で合格点を取る事で晴れて資格が与えられる。仮に片方に落ちたとしても三年以内なら、合格した方の試験は免除されることになっている。
この会社でも新人はこの資格の取得を義務とされており、現在の給料もこの資格を所有していると『みなして』の額である。
つまり、新人達はその前日の金曜日に飲んでいる余裕など、ないのだ。
「それじゃ、試験が終わって次の週の金曜日あたりで」
「私は大丈夫だと思いますよ」
そして、現在、ドラ子を置いて二人の会話は進んで行く。
白騎士は何処か表情に余裕があり、試験に対して変に気負いはなさそうだ。
恐らく、日々の業務に加えてしっかりと勉強を進めており、既に自己評価では合格の安全圏にいるのだろう。
対するドラ子は、と言えば。
「…………」
「ドラ子さん?」
「え!? な、なに!?」
「いえ、その、表情が固いですが、もしかして勉強が進んでないんでしょうか、と」
白騎士に問われ、ドラ子は滝のような汗を流しながら顔面ブルードラゴンと化していた。
その様子は端からみていた皆が『あっ』と思うようなもので。
「まさか、その、全く勉強してらっしゃらない?」
「そそそ、そんなことないですよ!」
「…………」
「…………えへ」
ドラ子の様子に、全員が絶句してため息を吐いた。
なんとかしろ、という視線が上司から突き刺さって来たメガネが、はぁ、と軽いため息を吐いた後、ドラ子に詰め寄る。
「まだ試験まで時間はある。日々の業務も大事だが、資格試験は年に一度だ。しばらく残業にならないようチケットも調整してもらうから、一発で合格もぎ取って来いよ」
「う、うっす!」
そんな二人のやり取りに、とりあえずこの場はメガネに任せようという雰囲気が醸成される。
そして、改めて朝のミーティングは終了し、ぽつぽつとメンバーがオフィスに向かって行く中。
一人、会議室に残ってドラ子は頭を抱えていた。
「全く勉強してない? ふふ、そりゃそうでしょうよ」
誰も聞いていないと思って、ドラ子の口は不必要に軽くなる。
だが、そうなのだ。
ドラ子は、その実、基本ダンジョン技術者試験に対して何の準備もしていない。
そう、なんの準備もだ。
それはどういうことかと言えば。
「そもそも……受験申し込みすらしてないんだから……」
もう、ドラ子は笑うしかなかった。
この女、そもそも、受験資格すら持っていなかった。
「いや、私だって申し込みはしようと思ってたよ。だけどさぁ」
言い訳になるが、実際、ドラ子はちゃんと受験はしようと思っていた。
何故なら、魔王城に遊びに行った日にメガネに資格のことを教えられて危機感を抱いたからだ。
だが、その瞬間は、魔王城から帰って来たら申し込みしよう、と気楽に考えていた。
その考えが、魔王城と共に吹っ飛んだだけである。
「しゃあないじゃん。魔王城が爆発したインパクトのせいで、資格試験のことなんて覚えてるわけないじゃん」
誰に対して言い訳をしているのか、自分自身でも分からなくなったドラ子だが、要はそういうことなのだ。
その日の最後に魔王城が爆発したインパクトが大きすぎて、その日にあった些細なこともまとめて吹っ飛んだので、受験申し込みのこともすっかり忘れてしまっていたのだ。
「まあいい。問題は、これからどうするか」
今、焦ってデバイスから申し込みをしようと試みるも、受付期間はとっくに終了していた。
つまり、今年はもう基本ダンジョン技術者試験に合格することは不可能ということだった。
ドラ子は静かに目を瞑り、際限なく溢れてくる冷や汗を抑え込む。
「まだだ、まだ慌てるような時間じゃない」
正確には、もう慌てる時間は過ぎ去っているだけなのだが。
ドラ子は考える。
彼女は、何故かこの職場で、窮地に立たされることが多かった。
故に、窮地を脱するための思考も、早かった。
「とりあえず、あとで考えよう!」
つまるところ、思考放棄でやばそうなことは脇に置いておく技術が高かった。
それでもなんとかしてきてしまったのは、果たして幸福なのか不幸なのか。
その答えは、再来週の土日を過ぎたころのドラ子が教えてくれるだろう。
しばらく中編です




