123 お問い合わせ『ダンジョンが臭い』2
「ダンジョンって臭いのが当たり前じゃないですか?」
お問い合わせを読んだドラ子の最初の感想はそれだった。
そもそも、本来ダンジョンとは人を拒むものだ。
勿論ダンジョン毎に違いはあれど、基本的には奥に行けば行くほど、風通しは悪く、死は近くなる。
人通りが少なければ道は荒れるように、訪れるものが居なければダンジョンは澱む。
なればこそ、奥の方が汚れやすいのは自明の理であり、必然的に奥の方が臭くなるのも当然だ。
むしろ臭い方が人も寄り付かなくなるので、人を拒むという目的により適している。
なんだったら、わざとダンジョンを臭くしておくという手法だってありだろう。
というのが、大昔のダンジョンの常識であったが──
「昔はそうかもしれんが、今のダンジョンビジネスとしては、人に入ってもらってなんぼだからな。言わば飲食店で店が臭いって状況と一緒だよ」
「提供されているのは富と名声と冒険と死ですが」
「フルコースってやつだな」
今の時代にあっては、ダンジョンは人を招き入れるものだ。
事実、Solomonにも術式維持のための魔力を侵入者からちょっとずつ補う機能があり、魔力がカツカツのダンジョンならば、その機能をオンにして積極的に人に入ってもらわないと崩壊することもあるだろう。
そして人は、ダンジョンを当たり前のように選り好みする。
敵が強くて実入りが悪いダンジョンと、敵が弱くて実入りが良いダンジョンがあれば、当たり前のように後者を選ぶ。
もちろん、どうしてもこのダンジョンでなければダメだ、というような売りがあれば、多少実入りが悪くても入ってもらえることもあるだろう。
だが、結局それは少ないメリットがデメリットを上回ったというだけで、人を招き入れるという目的であれば、マイナス要素はなければ無いほうが良い。
より簡単な構造で、より弱い敵で、より簡単な構造で、そして良い報酬を求めるのが人だ。
対してダンジョンマスターの側も、できるだけ人を招き入れつつ出費は避けたい。
だから、うまいこと報酬を出し渋りつつ、複雑な構造で人を惑わし、弱い敵の中に階層では危険な敵を織り交ぜたりと考える。
つまり、ダンジョンと冒険者の間にも、明確な需要と供給のバランスがあるのだ。
そんな状況で、単純に『臭い』という人を遠ざけるだけの要素は──それもダンジョンマスター側が意図しない形でとなると、それは明確な問題と言えるだろう。
「とはいえ、実際に臭くなるのは仕方ないんだがな」
「ですよね」
と、言いはしたが実際問題、ダンジョンは放っておけば臭くなるのだ。
ダンジョンの中では常時戦闘が行われ、勝者と敗者は常に現れる。
そして敗者の側というのは、その時点で『生き物』から『血と肉』になり、時間が経てば腐臭の元に変わるのだ。
それは魔物と人間のみならず、ダンジョン内で生態系を作っている限りは、そこに生きる全てのモノの日常で起こりうる問題だ。
獣型等の、生きる為に他者を補食する魔物であれば、どうあがいても臭いは生まれる。いずれは獣自身の獣臭や、汗、排泄物などの臭いもダンジョンに染み付いて行く。
植物などを上手く織り交ぜてダンジョンの生態系を完成させたとしても、ダンジョンの深部とはえてしてそういう問題を抱えて行くものだ。
これが魔力形成でモンスターを生み出しているダンジョンであれば、魔物同士の争いは無くなり、冒険者側に被害がゼロならば、死体はダンジョンに吸収されるだけになる。
だが、それにしたって戦闘で焦げた壁などは焼けた臭いを放つし、日帰りでも無い限り、人間側の排泄物の問題は常にある。
なにより、ただモンスターを倒されるだけのダンジョンで収支をプラスにするのは、中々大変なことだろう。(ダンジョン側が求めているものにはよるが)
もちろん、ダンジョンの種類によって、先程挙げた例がそのまま当てはまらないことは多々あるが、基本的にダンジョンは、対策を取らなければ『臭くなる』のだ。
それを解決するために、ダンジョンの清掃機能を使ったり、ダンジョンを掃除する性質を持ったモンスターを配置したり、そういった工夫は常にダンジョンマスターに求められる。
「特に排泄物はどうにもならんからな。それを嫌ってダンジョンにトイレを設置しようと本気で考える顧客はそれなりにいる」
「……いや、気持ちは分かりますけど、ダンジョンにトイレって……どうなんです?」
「臭くなるよりは良いんだろう」
余談だが、Solomonにしても当初はトイレなどの機能は搭載されていなかった。だが、客側の強い要望により、ひっそりと家具の中に追加されたのはここだけの話だ。
最初のSolomonは洞窟型とかのオーソドックスなダンジョンしか作れなかったために必要なかったが、幽霊屋敷とかの家屋型ダンジョンを作ろうとした際に必要になったという経緯もある。
「で、翻って今回のお問い合わせだが」
「ダンジョンが臭くなるのは当たり前だと言っても、顧客はそれが嫌で清掃魔法をかけているとも書いてありますよ?」
ドラ子は届いたお問い合わせにもう一度目を通す。
本文があまりに短すぎて、起こっている事象はいまいち分からない。
掃除している筈なのに臭いと言っているだけの状況だ。
「単純に不具合とは考えづらいが、現状では何が起こっているのか分からん。清掃魔法とやらも、自分でかけているのかSolomonの機能を使っているのかも分からん。Solomonの機能なら不具合の可能性もあるが、自分でかけているなら魔法のかけ方が悪いだけかもしれない」
メガネはお問い合わせに目を通しながら、現状判断できることをさらりと言った。
ドラ子は、それに分かっているような顔でふむふむと頷き、最後に尋ねる。
「つまり?」
「ダンジョンが臭くなるのは当たり前だから、清掃の仕方をもう一回見直せ。清掃の仕方が間違ってないなら、これだけじゃ分からんから詳しい情報を寄越せ。となる」
「なるほど」
メガネがさらさらと口にした方針を、それとなくメモしながらドラ子は『はて?』と思う。
最近は、割とこっちに回答を全部任せるようなスタイルが多かったメガネにしては、今回はヤケに丁寧に協力してくれるな、と。
そしてドラ子は、そんな親切なメガネには、嫌な予感しかしなくなっていた。
「あの、先輩。どうして今日はこんなに親切なんです?」
「…………自分で言ったこと忘れたのか?」
「何が?」
「これで回答は書けるだろ。さっさとゴーレム部長に謝ってこい」
「ゔぁ」
ドラ子は言われて思い出した。
周りのちょっとした騒ぎも収まっていて、なんならドラ子の中でも無かったことになりかけていたが、現在保守サポート部では異臭騒ぎがちょっとしたトレンドであり、その犯人は自分であった。
そして、ドラ子はこのチケットが終わったら謝りに行きますとか、特に本心から思ってもいないことを口走ったばかりであった。
「先輩、ものは相談なんですけど」
「なんだよ」
「謝るとき、先輩も一緒に付いてきてくれたりとか?」
「俺はお前の母ちゃんか」
メガネにもの凄く嫌そうな顔で言われて、ドラ子はぐぬった。
もちろん、本気で付いてきてくれると思った訳では無いが、それでも誰かに隣に居て欲しかった。
そしてゴーレム部長の静かな怒りを宥める役割が欲しかった。
つまり、そう、やっぱり怒られるのは嫌なのだ! ドラ子は!
「お前がどう開き直ろうと知らん。やったことには責任を持つべきだ」
「ドラゴンはですね、責任という言葉を踏みにじってナンボなところがありますからね」
「邪龍かよ」
尚も往生際が悪いドラ子に、メガネは呆れた。
「知らなかったんですか? ドラゴンはもともと混沌・悪の存在なんですよ」
「お前自称、秩序・善だったろうが」
「ぐぬぬ」
と、ドラ子が咄嗟にどんな言い訳をしてもメガネは許してくれず、さりとて回答のサポートはしっかりしてくれるので、何の問題もなく回答を書き終わってしまった。
それからメガネのちくりによってゴーレム部長にドラ子から話があるという報告までされてしまい、回答をレビュアーの蝙蝠さんに投げたドラ子は、遂にゴーレム部長の元へ向かうことになる。
「それで、話とはなんのことでしょうか?」
ゴーレム部長は静かに、だが、岩のような圧迫感を漂わせてドラ子に問う。
ドラ子はその雰囲気に気圧されながら、しかし、いざとなっては迷わぬ潔さで言った。
「すみませんレンジ室で誤ってオーブン機能を使い濃厚豚骨醤油ラーメンを焦がしたのは私ですでも悪気は無くて何故かデフォルトでオーブン機能がセットされていたせいで私も被害者なんです私もラーメンを失って悲しい思いをしたので許して下さい!」
六割くらいは被害者アピールと自己弁護が混ざっていたが、一応の謝罪であった。
ゴーレム部長はそれを静かに聞きながら、言った。
「二時間十四分です」
「はい?」
「あなたが謝りにくるまで、二時間十四分かかりました」
「…………え?」
困惑するドラ子に、ゴーレム部長はデスクのデバイスのモニターを向ける。
そこにはばっちりと、存在すら知らなかったレンジ室の監視カメラの映像が映っており、ドラ子がラーメンをゴミ箱に捨てて立ち去る姿が残っていた。
「…………おうふ」
「いつ謝りにくるのかと思っていましたが、三時間を越えずに来たので、今回は不問にしましょう。ただし、次からはすぐに謝って下さい。怒りはしませんので」
そう言ってニコニコと笑顔を浮かべるゴーレム部長の額には、しっかりとした青筋が走っていた。
嘘だ、絶対に怒るぞ、とドラ子は思ったが、口に出す勇気はなかった。
「……あのう、仮にもし、今日中に謝りにこなかったら……?」
「そんなに臭いを気にしない人であれば、しばらく会社中のトイレ掃除でもしてもらおうかと思っていましたね。適材適所です」
「ひぃぃ」
それから、下がって良いと言われたドラ子はそそくさと自分のデスクに戻る。
そして、メガネに言った。
「先輩。私、メガネ先輩の後輩で本当に良かったです」
「絶対ろくでもない理由だろそれ」
ドラ子は心の底からせっついてくれたメガネに感謝したが、メガネはあまり嬉しそうではなかった。
ゴーレム部長は最初から全て知っていました。
回答は体感今日中に投稿予定です。




