122 お問い合わせ『ダンジョンが臭い』1
「…………」
始めに言い訳をしよう。
今、会社の一画にある小部屋で立ち尽くしている、角の生えた赤髪の少女に悪気はなかった。
ここは、保守サポート部の面々からはレンジ室と呼ばれている小部屋で、自動販売機と蛇口と、コンロと冷蔵庫とレンジが置かれている部屋だ。
一昔前は給湯室だったのだろうが、今は廊下にウォーターサーバーが設置されたため、お湯を沸かす必要がなくなった。だからここに来る人間は大抵、自販機かレンジのどちらかに用がある。
ドラ子も、用があるのはレンジだった。
というのも、今日はたまたま、メガネと昼休みの時間が全く合わなかったので、コンビニで昼食を買ったからだ。
いつもならメガネに付いて行って昼食を共にするのだが、生憎とドラ子のチケットのキリが良いタイミングには、メガネは既に昼食を終えていた。
だから今日は悩んだ末、コンビニで少し気になっていた、電子レンジで容器ごとあっためるタイプのラーメンを買ってみたのだ。
だから、ドラ子が普段来ないこの部屋に来たのは、本当にたまたまだった。
電子レンジを利用しようと思ったのも、本当に偶然だった。
その電子レンジが、何故か最初から電源が入っていたので、ドラ子は何も考えずタイマーだけセットしてトイレに向かったのは、運命の悪戯であった。
「……どうすっぺかなぁ」
思わず田舎者になってしまう程、ドラ子は悩んでいた。
確かに昨日は、あまり寝ていなかった。
ゴーレム農家の人の動画にすっかりハマったせいで、深夜になっても地下帝国建国シリーズを眺めながらゲラゲラ笑っていた。
そのおかげさまで、うっかり寝不足にはなった。
もちろん、ドラゴンである彼女にとっては睡眠もまた娯楽であり、寝不足など大したバッドステータスではないのだが、多少の影響はある。
普通ならば気付くようなことに、運悪く気付かない、程度の影響だ。
そう。
自分がタイマーをセットした機能が、実は電子レンジではなかった、と気付かない程度の些細な影響である。
まさか、自分が電子レンジだと思っていたものが、本当はオーブン機能付きレンジだったとは知らなかったのだ。
「黙っていれば、なんとか……」
ドラ子はそう思ってみるのだが、鼻につく異臭はどうしようもない。
明らかに、オーブン機能で熱してはいけないものを熱した臭いがレンジ室に漂っている。
とりあえず窓を開けてみたのだが、さて、この臭いはどれくらいで消えてくれるものか。
そして、レンジの中で見るも無残な状態になった昼飯はどうしたものか。
むしろこの臭いよりも、自分の腹具合の方が重要でないだろうか。
「とりあえず、このブツはさっさと片して、燃えるゴミにそいっ」
ドラ子はうへぇ、という顔になりながら、良く分からない物体と化した昼食を素手で掴んでゴミ箱に突っ込んだ。
熱で溶けた容器であろうと、ドラゴンの手にダメージを与えることはできなかった。
だが、食欲を減衰させるような臭いはいかんともしがたい。
「よし、ラーメンでも食いに行くか」
それで全ては終わったことにした。
ドラ子は、先程までの全てを忘却の彼方に押しやり、近所のラーメン屋に足を運ぶことにした。
きっと、全ての問題は時間が解決してくれると信じて。
「なんか騒がしい?」
彼女が牛乳味噌バターコーンを堪能して戻って来たところ、保守サポート部はちょっとした騒ぎになっていた。
ドラ子が疑問符を浮かべているところに、たまたま白騎士(仮)が通りかかったので、彼女を捕まえて尋ねる。
「白騎士ちゃん、これなんの騒ぎ? 蝙蝠さんが昔の女に刺されたの?」
「ち、違いますよ。えっとですね」
ドラ子の少し笑えないジョークに頬を引き攣らせたあと、白騎士は現状の説明をした。
曰く、何者かがレンジ室でヘマをやらかしたらしい。
その何者かは何故か電子レンジで温める商品をオーブンで温めた上に、異臭を放つその物体をゴミ箱に捨てるだけでどこかに去ったのだ。
そのせいでレンジ室は大変な異臭が漂っており、犯人探しとまではいかないが大変な騒ぎになっている、と。
「へ、へー」
「ドラ子さんは何か知ってますか?」
「い、いやー、見ての通り私は外で食べて来たところだからさぁ」
ドラ子は嘘を吐いた。
まさかこんな騒ぎになるとは思っていなかったからだ。
「せめてちゃんと掃除をして、ゴミもしっかり処分して行ってくれたら良かったんですけど」
「で、でもゴミ箱には入ってたんでしょ?」
「口の空いてるゴミ箱じゃ、臭いは消えませんよ」
「だ、だよねー」
ドラ子は冷や汗をかいていた。
だが、ここで犯人は自分だと自供できるほどの、決心が着いていなかった。
黙っていたら更に騒ぎが広がりそうだが、騒ぎは既に広まり切っているとも言えた。
ゴーレム部長の額に青筋が浮かんでいるのが見えた。
「ゴーレム部長も、こういう行為は気に入らないみたいで」
「け、潔癖そうだもんね」
「ドラ子さんも何か気付いたら教えて上げてください」
「わかった」
そして白騎士との会話を終え、ドラ子は何食わぬ顔でデスクに戻った。
頭の中では、いつ謝りに行くかと盛大に悩みながら。
やっちまった瞬間に行く事が正解だったのは明白だ。だが、そのタイミングはもう逃した。だってお腹空いてたし。
ここから先は、時間が経つごとにより怒られるのだろう。いずれにしろ怒られるなら早い方が良い。
だから、怒られると分かっているけど、謝りにいかなければ……。
そう。頭では分かっているのだが、こう、決心が。
「よう犯人」
「!?」
デスクに着いて考え込んでいるところで、隣の席の眼鏡の先輩がさらっと言った。
「わ、私がどうやって犯人だって証拠ですか!?」
「その反応が犯人だろ」
「ゆ、誘導尋問反対」
「誘導どころか、牽制のジャブにお前が自ら突っ込んで来たレベルなんだよなぁ」
メガネは呆れながら、ちらりとゴーレム部長の様子を窺う。
ゴーレム部長はどうあがいても不機嫌そうにしながら、デスクに鎮座している。
「自首なら早い方が良いぞ」
「だが待って欲しい、先輩、怒りにも鮮度というものがあります」
「だいたい何言いたいか分かった」
ドラ子がまた下らないことを言おうとしているのを察したメガネだったが、ドラ子は気にせず続けた。
「今のゴーレム部長は恐らくどんな謝り方をされても怒り心頭です。ですが、怒りは時間が経つごとに落ち着いて行くものなんです。だから、今よりも夕方、今日よりも明日、今月よりも来月。今生よりも来世と」
「さりげなく罪を墓まで持っていこうとするな、お前が言わないなら俺が言うぞ」
「ちゃ、ちゃんと謝りますからぁ。心の準備をさせてください!」
なんとか誤魔化そうとしたドラ子の言い訳を一蹴して、メガネは無慈悲に言う。
ドラ子はしょんぼりしながら、ラーメンを食っている間にアサインされたチケットがあることに気付く。
「こ、これです! このチケットを片付けたら謝ろうと思います!」
「ふーん?」
明らかに信用無さそうなメガネの視線を振り切って、ドラ子はお問い合わせの内容を確認する。
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件名:ダンジョンが臭い
差出人:異世界931契約番号43──染み抜きスライム
製品情報:Solomon Ver24.2.3
お問い合わせ番号:20023010221
本文:
最近、ダンジョンが臭いです。
毎日清掃魔法をかけたりしているのですが効果がありません。
不具合でしょうか?
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「…………これはきつい」
まるでお問い合わせも、ドラ子の現状を責め立てるかのようだった。
ドラ子は思わず、天を仰いだ。
その目に映るのは見慣れた天井だけだった。




