106 お問い合わせ『回復の泉についての質問です』
とある日。
昼時というには、少し遅い時間にて。
「やっぱ回復ポイントって重要ですよね」
この会社には、社員食堂が存在する。
お値段はお手軽で、そこそこのバリエーションがあって、味もまあまあ──とくれば、それはもう昼時はかなり混む。
かなり混むが故に、メガネはうんざりするほどの人ごみを避けて、あまり社員食堂を利用しない。
それ故に普段、メガネとドラ子が連れ立って昼食を食べるときは会社の外で食べることが多い。
だが、それも時間帯による。
たまたまチケットのキリが悪くて、あるいはキリが良すぎてピークタイムを外れた時には、わざわざ遠出せずに社員食堂を利用することもある。
今日はたまたまそんな日で、メガネに付いてきていたドラ子は大層腹を空かせており(そういう気分なだけ)、頼んだ親子丼を早速頬張りながらそんなことを言った。
「どうした急に」
「いえ、やっぱこんな世知辛い世の中であっても、こういう心休まるスポットがあるから仕事も頑張れるんだと思いまして」
「言う程心休まるスポットか……?」
頼んだ若鶏の香草焼きを食べる手を止めて、メガネはふと考え込んだ。
お昼時をやや過ぎた食堂はポツポツとした客入りとなっていて、二人の会話はぼやけた食堂の空気に溶けて行く。
「そうですよ。私達は日々仕事というモンスターと戦い、体力や精神力を削られているんです。この食堂という回復スポットがあるからこそ、力つきることなく定時まで働けるんですよ」
「その理論で行くと、予期せぬ残業は死に直結するな」
「残業の時は、これが終わったら帰れると繰り返すことで食い縛っているんです」
言っているドラ子も、半分以上は適当なことを言っている自覚はあった。
だが、食事時の会話なんてそんなものだろう。
メガネも特に考えることなく、ふと思いついた『仕事』の話を振ってみる。
「ゴーレム部長との勉強会は強敵でしたね」
「…………それはマジでやめてください」
親子丼の回復量よりも、ダメージが上回った様子のドラ子だった。
ついでに、勉強会を終えた直後のドラ子とゴブリン君は灰と化していたので、あと一度蘇生に失敗したらロストしていたことだろう。
「とにかく、やはりダンジョンにも回復スポットが必要ってことですよ」
その話を続けて欲しくなかったのか、ドラ子は強引に軌道を元に戻す。
だが、対するメガネはうーんと難しい顔をした。
「いや硬派なダンジョンにはそんなもんないだろ。回復地帯も安全地帯もなくて、交代で見張りを立てながら日々精神と食料をすり減らし、それでも深くまで潜るんだ」
「まるで先輩に、交代で見張りをする仲間が居たみたいな物言いですね」
「…………いや、一般論だけどさ」
メガネが思わず言いよどむ。
それを見てドラ子は「ああ、やっぱり先輩ってダンジョン探索もソロだったんだ」と納得した。
「まあ先輩ぼっち伝説は置いといて。今はそんな硬派なダンジョン流行らないんですよ。物事はなんでもカジュアルに。レベルアップで体力は回復、各階層ごとに安全地帯と回復ポイント、ボスを倒したら入口までの転移魔法陣。これくらいじゃないと現代っ子はダンジョンなんて見向きもしませんよ」
「軟弱な世の中になったものだな」
「ダンジョンの在り方が、人の侵入を阻むものから、人に入ってもらって利益を出すものになっていってるんですから、考え方自体を変えるのは当たり前の生存戦略ですよ」
それは悲しいことに、この世界に限った話ではなく、全異世界的な流れでそうである。
そもそも、ダンジョンを侵入者の排除に使っているレベルの異世界は、この会社との繋がりは基本的にない。
まだ、そのレベルに達していないとも言える。
そしてSolomonを利用しているレベルの異世界であれば、だいたいがこの『Solomon』がなんのために作られたかを理解しているし、それを知った上で人々が『ダンジョン』に挑む世界の構造を作り上げている。
今やダンジョンは人を拒むものではなく、人を迎え入れるものになったのだ。
そして、人を迎え入れるために様々な『利点』をダンジョン側が用意するのもまた自然な流れなのである。
それには、安全地帯や回復スポットといった冒険者に有利な施設も含まれる。
「まぁ、ダンジョンがそういう施設を作るのは問題無い。それは管理者の自由だ。それに、その辺での問題はダンジョンの管理者側じゃなくて、利用する人間側に発生することが多いしな」
「どういう意味です?」
「そのうち分かる。口で説明するのは、少し面倒だ」
メガネの気になる言葉の切り方に、ドラ子は少しモヤモヤした気持ちを抱えることになった。
その気持ちが解消することになったのは、数日後の話であった。
──────
『
件名:回復の泉についての質問です
差出人:異世界436契約番号7──逆さウンディーネ
製品情報:Solomon Ver25.2
お問い合わせ番号:20023020830
本文:
お世話になっております。
先日、当世界にていくつかのダンジョンを新設したのですが、その一つで問題が発生しております。
と言いますのも、ダンジョンを設立した場所がたまたま当世界で睨み合いを行っている二つの国の中間地点だったらしく、人間達がダンジョンの戦争への利用を目論んでいるようです。
そこで目下の問題として、最初に目を付けられている『回復の泉』についていくつか質問させていただきたく存じます。
質問1
回復の泉の水を、ダンジョンの外に持ち出した場合にはどうなるのでしょうか。
質問2
回復の泉を拡張し、その中で生物(魚など)を養殖した場合、その生物には何か特殊な効果が発生するのでしょうか。
質問3
回復の泉に毒を混入させられた場合、その水を飲むとどうなるのでしょうか。
質問4
上記三つの質問の事態が発生した場合に、どういった対処を行う必要があると考えられるでしょうか。
以上になります。
お手数ですがご回答お願いいたします。
』
ドラ子は、アサインされたお問い合わせを読み、ふぅー、と長く息を吐いた。
そして心の中で思った。
知らんがな、と。
「いや待って。まずもってどうしてダンジョン内の施設を、戦争に利用しようなんて考えるんですかねぇ」
一拍置いてから、ドラ子は思ったことを率直に述べる。
隣で、同じくこのお問い合わせの内容に目を通したらしいメガネが、淡々と言う。
「言っただろ。ダンジョンの施設で問題を起こすのは、どちらかというと人間だって」
「ダンジョンをなんだと思ってるんですか」
「難しい質問だな。まずその世界の世界観から考える必要がある」
もちろん、ダンジョンとは何かという問いに、一元的な答えなどはない。
とある世界では、ダンジョンは神の与えた試練とされていたり。
またとある世界では、魔の侵攻の一手と思われていたり。
はたまたとある世界では、恒久的な資源を生み出す現象の一つだったり。
各世界にてダンジョンに対する見方は異なっており、異なっているからこそ、ダンジョンへの向き合い方も人それぞれだ。
お問い合わせのように、ダンジョンそのものやダンジョン内の施設を戦争に有効活用しようと考える者がいても、おかしくはない。
「まぁ、このお問い合わせの内容から考えるに、ダンジョンの浅い場所にある回復の泉に目を付けて、そこを回復スポットとして占有することで戦争を有利に運ぼうと画策しているみたいだな。お互いが」
「ダンジョン管理者の冒険者への優しさに対して、なんて仕打ちを」
「残念だが、ユーザーが運営側の想定しない使い方をしはじめるのはいつものことだ。ウチのSolomonもしかりな」
悲しいことに、Solomonをダンジョン管理に使わないユーザーは一定数いるのであった。
まぁ、会社としては規約に反しない限りはどう使ってくれても構わないのだが。
「とにかく、今回のお問い合わせは簡単だ。回復の泉の仕様を理解して、お問い合わせの状況ではどういう事態が発生するのかを一つ一つ回答すれば、自ずと最後の回答にも辿り着く」
そう言い切ったメガネを、ドラ子はじとっとした目で見る。
「どうした?」
「いや、最近、先輩が『簡単だ』って言うと、なんか罠がある気がしまして」
「俺の言葉でチケット対応の難易度を計るな」
ドラ子の言葉に、メガネは呆れ顔を浮かべる。
だが、これ以上は助けないぞとばかりに、早々に自身のデバイスに向き直った。
「まぁ、少しは自分で術式を読み解いてみろ。繰り返しになるがそんなに難しいお問い合わせじゃない」
「了解です」
結局、メガネの言葉が本当だろうと嘘だろうと、調べないことには何も始まらない。
ドラ子はメガネの反応から何かを探るのを諦めて、とりあえずマニュアルの記載から当たってみることにするのだった。
頑張った結果お問い合わせの質問が増えてしまった……




