09. 彼女の心の内(リーン視点)
正直なところ、ノア・コルクとの間に起こったことに実感がもてない。
薬で朦朧としていたところに彼が駆け寄ってきた辺りで意識が飛んで、自室で目を覚ますまでの記憶がないのだ。
その間に負ったという体の痣や傷も、意識のない間にポーションで治療されていて、部下たちから説明を受けたときには既に癒えていた。
ノア・コルクの印象は普通である。
もちろん騎士隊の副隊長を勤めるくらいだから、戦闘能力は高いのだろうけれど、騎士にしては細身でがさつな感じもなく、しかし目を引くような特徴もなかった。
あえて言うのであれば、女性には好かれそうな顔立ちかもしれない。
彼が結婚を提案してきたのは、多少なりとも責任を感じてのことだろう。
結婚の申し出を受けたのは打算。彼が提示したメリットもさながら、これで王宮から出る理由ができた。
もし子どもができたことを考えるといろいろと不安はあるが、結婚の如何にかかわらず、そのときは産むつもりなのも本当のことだ。
私が王宮に連れて来られたのは十一歳のときだった。それからは貴重な錬金術師だからという理由で、外出もままならない生活を強いられてきた。
去年前王が亡くなり、新国王になってからは幾分自由ができたけど、いまだ私を王宮に囲っておきたい者たちは大勢いる。至高の錬金術師などという、馬鹿馬鹿しい二つ名に踊らされて。
今回のことを仕組んだのは皇太后で間違いない。馬鹿としか言い様のない女だ。逆手に取って私が王宮を出て行くなんて考えもしなかったんだろう。
もちろん新国王の側近には反対されたけど、皇太后に呼び出されたと公言しないことと引き換えに、二つの条件を飲ませた。
一つは王宮の外での暮らし。
結婚をすれば王宮から自由に出歩くことが出来ると前国王たちは私に言った。
錬金術室の同僚を除いて、貴族としか接することの出来ない状況を作った奴らが。
もちろん自分の息のかかった貴族を私の相手として据えるつもりで言っていたのだろうが、断固拒否の姿勢を貫き続け、最近では貴族たちもあきらめを見せていた。取り込むための手段が結婚だったので、適齢期を過ぎて三十路が近くなった私を嫁にしてもいいと思う男が減ったことも要因だろう。
あのような薬を手に入れられるのなら、いっそのこと自分たちで私に手を下す方法もあっただろうに、下々の者には何の抵抗もなく試せても、自分たちが使って万が一のことがあったら嫌なのだろう。最低な奴らだ。
ノア・コルクの申し出は実にタイミングが良かった。前国王であれば絶対に結婚という選択を許さなかった。
但し貴族たちからは妬まれ、やっかまれるだろう。
だから二つ目の条件として、ノア・コルクの身の安全を守るよう国王と交渉した。できないとは言わせない。
もし馬鹿な貴族が彼に何かしようとしても、護国騎士団の副隊長を務めるくらいだから、多少のちょっかいには応戦できるだろうし、私と同じく両親を亡くしていて、言い方は悪いが弱みとなる近親者がいないことも、護国騎士団へ向かう前に確認済みだ。
何より第一印象も悪くない。
傷ものにされた? それがなんだと言うのか。体の傷などポーションで治る。でも体以外の傷はそう簡単に治らない。たとえその傷をつけた相手がいなくなっても残ったままだ。
新居での初夜は驚くほどぐっすり眠れた。初夜の感想としてはいかがなものかと自分でも思うが、何かあっても騎士であるノア・コルクが反応してくれるだろうという安心感からか、夜中に目覚めることもなかった。
ちなみに彼は宣言どおり、私に何もしなかった。
そして今、私の夫となったノア・コルクは私を起こそうと奮闘している。
「リーン、ほら起きないと遅刻するよ」
「してもいい」
「いや、遅刻はまずいだろう。君が出勤しなかったら、今度こそ王宮騎士隊に加えて錬金術室まで乗り込んできそうで怖いから」
無情にも掛け布団をはぎ取られて目を開けると、笑顔なのに目が笑っていないノア・コルクがそこにいた。これは怒っているんだろうか、わかりにくい。
渋々と起き上がるとノア・コルクは満足そうに頷いた。
「朝ごはんが冷める前に支度を整えてくれよ」
朝ごはん。そういえばいい匂いがする。わざわざ作ってくれたんだ。
夜着を脱ごうとボタンに手をかけると、ノア・コルクが素早く部屋の外に出て行った。できた夫である。
身支度を整えダイニングへ向かうと、オーソドックスな朝食が用意されていた。きれいな形のオムレツを見るに、ノア・コルクは普段から料理をする人なのだろう。
ちなみに私は錬金術以外での料理はさっぱりだ。
「昨日、多めにパンを焼いてくれたから買いにいかずにすんで助かったよ」
それがなかったら買いに行っていたのだろうか。
「毎日、朝食をとるの?」
まめな人だなと思って尋ねると、訝しげな顔をされた。
「食べるよ。もしかしてリーンは食べないのか」
「うん、滅多に食べない」
「仕事中、腹が減るだろう」
「そうでもない、集中していると昼食も食べないことがあるし」
嘘だろうと言わんばかりにノア・コルクは目を見開いた。
「体力仕事じゃないからね」
「そういう問題じゃないだろ。すると夜しか食べないこともあるんだな。そういう食べ方は年を取ってから太るぞ」
デリカシーのない言葉におもわず目つきがきつくなる。
「食べきれなかったら残してもいいいからさ、まずは食べてみてくれ」
促されるままに食前の祈りを唱えて、まずはスープを一口飲んだ。細かく切った野菜と鳥肉が入っていて、あっさりした味付けで食べやすい。サラダは葉野菜とトマトを和えてドレッシングがかけてある。
「美味しい」
至って普通のレシピなのに、なんなら葉野菜なんてそんなに好きでもないのに、不思議と美味しく感じる。
「そりゃ良かった。昨夜のリーンが作ってくれたものに比べたらたいしたことないものばかりだけどな」
「ううん、美味しいよ」
用意された朝食をすべて食べきり、二人で家を出ることにした。
ノア・コルクは馬で、私はガゼル・レックスに乗る。
家から王城までは軽く走らせて十五分ほどで着く距離だ。
昨日、手ごろな場所で紹介できる家がないと言われたときはひやりとしたが、この家が残っていて助かった。
王宮へ近すぎるのは心理的に嫌だし、遠いとどんな難癖をつけられるかわからないので、まずまずの距離で見つかって本当に良かった。
王宮に着いたところでノア・コルクとは別れた。門番をしていて王宮騎士が、私たちが一緒にやって来たので目を白黒させていたが、声を掛ける義理もないので無視して通り過ぎた。
彼の方は昨日は突然仕事を休んだこともあり、帰りは遅くなるかもしれないとのことだった。私も追加のポーションを作らねばいけないが、締め切りには猶予があるので、いつも通りの一日になるだろう。
錬金術室へ行くと、部下たちから気づかわしげに挨拶をされた。昨日と変わらない態度に違和感を覚え、部下であるラセット副室長を室長室へと呼び出した。
室長室とは言っても、ほとんど物置と化しているような狭い部屋で、あちこちに資料が積み重ねられている。
「もしかして私が結婚したってみんなに伝えてないの?」
「私の口からそんなことを言えるわけがないでしょう。言ったが最後、彼らは護国騎士団に乗り込んで行きますよ」
大袈裟な副室長の嘆きに眉をしかめる。
「自分で結婚したって言うの? なんだか恥かしいんだけど」
「恥ずかしがる要素がどこにあるというんですか。相手はあなたを襲った男ですよね」
「それは本人の意志じゃないし、むしろあっちも被害者だし」
「そういう問題ではありません」
もう、と頭を抱えられても私も困る。
「とにかく結婚の報告は自分でしてください。私は一切関係ないし、巻き込まれたくありません」
「部下が冷たい」
「そういう台詞は、上司らしく振る舞えるようになってからおっしゃってください」
ラセット副室長とは一応上司と部下の関係だが、長い付き合いなので言葉に遠慮がない。
この副室長、出自は男爵家の三男坊で、最初は貴族という立場に警戒していたが、付き合っていくうちに貧乏くじを引いた苦労性ということがわかった。副室長という地位も、私の見張りと共に押し付けられたものだと皆が知っている。
「もう一度お尋ねしますが、本当に結婚を無理強いをされたわけではないのですね」
「違うよ、それなら断ればいいだけだし」
「それはそうですが、その、経過が経過ですからやはり信じられないというか、何か裏があるのではないかと思いまして。いやだって室長的に結婚する必要はありませんよね、いまだに意味がわかりません」
「例えば子どもができていたら、あらかじめ結婚しておいたほうが都合がいいじゃない」
「それはそうですが、妊娠しているかなんてまだわからないんですから、急いで結婚する必要もなかったでしょう」
「そうかな、それぐらいしないと彼の身が危うかったと思うけど」
昨日の時点で既にノア・コルクが加害者という調書が出来上がっていたくらいだし。
否定はできないと思ったのか副室長は視線を逸らした。
「それに話してみたら意外と性格の相性は悪くなさそうだったし。騎士なんて嫌なイメージしかなかったけど、護国騎士団は高慢ちきでもなく感じが良かったの」
「さらりと王宮騎士隊を卑下しましたよね。やめてください、私の立場をわかっていますよね、あなたの監視も兼ねてここにいるんですよ」
「報告されて困ることなんてないから好きに言っていいよ」
「報告しにくいから、言うなと申し上げてるんですよ!」
とうとう怒りだした副室長はまだ三十を過ぎたばかりだというのに、出会ったときよりも髪が薄くなっている気がする。きっと遺伝だろう。
「とにかく結婚は私が言い出したんだから、周りに何か訊かれたらそう答えてね。もう三十路も近いし、機会があればと思っていたのよ」
「誰がそんな言い訳を信じるんですか。生涯独身を貫き通さんとばかりに、すべての縁談を蹴散らしていたくせに」
「それは貴族が相手だからでしょ」
つーんとそっぽを向いたところで、部屋の扉がノックされた。
入室を許可すると、部下の一人が申し訳なさそうに入ってきた。
「お話し中にすみません、スレート王宮騎士隊長がお呼びです」
「私は用事なんてないから帰れって伝えて」
どうせたいした用事じゃないし顔を見るのも嫌なので条件反射で断ると、副室長の目がますますつり上がった。
「なにを言ってるんですか、一介の部下に押し付けないで、自分で出向いて断って下さいよ」
王宮騎士隊長の呼び出しを断るという行為を叱らないあたり、彼もずいぶんと私に毒されたものだ。
私と違って彼には貴族の付き合いとやらがあるのだから、もう少し自衛に気を遣った方がいいのではないだろうか。
だがそんなことを口に出せば小言が増えるだけなので、仕方なく邪魔者を追い返すために部屋を出た。




