06. 王宮騎士隊長
新居の見学を終える頃には教会で生まれた気まずさも払拭され、俺たちは一旦王宮へ戻ることにした。
「俺の方の保証人はチリアン隊長に頼むとして、リーンはどうする? もし誰でもいいなら騎士団から見繕うぞ」
「ちょっと当たってみたい人がいるんだけど、最初に名前を書かせてもってもいいかしら」
自分たちの名前は既に教会で記入してあるので特に問題はない。あえてなのか、頼みたい人物の名前を出さないのが気になるところだ。
「じゃあ俺は護国騎士団へ戻っているから、その人に書いてもらったら来てくれるか」
「うん、わかった。そんなに時間はかからないはずだから」
「急がなくていいぞ。第一隊の執務室にいるからな。あ、場所は」
「誰かに案内してもらうから大丈夫」
リーンと手を振って別れた。
本当に俺に思うところはないようだ。それはそれでどんな思考回路をしているのか心配なのだが。
護国騎士団の本部へ戻ると、すぐさま部下たちに取り囲まれた。一瞬、昨日のことを尋ねられるのかと思ったが、それにしては茶化すような雰囲気ではない。
「なんだ、どうかしたのか」
「どうかしたのかじゃありませんよ、コルク副隊長がいなくなったせいで大変なことになっているんですから」
そういえばチリアン隊長があっさりと留置所から出してくれたものだから、自分が容疑者の立場だったことを忘れていた。少なくともまだ何も解決はしていないのだ。
「チリアン隊長は?」
「執務室にいらっしゃいます。ですが副隊長が直接入るのは止めておいたほうがいいと思いますよ」
「俺がいなくなったせいで大変なことになってるって言わなかったか」
「しかし」
何が起きたのかは想像に容易い。部下たちを宥めながら第一隊の執務室へ向かうと、案の定そこには王宮騎士隊の制服を着た奴らが立っていて、俺の顔を見るなり目を見開いた。こっちはお前らの顔なんか知らねえよ。
「ノア・コルクか?」
「副隊長を呼び捨てとは無礼な!」
俺が何か言うよりも先に、一緒にやってきた部下たちがいきり立った。可能な限り衝突は避けたいので手振りで制止した。
「罪人に敬称など不要であろう! スレート隊長にお知らせしろ」
一人が執務室へ続く扉を力強くノックし、中の返事も待たずに開け放った。
隊長という呼び名からまさかとは思ったが、執務室の中にいたのは王宮騎士隊の隊長であるハーレ・スレートその人だ。
これはまたずいぶんと大物が出て来たものだ。
ハーレ・スレートの実家は確か侯爵家のはずだ。嫡男ではないが、生まれたときから出世が約束されている人物だと噂されている。
しかしリーンもまた幼い頃から国が保護するほどの錬金術師で、その肩書きは錬金術室長だ。考えてみれば、王宮騎士隊長が出て来るのも当たり前かもしれない。
緊迫した廊下とは裏腹に、室内には落ち着き払ったスレート王宮騎士隊長と、いつもと変わらぬ無表情のチリアン隊長が応接用のテーブルを挟んで相対していた。
出入り口に立っている王宮騎士らを無視して、室内へ足を踏み入れると、チリアン隊長が俺の隣にリーンがいないことを確認した。
「一人で戻ったのか。ファイア錬金術室長はどうした」
「用事があるということで先ほど別れました。またここで落ち合う予定です」
「だそうですが」
チリアン隊長に話を振られたスレート王宮騎士隊長は、それには答えず、ソファから立ち上がると俺の方へ歩み寄って来た。
王宮騎士隊長は騎士にしては細身で、貴公子という言葉がよく似あう顔立ちだ。俺とたいして歳は違わないはずなのに、貴族ならではの貫禄を備えている。
「初めまして、王宮騎士団のハーレ・スレートだ」
「護国騎士団、第一隊副隊長のノア・コルクです」
敬礼をすると相手も返してくれた。間近で見ると、美形力が半端じゃないな。まあ目は笑っていないのだが。
「リーンはまたここにやって来るのだな」
「そのようにおっしゃっていました」
「なるほど」
彼女は王宮騎士隊を毛嫌いしていたというのに、スレート王宮騎士隊長は親し気に名前で呼んでいる。この温度差はなんなのだろうか。
「彼女にも困ったものだ。周りが皆心配しているというのに勝手に抜け出して、事もあろうに君と一緒だったとは」
チリアン隊長はどこまで話したのだろうか。リーンがやって来ないことにはスレート王宮騎士隊長も引き下がらないはずだ。
こんなことなら一度こちらに顔を出してもらえば良かった。そんなに時間はかからないと言っていたが、保証人を頼みたい人物とはすぐに会えるのだろうか。
「君たちは一体どこへ行ってきたんだ」
笑顔だが有無を言わせない圧力を感じる。命令することに慣れている貴族らしい態度だ。自分の質問に俺が答えないなんて考えもしないのだろう。
「少し街を歩いてきました。ファイア室長は外の空気を吸いたかったようです」
「わざわざ君を連れて?」
「ええ、歩きながらいろんなお話をさせていただきましたが、楽しい方ですね」
「楽しい?」
表情には出さなかったが、わずかに不快の色が声に出た。
「君にそのようなことを言う資格があるだろうか」
さすがに痛いところを突いてくる。
「扉を閉めろ」
王宮騎士が隊長の指示に従いそのまま退室した。
高貴な身分の王宮騎士隊長を、そんな素直に俺たちのような平民と閉じ込めていいのかねえ。
しかし考えてみれば最初からチリアン隊長と二人きりだったので、既にその問答は終わっているのだろう。
「君が彼女に暴行をしたとの報告を受けている」
「そうですか」
否定も肯定もせずに流す。俺の強気な態度に公爵は何かを感じとったようだ。
「彼女となにを話したんだ」
「ただの世間話ですよ、最近の街の様子や噂話など、とりとめもないことです」
探るような視線に笑顔を返す。
「彼女は、辛いときでも笑える人だ」
そちらこそ突然なにを言い出すのか。話の脈絡がわからない。
「笑っていたからと言って楽しんでいるとは限らず、むしろ怒っていることの方が多い」
つまりさっきの俺の楽しい人発言に対しての抗議か。迂遠すぎてわかりにくいな。
「なにか誤解があるようですが、出かけている間、ファイア室長が笑っていたわけではありませんよ」
「では先ほどの楽しい方だというのはどういう意味だ」
「話してみた俺の感想です」
「感想? リーンが楽しい人?」
先ほどまでの表情とはうってかわって、信じられないものを見るような目を向けられた。
「いや、ちょっと待て。どちらにしろ君にそのような発言をする資格はない。君がリーンを傷つけたのは間違いないのだから」
否定はできないので黙っておこう。
「リーンとは前から知り合いだったのか?」
「いえ、違います」
「ではなぜ彼女は」
聞き取れないほど小さな声で呟いたスレート王宮騎士隊長は自分の世界に入ってしまった。
視線だけでチリアン隊長を見ると、我関せずといった顔で既に冷めているであろう紅茶を飲んでいる。俺が戻るまでどうやってこの王宮騎士隊長と渡り合っていたのか、こんなときでもなんとも不思議な人である。
ふいに廊下から怒鳴り声が聞こえてきた。護国騎士と王宮騎士がもめ始めたかと立ち上がりかけたところで、爆発音と共に執務室の扉が内側に吹き飛んできた。
咄嗟に腰の剣に手を当てたが、そこに立っていたのはまさかのリーンである。
「ごめんなさい、邪魔だったから吹き飛ばしてしまったわ」
邪魔? なにが?
「ファイア錬金術室長、邪魔だからといって扉を壊されては困ります。扉とは手で開けられるように作られているのです」
チリアン隊長も立ち上がってはいたものの、リーンだとわかって通常モードに戻った。通常すぎて怖いくらいだ。
「私だって普段は手で開けるわよ。邪魔な人たちがいたから扉ごと排除しただけで」
「ちょっと待て、君は僕の部下をどうしたんだ!」
スレート王宮騎士隊長が慌てて扉から出て行くと、入れ替わるようにしてリーンが中に入って来た。リーンに邪魔だと思われたのが、自分の部下たちだと解釈したらしい。
まさかうちの騎士たちまで邪魔の範疇に入っていないだろうな。首を伸ばして覗いたが、護国騎士に慌てている様子はないので、ひとまず大丈夫そうだ。
「スレート王宮騎士隊長はずいぶんあなたのことを心配していましたが、関係性は朝におっしゃっていた通りなのでしょうか」
「関係性? あんなのと他人以外の関係なんて持った覚えはないけど」
チリアン隊長がちくりと刺すような言葉を向けると、リーンは眉間に皺を寄せた。
しかし俺の目にもスレート王宮騎士隊長はリーンを心配していたように見えた。これはもう一方的にリーンが嫌っているだけなんじゃないだろうか。
「王宮騎士隊に嫌われているという話とは違うように見受けました」
「嫌われてるわよ。それ以上に私の方が嫌ってるけど。仲が良かったことなんて一度もないわ。あと敬語は不要よ、私も止めるから」
「承知した」
リーンの提案にチリアン隊長はあっさり頷いた。この二人、どちらも言葉を飾らないタイプなので話が早い。
「扉は後で修理してくれるよう資材部に依頼しておくわ」
「扉はともかく外にいた奴らは大丈夫なのか」
「ここは絶対に通さないとか言っていたわりに、爆薬を投げたらすぐに逃げたから問題ないでしょ」
「問題ないわけあるか!」
部下の無事を確認したスレート王宮騎士隊長が眉を吊り上げて戻ってきた。さっきまでのすまし顔はどうした。
「屋内で爆薬を使うなんてなにを考えているんだ、そもそも君はいつもそんなものを持ち歩いているのか」
「ええ、最近身の回りが物騒なもので」
リーンの言葉がスレート王宮騎士隊長を突き抜け俺にも刺さる。たぶん彼女に悪気はないんだろうが、一瞬息が止まるほどの衝撃だった。
「物騒だと思うなら王宮から勝手に出歩かないようにしたらどうだ。今日だって騎士たちの目を盗んで部屋から出て行くなんて、周りがどれだけ心配したと思っているんだ」
「副室長へ書き置きしてきたので問題ありません」
「あんな紙一枚で出て行くなんてどうかしてる。君は自分の立場をわかっているのか」
「ええ、もちろん」
「いいや、わかっていない、わかっていたら勝手に出歩くなんて真似をするわけがない。聴取の協力だって拒んだと聞いている」
「聴取? いったいなんの聴取のことでしょうか」
冷静さを失いかけているスレート王宮騎士隊長を、リーンは鼻で笑ってさらに挑発した。
「君は今回の件で事情聴取に応じなかったそうだな」
「いいえ、一部始終を話しましたよ。ただしその後に出来上がってきた調書の出来があまりにも酷くて署名を拒んだだけです。話したことの半分以上が作り話に変換されていましたが、あれは誰の指示ですか?」
ここに来ての笑顔は怖い。さっき王宮騎士隊長が言った、笑顔のときこそ怒っているというのはまさにこのことか。
「誰もそんな指示はしていない。ただしここは王宮だからな、醜聞を憚る意味でも、なるべく事件を目立たなくさせる方向に力が動いたということはあるかもしれない。しかしそれは君のためでもあるはずだ」
「私のためという詭弁はいい加減に聞き飽きました」
「君が飽きたかどうかは関係ない。それに君は事実、王宮騎士の庇護下にある。指示には従ってもらわねば困る」
「庇護下? 指示に従う? 私がいつ王宮騎士隊の下についたというんです。役立たずの寄せ集めで、ろくに仕事をしていないあなた達の下に」
王宮騎士隊が貴族の次男坊や三男坊を集めて作られた組織だということは周知の事実だ。
家を継ぐ嫡男はともかく、それ以外の子弟はよほど優秀で家の役に立つようでなければ、外で仕事を見つけなければならない。もちろん自分の才覚で職に就く者もいるが、誰もがそのような甲斐性があるわけではない。そういった者たちを放置しておくとろくなことをしないので、わざわざ救済措置として王宮騎士隊へ入れるわけだ。
「僕たちは与えられた仕事を遂行している。君にとやかく言われる筋合いはない」
「仕事? 王宮騎士隊に仕事なんて、ああ、ただ突っ立ってるだけでもお仕事と呼ぶんでしたっけ。良いご身分ですこと」
おいおい、相手は貴族だぞ。嘲笑を浮かべるリーンに、こちらの方が焦ってしまう。
「君にどう見えているかは知らないが、王宮の警護は立派な仕事だ。誰かがやらねばいけないことでもある。君のいる錬金術室だって、僕たちが」
「その口を今すぐ閉じなさい。恥という言葉の意味を知らないの? それ以上続けるなら、私も容赦しないわよ」
これまでの言葉のどこに容赦があったのかわからないが、リーンの表情から笑みが抜け落ちた。
両者は声を荒げるでもなく睨み合っていて、とても口を挟める雰囲気ではない。
しかしやがてスレート王宮騎士隊長の方が視線を外した。
「このままここで言い争っていても迷惑をかけるだけだ。場所を変えよう。君も見張りの騎士を出し抜いて、もう気は済んだだろう」
「これ以上お話しすることはありません。調書にどうしても私の署名が必要ならば、私の話した事実を書いて持ってくることです。あなたたちに都合のよいよう事実をねじ曲げた作り話ではなくてね」
「君が怒る意味がわからない。君は被害者で彼は加害者だ」
「いいえ、私も彼も被害者です」
リーンは青い瞳に怒りを浮かべてまっすぐに王宮騎士隊長を睨んでいる。
「いい加減にするんだ、リーン」
「軟禁されようが監禁されようが、私の意見は変わりません。話はこれまでです」
ここから出て行くのはお前だけだと言わんばかりの態度に、スレート王宮騎士隊長は大きく息を吐いた。
「わかった、ここはいったん俺が引こう。続きはまた今度だ」
まるで子どもに言い聞かせるような態度だ。冷静に今のやり取りを見ていれば王宮騎士隊長が言い負けた、もしくはリーンが意地を突き通したとわかるのだが、最後の一言でまるで自分が彼女の我がままを聞き入れたかのように変換した。
リーンが俺を庇ってくれているのでなければ、さすがはお貴族様と褒めてやりたいくらいである。
そうして俺には一瞥もくれず、チリアン隊長へ時間を取らせたことを詫びて、スレート王宮騎士隊長は立ち去った。