05. 二人だけの結婚式
話がまとまったところで、チリアン隊長はようやく俺を留置所から出してくれた。
昨日の騒ぎがまだ収まっていないので、護国騎士専用出入口から王宮の外へ出ることにした。
またローブのフードで顔を隠した彼女と向かう先は教会だ。
「いつも顔を隠しているんですか」
錬金術室には目立ってはいけない規則でもあるのかと不思議に思って尋ねると、彼女は首を横に振った。
「今日は知った顔に見つかると面倒だから」
「もしかして周りに何も言わずに護国騎士団へやって来たんですか」
「部下宛に伝言を置いてきたから問題ないわ。そもそも王宮騎士隊に行動を制限される覚えもないし」
王宮騎士と特定して言ったわけではないのに、不機嫌そうに早口で呟かれた。
「先ほどもおっしゃっていましたが、王宮騎士隊とは本当に仲が悪いんですか?」
頭一つ分低い位置から彼女は俺を見上げてきた。春のひざしの下で見ると、瞳の色がはっきりとした青だとわかる。
「少なくとも私は、あの組織を潰したいほどに嫌ってる」
いちいち発言が過激だなあ。
「そもそも仕事なんてしてないでしょ、あいつら。今回の事件も勝手な筋書きを作って、そこに証言を当てはめて終わらせたいみたいだったし」
乾いた笑いが俺の口からこぼれる。
「丸く収まりそうな筋書きがもう用意されていましたか」
「ええ、私が被害者であなたが加害者というわかりやすい筋書きがね」
もしそれが本当だとしたら、裏で王族が関わっていたという話も頷ける。この結婚によって救われたのは俺の方だ。
「結婚の申し込みを受けてくださったのは、そのこともあってですか」
「否定はしない。あなたから申し込まれなくとも、期限付きの婚約を切り出すつもりだったから」
「それこそあなたにメリットはないでしょう」
「油断したのは私だもの」
「それを言われると、俺も立つ瀬がありません」
苦笑すると、じっと見つめられた。
「ねえ、敬語は止めない?」
俺の話し方が気になったらしく、彼女は足を止めて見上げてきた。一応は彼女の方が立場が上なのだが、これからずっと敬語というのも疲れるので、その提案には賛成する。
「それならついでに名前で呼ぶことも許してもらえると嬉しいんだけど」
「そういえばきちんと名乗っていなかったわね。リーン・ファイアよ」
「結婚を決めた後に名乗るのも不思議なものだな、俺はノア・コルク。ノアと呼んでもらえるかな、リーン」
リーンは頷いてまた歩き出した。すぐに呼んではくれないところが懐かない猫のようで可愛い。
「ところで家はどうしようか。俺は護国騎士団の寮暮らしなんだが、リーンは?」
「私も同じようなものよ。寮ではないけど、錬金術室員はみんな三ノ宮に自室を与えられているの」
王宮内は広く、護国騎士団の本部や寮もその中にある。中央には二十の宮が建てられ、国政に関わる重要な機関が入っている。しかし、その中に自室を与えられた者がいるなんて話は聞いたことがない。
護国騎士団も本部は七ノ宮にあるが、寮は宮から離れた場所に建てられている。つまりそれだけ錬金術室が厚遇されているということだ。
「王宮内で一緒に暮らすのは無理だから出るとして、普通は誰かに紹介してもらうものなのかしら」
「そうだな、仲介業者の知り合いがいるから、このまま教会の後に行ってみようか」
「仲介業者って、家を紹介する仕事を生業にしているの?」
「家以外にも土地だったり、新築や改築なんかの業者紹介も請け負ってるよ」
「なんだか大変そうな仕事ね」
「向き不向きはあるな。人と上手く付き合えないと難しいだろう」
そんなたわいもない話をしながら俺たちは教会へ向かった。
婚姻届は教会に出す。ということぐらいは知っていたが、それ以上は二人とも知識がなかった。
今日これから結婚したいと話すと、神父は目を丸くしていたが、リーンの格好から訳ありと感じ取ったのか、引き受けてくれた。費用がかかるらしく、お布施として金貨一枚を支払った。
普通は祭壇の前で、結婚の制約、指輪の交換、結婚の証明書にサインをするらしいが、突然のことだったので指輪の用意などないと言ったら、そこは省略しても良いとの許可をもらった。
今さらながらに気づいたことがある。
「君のご両親に結婚の許可を得る必要はないのか?」
「子どもの頃に二人とも亡くなって親戚もいないから、許可をもらうような相手はいないわ。あなたの方は?」
「俺も両親は他界してるし、親しくしている親戚もいないから問題ないな」
いざ二人で祭壇の前に立つと、普段は神様なんて信じてもいないのに、不思議と背筋が伸びた。祝詞を唱えた神父が俺とリーンに問いかける。
「お互い手をたずさえて、どのような困難が訪れようとも、互いを信じ助け合うことを誓いますか?」
「誓います」
俺の言葉の後にリーンも復唱する。手順は簡単だが、これで夫婦になったのかと思うと、なんだか不思議な気分である。
ただし婚姻届を出すには新郎新婦それぞれに保証人が必要らしく、いったん王宮へ戻って保証人を探さなくてはならない。
「では誓いのキスを」
しかし神父の一言で、俺もリーンも固まった。そんな話は聞いていないが、結婚式でのキスは子どもでも知っている習わしだ。
ちらりとリーンを見ると、覚悟を決めたらしく俺の方へ体を向けてきた。しかし俺はともかく今のリーンにこういう接触は辛いのではないだろうか。
動かない俺に、神父がどうしたのかと訝しむ。
覚悟を決めて俺もリーンの方へと体の向きを変えた。
その頬に手を当てると、リーンが目を閉じた。気の毒なほど体に力が入っているのがわかる。
ごめんと心の中で謝り、額より少し上の、髪の毛へと口付けた。唇はまだ早いだろう。
体を離すと、リーンは目を開けて驚いた顔をしていたので、笑ってごまかしておく。
神父に目配せして締めの言葉を述べさせ、俺たちの結婚式は終わった。
教会を出てからは、どこかぎこちない雰囲気で仲介屋へと向かった。
髪にキスをしたくらいで、どうしてこんなに照れくさい気持ちになるのか。まるで十代に戻ったようだ。
突然訪ねたものの、仲介屋は詮索することなく、俺たちを応接室へ通してくれた。
こちらの条件は、王宮からあまり遠くなくて、小さくても良いので庭があること。俺はアパートメントでも構わないが、リーンが薬草を育てたいらしいので戸建てを希望した。
そんなに難しい条件ではないはずなのに、仲介屋は渋い顔をした。
「一年前に国王陛下が即位したばかりでしょう。これからしばらくは景気が上向くと予測して、郊外から王都へやって来た商人たちが多くてね、いい物件はみんな売れてしまったんですよ」
「あー、なるほどなあ。考えてみれば俺たちもそれまではあちこち行かされて、ようやく最近になって王都に落ち着いたようなものだからな」
隣に座るリーンがどういうことなのかと不思議そうに見つめてきたので説明する。
「少し前まではさ、一度遠征に出るとなかなか王都に戻って来れなかったんだ。魔物の討伐以外にも、その地域を統べる官吏や警吏の手に余る仕事が回ってきたりして。その仕事が片付いても、次はあっちへ行け、その次はこっちだって感じでな。でも今の国王陛下は、官吏と警吏の仕組みを見直して、俺たちが本来の仕事に集中できるようにしてくれたんだよ」
「ああ、陛下の即位に伴って大幅な人事移動があったものね」
この辺は俺よりも、常に王宮内にいるリーンの方が詳しいだろう。
仲介屋の前で、こういった王宮の生くさい話をするのもよろしくないので、軌道修正する。
「しかし、そうなると王宮の近くは難しいわけか。困ったな」
「私としてもコルク副隊長にはお世話になっているので、ぜひともうちが紹介したいのですが、王宮の近くとなると極端に大きな屋敷や事故物件しかなくて」
仲介屋が腕を組んで唸る。事故物件ならあるわけだ。俺はあまり気にしないが、女性は避ける傾向が多いだろうな。
「事故物件とはなんですか?」
リーンにとっては、聞き慣れない言葉だったようだ。
「事故物件というのは、所有者やご家族に不幸があって手放された家のことです。縁起が悪いのでなかなか買い手や借り手が見つからないのですよ」
「所有者が亡くなったとかでしょうか」
「ええ、ただし普通の病気や老衰などではなく、殺人や自殺などそれこそ護国騎士団の皆様のお世話になるような事件が起きた場所です」
リーンが俺を見上げてきた。
「クリーン魔法は使える?」
「それぐらいならお安い御用だ」
なにせ護国騎士団は魔物と戦うので魔法の得意な者が多く、副隊長である俺も当然複数の魔法を使いこなせる。
クリーン魔法は初歩的な魔法だし憶えていると便利なので、使える者は市井にも多いのだが、わざわざ聞いてくるということはリーンは使えないのだろう。
「だが掃除はきちんとしてあると思うぞ」
「そりゃもちろんです。それでも気持ちが悪いからと言って避けられるんですが」
仲介屋が本当に構わないのかとリーンに確認する。
「掃除がしてあるのなら私は構わないけど」
「じゃあ、事故物件で条件にあうものを見繕ってくれないか」
「わかりました」
仲介屋は奥の部屋から一束の資料を持ってきた。
「それならばこちらのお屋敷をお薦めします」
「屋敷って、そんなに広い家はいらないぞ。管理が大変だからな」
「いえいえ、元々はとある男爵が愛人を住まわせるために作らせた家なので、屋敷と言ってもこじんまりした可愛らしいものですよ」
「どんな事故がそこで起こったんだ?」
「この屋敷内ではありません。本宅に乗り込んだ愛人がで妻と口論になり、巻き込まれた男爵が刺されて亡くなったそうです」
口論に巻き込まれての刺殺。どちらかが、あるいは両方が武器を仕込んで相対したということか。男が刺されたのは自業自得のような気もするが、それは確かに縁起が悪い。
「爵位は没収され、妻も愛人も罪人として囚われました。醜聞を恐れた親戚が、すぐに屋敷を売り払いに来たんですよ」
「しかし事故物件というほどでもないんじゃないか」
「ところがその前にもまた事件のあった場所でして、土地の所有者が不審死を遂げているんです」
「所有者が二人続けて死んだということか」
「その前には、その土地から十体の遺体が見つかっています」
「十体って、なんだその尋常じゃない数は」
「さらに前の持ち主が殺したそうです。あ、ですが次に土地を買った方が、すべて土を掘り起こし確認したので、もう死体は出てこないでしょう」
「それは何よりだな」
これ以上そこで事故が起きなければの話だが。
「で、その屋敷のどこがお薦めなんだ?」
「新築で家具がついています。庭も広めにとってあるので、薬草の他にもいろいろ植えられるかと」
「そこだけ聞くと悪くないな。金額は?」
「こちらでどうでしょう」
そう言って仲介屋が提示した価格は条件のわりに平均を下回っていた。
「ずいぶん安いが、まだ何かあるんじゃないのか」
「とんでもない、今の話ですべてですよ。ただ家も家具も使わずに置いておくとすぐに傷みますから、買い手があるのであれば早めに手放したいだけです」
リーンに視線を向けると、反応は悪くなさそうだ。
「気に入った?」
「悪くないと思う。花梨に柚子に柿が植えてあるのね。収穫できるくらい大きい木なのかしら」
「ええ、去年も生っていたので問題なく収穫できるかと」
「庭に関しては私が好きにしていいの?」
「俺の方にこだわりはないから任せるよ」
現物を見てから決めたいという話になり、屋敷を見学させてもらうことになった。
馬車で向かう途中、リーンは物珍しそうに窓の外を眺めていた。やはり普段、王宮から出ない生活を送っているからだろうか。
実際に見てみるとその屋敷は考えていたよりも庭が広く、彼女は嬉しそうだった。
本当に家具一式が揃っていて、今日からでも住めるらしい。新たに揃える物も少なくて済みそうだ。
それに小さいながらも馬小屋がついていた。
俺は騎士団から馬を貸与されているが、リーンもまた魔獣のガゼル・レックスを自前で飼っているらしい。
ガゼル・レックスは鹿のような体型をしている魔獣で、大きな角が特徴だ。攻撃力が高く足も速い。しかし馬よりも希少なので、その機動性と相まって値段も張るはずだ。
王宮にいるリーンがなぜそんな魔獣を飼っているのか謎である。
ところであの家にはベッドが一つしかなかったが、リーンは気づいただろうか。