03. 錬金術室長
周りの音が大きくなるにつれて意識が覚醒していく。なぜか俺の腕の中には裸の女がいた。
覚えがないわけではない。何かに浮かされるようにして抱いた記憶がある。甘くて切なくて、熱い感覚が残っている。
女は眠っている。いや、気を失っているのかもしれない。白衣を着た女たちが部屋の扉を閉めて人を追い払っている。次に俺の腕から女を取り上げると、慌ただしくその体に布を巻きつけ、顔も体もすべて隠すようにして足車のついた寝台へ乗せた。
ぼんやりしている俺を女たちは射殺さんばかりに睨みつけ、脅しのような罵詈雑言を吐いて部屋から出て行った。
自分の身に何が起きているのかわからない。しかし、とてもまずい状況にあることはわかる。とにかく状況を把握しなくては。そう冷静になろうとしたところで、次に現れたのは俺がよく見知った顔の上司だった。
常に冷静沈着で、滅多に感情を表に出さず正論を吐く。それはこんなときも変わらない。
『勤務中の情交は規則違反だ、コルク』
一気に目が覚めた。
眠りにつく前に考えごとをしていたせいか、昨日の出来事が鮮明な夢となって甦った。
見慣れない天井、嫌な汗、乱れた呼吸、目覚めは最悪である。
「目が覚めたか」
「うわあっ!」
突如として聞こえてきた声に飛び起きると、チリアン隊長が留置所へ入ってきたところだった。
昨夜は眠れずにうとうとしていたはずなのに、いつの間にか寝入ってしまっていたらしい。
「顔色が良くないな」
あなたが夢でまで正論を説いてくれたので、とはさすがに言えない。
「そりゃこんな状況ですからね。今は何時ですか」
「八時だ」
勾留中は食事が出る。わざわざ隊長が朝食を持って来てくれたのかと思ったが、それにしては何も持っていない。
「何か進展があったんですか」
「ファイア錬金術室長が目覚めた。お前に会いたいというから連れてきたのだ。ここへ入れるぞ」
「は?」
理解が追いつかないうちにも隊長は出入り口まで戻り、その扉を開けた。
入って来たのは長いローブを羽織った人物で、こちらへ歩み寄りながら目深に被ったフードを取った。鮮やかな赤い髪と対照的に瞳の色は青かった。
「なんでこんなところに」
本当にリーン・ファイア本人のようだ。昨日、裸で気を失っていた女性。記憶にある顔とも一致する。
慌てて寝ぐせがないか髪を手櫛で整えた。せめて身だしなみを整える時間くらいは欲しかった。
「巻き込んでしまってごめんなさい」
リーン・ファイアはなぜか頭を下げてきた。謝るのは俺の方だろう。まったく意味が分からない。
「コルク副隊長の身になにが起きたか説明をしたいのだけれど、まず彼をここから出すことはできませんか」
彼女に問いかけられ、チリアン隊長は首を横に振った。
「もしここであなたが襲われたと騒げば、彼は本当に罪人にされてしまうでしょう」
まだ隊長の中でリーン・ファイアへの疑いは解けていないようだ。彼女は申し訳なさそうに俺へと視線を向け、諦めたようにため息をついた。
「まさかこんなことになっているとは思わなくて、訪問が遅れて申し訳ありませんでした」
俺はいまだに事態を飲み込めないでいる。こんなことも何も、俺をここに入れたのはチリアン隊長の策である。申し訳なく思われることではない。
「昨日の一件ですが、狙いは私でコルク副隊長は巻き込まれただけなんです。私のことを気に入らない人間が企てたことです。本当に申し訳ありません」
また彼女は謝った。それが本当だとしたら、あなたが謝ることじゃないのに、むしろあなたも被害者なのに。
「たぶん犯人は明らかにされないでしょう。どちらの騎士が捜査をしたとしても」
どちらのとは、護国騎士団と王宮騎士隊か。つまり彼女も俺も泣き寝入りをするしかないような身分の人間が関わっているということだ。
俺は護国騎士団の副隊長とはいえ平民の出だ。しかし彼女は幼い頃から王城で暮らすような待遇を受けていて、庶民なのか貴族なのかは知らないが、王族からの覚えはめでたいはずだ。その彼女が黙るしかない相手とはいったい誰なんだろうか。
「あなたの方から何か質問はありますか」
どうやら俺に聞いてくれているらしい。気になっていたことが直接聞けるのであれば遠慮はしない。
「あの、体は?」
「体?」
「体は大丈夫ですか」
俺の質問が予想外のものだったようで、彼女は青い瞳を見開いた。
「ずいぶん手荒い真似をしてしまったようなので」
少し気まずそうにしながらも彼女は視線を逸らさない。
本当は俺の顔なんか見たくもないだろうに、しっかり目を合わせて話してくれる。
「大丈夫です、ポーションで治療しましたから」
昨日、隊長の言った通りだ。だからといって彼女がわざとやったとは思わないけど。
ポーションと一口に言っても種類は様々で、彼女が使ったのは治癒のポーションだ。その中でも上級、中級、下級とあって、それぞれ回復の度合いが違ってくる。彼女がどれを飲んだかはわからないが、体の傷はひとまず塞がったようだ。
「謝って済む問題じゃありませんが、本当に申し訳ありませんでした」
「いえ、コルク副隊長が謝る必要はありません。私の不注意が招いたことですから」
「不注意?」
それはむしろ俺の台詞ではないだろうか。
「手紙で呼び出されたんです、断れない人の名前で。私が一人であの部屋に行かなければ、あなたが巻き込まれることはなかったでしょう」
「その呼び出した相手の名前を伺ってもいいですか」
彼女は困ったように眉間に皺を寄せた。巻き込んでしまった以上、話す義務があると考える一方で、口にするのも憚られる人物が関わっているのかもしれない。
「すみません、無理を申し上げてしまったようですね」
この状況で困らせるのも気の毒になり、質問を取り下げようとしたのだが、彼女は首を横に振った。
「ここだけの話と聞き流してください」
俺とチリアン隊長が頷くのを見て、彼女は重々しく口を開いた。
「私を呼び出したのは皇太后です」
まさかの人物に息を呑む。隊長も珍しく顔をしかめていて、そんな大物が関わっているとは予想していなかったようだ。
そりゃ皇太后が相手では訴えたところで分が悪い。
「それは、ご本人からの呼びだしだったのでしょうか。それとも誰かが名前を語ったのでしょうか」
とうとう黙っていられなくなったようでチリアン隊長が口を挟んできた。
「確証はありませんが、本人です」
「確証ならば受け取った手紙があるのではありませんか」
「届けた者がその場ですぐに回収しましたから。ですが、そこには確かに皇太后の印がありました」
届けた者を問い詰めても、手紙がないのであれば確認のしようがない。中身なんて知らないと言い張られればそれまでだし、皇太后だって白を切るはずだ。
誰が犯人なのか、証拠のない状況で騒ぎ立てれば、逆に訴えられてしまうだろう。なるほど、これでは犯人が明らかになることはない。
「しかし、なぜそこまでしてあなたに傷をつけたかったのでしょうか」
「隊長!」
チリアン隊長の言葉を飾らないところは美点だと思うが、こういうときに率直すぎるのは少し困る。
止めに入った俺に、彼女は苦笑した。
「国王陛下がまだ王子だった頃、私が側室に上がる話が出て、断ったことをいまだに根に持っているのでしょう」
「そんなことで?」
しかも国王陛下はいまだ独身だ。皇后より先に側室を持つなんて、今後のことを考えれば揉める種になりかねない。断ったとして恨まれるほどのことだろうか。
「見栄を気にする彼らには大切なことなんです。まあ、その話を受けたところで今度は平民ふぜいがと見下されるのでしょうが」
皮肉気に顔を歪められた。どうやら彼女は貴族ではないらしい。
しかし陛下が即位したのは一年も前だぞ。なんで今さら……。
「もしかしてこれまでにも嫌がらせはあったんですか」
「まあ大小様々に」
彼女は疲れたようにため息を吐いた。
「でも、この手の嫌がらせをされたことは初めてです。飽きもせずによくやるものだと相手にしていなかったのが悪かったのかしら。少しぐらい悲しんだり悔しがったりしてみせるべきでした」
いやいやいや、そういう問題じゃないから。
「そんなわけで巻き込んでしまったことを謝罪しに来ました。もちろん今回の事件に関してコルク副隊長に非がないことは証言しますし、私にできる償いであればするつもりです」
「やめてください、あなたが謝ることではありません」
許しを請うのは俺の方だ。意識のあるなしに関わらず酷いことをした。騎士なのに罠だと見抜けなかった。彼女を責める資格なんて俺にはない。
「俺こそ易々と引っかかってしまって、申し訳ありませんでした」
彼女は首を振って、謝罪は必要ないことを示した。そんなはずないのに。
「本当はここに来るのも嫌だったでしょう」
「いえ、それはむしろ来るのが遅くなったくらいで、あなた自身に含むところはありません」
その言葉が本心なのかはわからないが、彼女がそうあろうとしているのは目を見ればわかる。王宮なんて貴族の策謀がはびこるような場所で育ったというわりに人が良すぎやしないだろうか。
「話を遮ってすまないが、もう一つ懸念事項があるのではないでしょうか」
チリアン隊長の言葉に、思い当たることがあるのか彼女の表情が固まった。なんだ、懸念事項って。まだ何かあるのか。
「行為には結果が伴うものだ、コルク」
結果? この場合の行為とはなんだ、なにを差している。
彼女は意を決したように口を開いた。
「チリアン隊長が言いたいのは、もし子どもができていたらということでしょう」