02 王子10歳の夏~誕生日~
季節は移ろい、夏。春にウィリアム殿下と婚約してから4ヶ月ほどが経った。
その間、大体2週間に一度のペースで親交を深めるためのお茶会が開かれている。場所は王宮。エデルソン公爵邸で行っても良いのだが、まだまだ不遜な態度を崩さない殿下相手には時期尚早だと思っている。何故なら、公爵邸に呼べば今の殿下なら「フン、何故俺が出向かなければならないのだ」くらい言いそうだからである。
そして今日も今日とて殿下は絶好調だった。
「フン、俺のご機嫌取りとはご苦労なことだな」
まだ9歳だというのに、どこでそんな言い回しを覚えてくるのかしら、と不思議に思いながら私は微笑む。
「まぁ、そんなこと仰らないでくださいまし。私は純粋に殿下にお会いしたくて来ているのですわ」
「フ、フン。そんなことを言っても騙されないぞ。お前は俺ではなく第4王子という身分に会いに来ているのだろう」
あらあらあら。また可愛らしいことを言って。あまりに可愛くてついいじめたくなってしまうわ。
「いやですわ、殿下。私が殿下の身分に惹かれているのであれば、殿下ではなくフィリップス殿下に会いに行きます。そうしないのは、ウィリアム殿下をお慕いしているからですわ」
フィリップス殿下はウィリアム殿下の兄君の、第2王子だ。外国の姫と婚約していたが、先日諸事情により破談となったばかり。つまり今はフリーなのである。
ウィリアム殿下の頬が朱色に染まる。視線はうろうろと彷徨い、何と言えばいいのか分からないようだ。その心底困った様子も可愛らしい。
私は紅茶のカップを静かにソーサーに戻し、笑みを深くした。
「私、最近読書にはまっておりますの。巷では恋愛小説が流行っておりまして、私もたしなみとして読みますのよ」
「恋愛小説? フン、低俗だな」
「あら、では殿下はどのような本をお読みになりますの?」
「俺は冒険譚だな。勇者一行が魔王を倒すんだが、その仲間たちの友情物語がワクワク…し、て…」
嬉々としてニコニコ顔で語りだした殿下は、途中で我に返ったらしく、急に恥ずかしそうに俯いた。
「冒険譚も面白そうですわね。おすすめの本はありますか?」
「そ、それならJ.オリーブスのものならどれを読んでも面白いぞ」
私が興味を示したことに安心したのか、殿下は顔を上げておすすめを紹介してくれる。
それからしばらくの間、殿下のおすすめの本をひとしきり紹介され、その日のお茶会は解散となった。話している間、殿下はご機嫌だった。趣味の話ができる相手が他にいないのかもしれないわね。これなら殿下を懐柔、ん゛ん゛っ、殿下と仲良くなるのも楽勝だわ。
そして帰りの馬車に揺られながら、私は一人呟く。
「来月の殿下の誕生日プレゼントは決まりね」
翌月、ウィリアム殿下の誕生日を数日後に控えたある日。私はいつもの通り殿下とのお茶会のため王宮を訪れていた。
「殿下、もうすぐお誕生日ですね」
「フン、父上と母上がどうしてもと言うからな、仕方ないから誕生日パーティーにはお前も呼んでやる」
殿下の誕生日当日には盛大なパーティーが催される。私は婚約者なので、当然ずいぶん前から招待状をいただいていた。
成人していれば夜会を行うのが通例だが、殿下はまだ10歳。パーティーは昼間にガーデンパーティー形式で行うらしい。
「当日ですと直接お渡しできませんので、少し早いのですが、本日誕生日プレゼントをお持ちしましたの」
「そ、そうか。せっかくだから受け取ってやる」
私は侍女から丁寧に包装されたそれを受け取る。そして殿下に近づくと、にっこり笑って聞いた。
「中身は何だと思います?」
「…なんだ?」
「J.オリーブスの最新刊ですわ」
「! それは…来週発売予定のか?」
「ええ。しかもサイン入りです」
私の、公爵家の力をもってすれば、発売前にサイン入りの本を入手することなど造作もない。
殿下の両手がフラフラと私の手元の本に吸い寄せられる。私は一歩下がって殿下から離れた。
「殿下、プレゼントをお渡しする前にお願いがあるのです」
私は笑顔を崩さないように気を付けながら言った。殿下は訝し気な顔をしている。
「言葉遣いを改めて頂きたいのです」
「なんだと?」
「いきなり丁寧な言葉遣いをしろとは申しません。まずは俺というのをやめて僕に変えませんか?」
「何故だ?」
「その方が好ましいからです。殿下はわざと粗野な言葉遣いをしているように見受けられます。きっと理由がおありなのだと思いますが、私は殿下本来の話し方が聞きたいですわ」
「…」
殿下が沈黙する。なぜ殿下の一人称が俺なのかは知らないが、大方兄君の誰かに男はワイルドな方がモテるとかなんとか吹き込まれたのだろう。あと粗野な言葉遣いと言ったけれど、殿下の言葉遣いは粗野なのではなく尊大そうに聞こえるだけである。今はまだ可愛いわねぇ、で済まされるが、これが大人になるまで続いてしまうと、身分を笠に着た嫌味な男のようになってしまう。
私の育成計画では、殿下には素直な心で真っ直ぐに育っていただくことになっている。
「さあ、殿下」
殿下の視線が地面とプレゼントを忙しなく行き来する。私は笑顔で圧力をかける。
「プレゼント、欲しくありませんか?」
「…ぼ、僕…その本が欲しい…」
よく言えました~!! 偉い偉いと頭を撫でたくなるのを我慢して、私はプレゼントを差し出した。
「殿下、少し早いですがお誕生日おめでとうございます」
殿下が本をぎゅっと抱きしめる。よほどお気に召したらしく、口元がニマニマするのを抑えられていないわ…可愛いわねぇ。
早速包み紙を開いて本を見つめる殿下にほっこりしながら椅子に座り、私はお茶を飲んだ。
ちなみに誕生日当日のパーティーでは相変わらず尊大な話し方の殿下がいたが、一人称はちゃんと僕になっていた。
これがウィリアム殿下10歳、私が16歳の夏のことである。