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戦士の母

 この世界、この時代の司教と言えばまさに羨望の的だった。魔導士はその能力ゆえに恐れられる存在であった。剣士なら誰でもなれたがその宿命は過酷になり、どちらかというと剣士の待遇目当てで集まる者ばかりで、野蛮と言われる事が多かった。しかし司教は違う。命を救うことが使命の司教は、尊敬されて当然の存在だった。

 ましてや司教士官ともなれば、この世界を救ってきた。この世界の子供達の羨望が集まる職業だった。繰り返すがビエントの反応こそが、この世界の子供達の普通の感情だった。

 だが一方で戦場に出向く者達は、めったに子供達に戦場の現実など口にしなかった。それはとても口にできない凄惨な現実であるから、子供達には過酷な運命を知らずに毎日を過ごしてほしいという願いからだった。一方でそれは、現実を知らない罪深さも子供に持たしていた。

 戦場に出た者が必ず言う台詞があった。

「我々はあんなのと戦っていくのか…」

 誰もが絶句し、そのまま言葉を出せなくなるのが戦場だった。

 ソルがいた村が襲われた事はできるだけ公言しないよう村人に言い渡された。ある時、あまりに口の軽い者がいたために、政府はその者をしばらく見せしめに投獄してしまった。

 ビエントと別れたソルはまた過去を反芻していた。アクリラが血まみれになって倒れていた景色。自分が生命を使い果たすほど魔力を使った恐怖。姉を助けたい一心と恐怖がない交ぜになった混沌がソルの記憶にこびりついていた。

 そしてソルは実は法王と共に戦場をすでに見ていた。そこにあったのは象のように大きなベルーラスの大群が、司教と魔導士と剣士のトリクルに次々と襲い掛かる過酷な景色だった。

 ある者は体を食いちぎられ、ある者は一撃で即死していた。その決戦はこれまでの歴史にはなかったほどの激戦だった。軍はなんとかベルーラスを追い払ったが、それまで蓄えてきた戦力を大幅に失くしていた。

「あいつらは、ベルーラスはまた何年かすれば、同じぐらいの数で襲ってくるだろう。その時はソルの力が必要になるかもしれん」

 法王はそう言ったが、ソルはとても自分が太刀打ちできる相手とは思えなかった。法王の側で足をすくめ、自分の命の最期を感じたほどだった。

 ビエントと別れたソルは政府近くの住宅街を歩いていた。どの家からもいい匂いがしていた。ちょうど夕食の頃だった。

 ソルの住む家からはシチューの匂いがしていた。家の入る前にソルは今来た道に振り返り、深々とおじきをした。

「いつもありがとうございます」

 やや遠くに身なりを一般人のような格好にした魔導士と剣士が、魔法学校からずっとソルをつけて護衛していた。魔導士と剣士は厳しい顔つきを崩さず、小さく頭を下げただけだった。

 ソルが玄関を開き、家の中を見渡すとすでに夕食がいくつか食卓に並んでいた。母のシエロはせっせと食事の準備をしていた。火のついた釜戸にシチューがのせられ、シエロは何度もそれを味見してソルの帰宅を待っていた。

「今日のシチューは自信作よ、ソル」

「母さんの料理はいつだっておいしいよ」

「さすが私の息子。褒めるのがうまい」

 そう言うとシエロはにっこりと笑った。笑うと少し小皺が目立ってきたが、シエロにはまだまだ若々しさがあった。黒々した豊かな髪と、溌溂とした精気があった。

「お腹すいているでしょう。早く食べましょう」

 シエロに促されたソルはうがいをし、手を洗うと食卓に座った。

 二人で神へ祈りを捧げ、食事の時間が始まってゆく。

「先生から話があったよ。士官学校に入ってもらうって」

 パンを頬張り、温かなシチューを味わい、他にもシエロが作った惣菜を一通り食べ終えてから、ソルは話を切り出した。

「とうとうそんな話になったのね。あっという間」

 シエロは驚きも嘆きもせず、ソルに淡々と向き合った。少年を英雄にするしごきがソルに行われる、それをわかっていての態度だった。

「頑張ってね、ソル」

「頑張ってねなの? それが母さんの本心?」

「だって魔法があるから、私達はこうして三種族から守られて生きてこられたんですもの」

 ソルはまだ少年だ。ソルは子供を愛する親の本音が聞きたかった。

「僕と姉さんが魔法なんかに目覚めたから、家族は離れ離れになったんだよ」

「大人になりなさい、ソル。もう十五歳よ」

 いつも笑顔ばかりのシエロが、その瞬間だけ厳しい顔でソルを叱った。昔のシエロはソルをよく叱った。ソルが魔力に目覚めてからそうしなかったのは、ソルの心がただでさえ窮屈になったのがわかっていたからだ。シエロはあの惨劇以来、自分も司教士官の母になれるように努めてきた。

「母さんの本音なんか知らなくていいわ。あなたはもうすぐ士官学校に入るのよ。もうその事だけ考えなさい」

 シエロは自分の本心など握りつぶしていた。昨日までの親子の距離が変わり、もうソルの司教士官への道は始まっていた。

 小さく、臆病だった子供のソルが戦場に立つなど、シエロには恐怖でしかない。甘えん坊だったソルが、ベルーラスと戦うなど母親として許せるはずがない。

「それに離れ離れと言っても、私達家族はいつでも会ってきたじゃない」

 ソルとシエロは、アクリラとテレノが住む魔力の泉を何度も訪れていた。

「今の時代、魔力を持つ者は、親子で生きているのは珍しい時代なのよ」

 ソルの同級生には親を戦場で亡くした子供も多かった。シエロが日頃会う者の中には、子供を戦場で亡くした老いた者もいた。

「そうだね。母さんの言うとおりだ」

 思いもしなかった母の言動にソルは驚いたが、すぐに切り替える。その時にソルはいつでもシエロの胸に飛び込んで甘えていた自分と決別する決意をした。

(母さんがこれでいいなら、俺もこれでいい)

 ソルはそう胸の中でシエロに言う。

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