摸擬戦
ガンンッッ!!ドッ!ッッッ!
『軌跡』のクラン内にあるあらゆる限りの補強を施した外壁に数多の傷跡を残している訓練場には、二つの大小の影が消えては衝突を繰り返し鈍い音を辺りに響き渡らせている。
とういうのも、平和な王都散策をしていたところに朝から出掛けていたイルの登場により、イルとイアの摸擬戦が提案され、平和で呑気な午前中とは打って変わって拳が行き交う血生臭い午後となっているのだ。
ーーー
あれからご機嫌な様子でクランへと道案内をするイルに付いて行ったイアとルインの二人は、まだお昼なのもあって冒険者で賑わう『軌跡』のクラン内を平然と抜けようと、目的地である地下にある訓練場の方へと進んでいった。
容姿もさることながら、何事にも目立つイルとその傍にいる少し小さな可憐な少女の姿に一瞬静まりかえるクラン内。『軌跡』にはルインの幼馴染たちを含め、アンナさんから種族で言えばエルフが居たりなど割と多く顔立ちの整った者が所属している。ただ、基本的にどいつも多少問題を抱えてはいるが。
その後ろ、クランマスターの登場に気付いた一部の『軌跡』所属の冒険者達が声をかけようとルインの気まずそうな表情に後ろにいるイルの姿を見て……即座に回れ右をして一同何事も無かったかのように引き返した。皆少々顔が引き攣っている様子である。
クラン『軌跡』に所属している者には暗黙の了承が存在している。それは、—あの雰囲気になったルイン達には関わるな—、である。
第一に、不機嫌なイルに近づくな。第二に、アルメリアの薬は不用意に飲むな。第三に、ヤバそうに感じたらルインから逃げろである。
クラン『軌跡』に所属している者は絶対に一度はルインの”あれ”に巻き込まれて散々な目に合っている。 『軌跡』に所属した新人は皆この洗礼を受ける。たとえ新しく入ってきたのが高レベルの冒険者であっても関係ない。誰も教えないのである。そして身をもって実感してから学ぶ。その過程で乗り越えることによってより強く冒険者として成長する。
そして、一度捕まれば最後、逃げる方法はない。まさに、触らぬ神に祟りなしである。
何事も起こるはずもなく、皆が避けるようにとするりするりとクラン内を抜けた三人は訓練場に着いた。
そして笑顔でイルは訓練場を案内しながらクルリと振り返って、ルインへ微笑んで二人に話しかける。
「ここがうちの自慢の訓練場だよー!見てみてールインちゃん、また改良したんだよ」
勿論、ルインは自身を鍛えるなんてことはしないため滅多に来ない。そのため、訓練場内がどうなっているのかは知るはずもない。 たまに覗きに来ることはあってもそれは入口までで、基本的に止められなくなった幼馴染たちメンバーの回収役である。
ルインは適当にうんうんと頷きながら当初作った頃とは変わり果てた物騒な傷がある壁や仰々しい補強された周りに様子に戦慄しながらも、いつの間にこんなお金が費やされていたのか首を傾げている。
これらの損傷はほぼルインの幼馴染たちによるものだ。新作の薬の実験場につかったり、弟子との摸擬戦や、新技の試しだとか用途は様々。だが、どれもろくなものではないだろう。
その傍でイルは地面を跳ねながら準備完了とばかりに体を滾らせている。
「よし、じゃあ始めよっか!」
「はいはい、ちょっとストップ」
早速、戦い始めようとした血気盛んなイルにストップをかけるルイン。こめかみに手を当てて溜息まで出る始末である。
「えー、なんでとめるのーー?」
「…まだルールも何も決めてないでしょ。イアの意見も聞かなきゃ」
「ほえ、なんじゃ?なんかあるのか?」
何もピンときていないとぼけたような顔のイア。
「今から摸擬戦だからどこまでしたら終わりとか決めなきゃいけないんだよ。殺し合いをするわけじゃないんだからね。あ、あとケガもしないでね」
「ふむ、確かになのじゃ。わらわは別に大丈夫じゃから手加減をどうするかなのじゃ」
当然のように自身が負傷する心配はしていない、余裕すら見えるイア。むしろ、手加減の心配をしている。龍としての種族がそうさせるのか、十二極の一体、蒼龍たる所以なのか。
その発言にイアは表情を変え、目を鋭く細めにっこりと笑って言う。
「ふーーん、じゃあ手加減なしでいくね」
「…はいはい落ち着いて、ダメだよイル熱くなったら……はぁ、ルールは僕が決めるね。まずは全力はなし、それから訓練場が少しでも壊れるような攻撃もなし。そして僕がケガしないようにすること!いいね二人とも。約束守れないようだったらイルは一週間僕に触れるの禁止、イアはもう美味しいもの食べさせてあげないよ」
ルインから言われたことを理解した二人は一瞬ビクッと動きを止めて青い顔をしながらルインの方を向き必死で顔を上下に動かす。 約束を破った時のことを思い二人ともぶるりと震える。
「…る、ルインちゃんに抱き着けないのはいやーーー!」
「わ、わらわも美味しいもの食べられないのはいやじゃーーー!」
「なら僕が言ったこと守ること…いいね?」
己の命がかかっているのもあって念には念を入れ二人に注意するルイン。
摸擬戦とはいえ、龍とイルの戦いに巻き込まれたらほぼ間違いなく死ぬことは確定している。 ルインの貧弱さなら巻き込まれれば、二人の衝突による余波で死にかねない。
というより、全力で戦った場合はこの『軌跡』の訓練場であっても耐えられずに崩壊するだろう。
「よし、じゃあ僕が石を上に投げるから、それが地面に落ちたら開始ね」
いつの間にか場内の端に避難して、気持ちばかりの囲いに隠れて頭がひょこっと見えているルインの姿が。はたしていつそんなところまで移動したというのか。
へやっと気の抜けたルインの声と共に、小さな小石が頭上へと投げ出された。
地面に着いたかと思われたその瞬間、激しい衝突音が鳴り響く。姿も見えぬ神速の勢いで突っ込んだのはイル。気迫と殺気が乗った衝撃波が迸り、空気の層が可視化するほどの衝撃が生じる。
そしてそれを微動だにせず受け止めるイア。
イルの強烈な踏み込みにより地面が削れ、土埃が舞う中、容赦なくその顔面に蹴りを叩きこむ。
対して、イアは何食わぬ顔で蹴りを片腕で受け止める。
「へえー、やるねー。口だけじゃなかったんだね」
「っ!?……うむ、お、おぬしも人の割になかなかなのじゃ」
平然と攻撃を受け止めているかのように思われたイアだったが、その実、内心ではもの凄くビビり倒していた。
(な、なんじゃ!やばいのじゃ!やばいのじゃ!は、早すぎるのじゃ!まだ人の姿に慣れておらぬというのに。そ、それになんかこやつの顔恍惚としておって怖いのじゃーー!)
心の中で戦慄していたイアに、
「ニヒッ!じゃあ、もう少し速くするねー」
恍々とした表情のまま今のは準備運動と言わんばかりにイルは一段とギアを上げる。 ぐぐっと脚に力を込めて闘気と呼ばれる赫黒の炎のように見えるものを身に纏う。
「ほえ?」
さらにヒートアップしたイルに対して、イアはその容赦のなさとまだこの上があるのかと驚愕し理解が追い付かない様子。
だが元は流石龍というべきか。その体に汚れ一つない無傷のイアに、容赦なく再び襲い掛かるイル。
人の姿になること自体、もやはいつぶりか分からないイア。龍の姿でなら問題ないはないはずのものの、人としての体をうまく使うことの出来ないため、現状受け切る事で精一杯であるのだ。 龍のブレスすら放つことが出来ない縛りがある以上、素早く動き回るイルに対して対抗策はあるのだろうか。
所詮は人の子と舐めていたのが仇となったようである。
イルはその速さをもって背後に回り、狙うは後頭部への一撃。もちろんイルの頭の中から手加減という文字は消えている模様。
完全に決まったかと思われた無防備な後ろからの一撃、グリンっとイアは龍眼を爛爛と輝かせながら首を回すと、腕を一振り。
後ろへと弾き飛ばされたイルは宙返りしながら衝撃を受け流し着地。
そして、土埃で汚れた顔を拭い一拍置いたかと思うと、再びイルに追撃。ひたすらに突っ込む。
激しい攻防と音すら置いていく残影の正面衝突、鳴りやまぬ攻撃の嵐。
塵埃が舞い上がり、轟音と鈍い打撃音が轟き、ガリガリと地面を削り取っていく中、イアは人の姿になってなお底知れぬ龍の強さの片鱗を見せたかのように思われたが・・・
「———うのぉ!おわぁ!い、痛いのじゃ!も、もうやめてたもうーーーーっ!」
訓練場にグスグスっと情けない涙声が響き渡った。
というか途中から普通に容赦なくぼこぼこにされていた。最初から最後まで防戦一方である。
「ぐ、ぐすっ!も、もういやじゃ!こ、こやつなんか怖いのじゃ。わらわが攻撃を受け止める度に嬉しそうな顔しおってどんどん速くなっていくのじゃ…」
もう嫌だとばかりに横たわって手足をバタバタとして抗議をするイア。その姿に龍の威厳などない。
そんな姿を見てやりすぎだとばかりにルインが終わりの合図をかけた。
「はい終わりー!イルーー!こっち来なさい。泣かすまでやっちゃダメでしょうがー!」
「だ、だって…思ったより強かったんだもん。こっちが殴ってもかすり傷一つ負わないんだよー。なんか…負けた気になるじゃん…」]
いくら拳や蹴りを叩きこんでも、まともなダメージを負う様子のないイアに、イルの負けず嫌いが発動して段々と止まれなくなって攻撃が少々苛烈になっていたようだ。久しぶりに壊れないサンドバックを見つけたとばかりに悔しさと楽しさで意気揚々としていたようである。
目立った外傷はないものの、一方的な攻撃の嵐による蹂躙とイアの悦楽とした表情のまま攻撃してくる姿に精神的にくるものがあったのだろう。すっかりイルのことが苦手になってしまったようである。
視線の先では無様に地面に伸びて泣きべそをかいてはいるものの、あのイルの攻撃を全て受け止めてなお、余裕というかその身にダメージを負った様子はない。
たとえ人の姿であっても龍は龍であるようだ。
そんな地面に寝そべる可哀想な龍を見てルインは声をかけた。
「ごめんね、うちのイルが。ちょっと興が乗ってやりすぎたみたいなんだよ……それと言ってはなんだけどさ…そのぉ…お、お詫びに美味しいものでもご馳走するから機嫌直してね」
「…さんなのじゃ…腹いっぱいじゃないと許さんのじゃっーー!!」
この龍さん実にちょろい。旨い飯を腹いっぱい奢るだけで水に流して機嫌が直るなんて安上がりでコスパが良過ぎである。
「さて、イルー?約束破ったね?」
「…る、ルインちゃん…ま、まだ本気は出してないから!ほら、約束は破ってない!ね、いいでしょルインちゃん」
シュンとして物凄く気まずそうな顔でルインの方を伺っているイルに対して、
「…ダメだよ。やりすぎたのは事実でしょ。一週間僕に触れるの禁止、そんな顔しても無駄だよ」
「えーーーー!!いやだいやだーーっ!……ね、ねぇちょっともだめ?」
「ちょっともダメ」
「……い、一週間は耐えられないよー。ルインちゃん、次から気を付けるからー!」
「…次からって前も同じこと言ってたよね。今回ばかりはダメだよ」
いまだにぐすんぐすんと泣きべそをかいている龍を脇目に、『やだー』とごねて許しを請うイルに今回ばかりはと許さないことを決めたルイン。先ほどまでの緊迫した空気とは裏腹に、全くもって気の抜けた様子となってしまった二人の姿に、これではもはやどちらが勝利したのか分からない。
突如として始まったイルとイアの摸擬戦はイアの精神的な限界により強制終了となった。よって一応イルの勝利という形で終わった。
ただ、ルインに触れないという罰を受けたイルと不幸な目にあったものの、最終的には美味しいものを目一杯食べられるイア。結果としては幸せになった真の勝者はイアなのかもしれないのであった。
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