十六話 楓原緋斗美(後編)
「……地鳴り? それに、とんでもない気だ……!」
楓原に命じられ一人で待機していた都鳥がその異変に気付く。
都鳥は楓原の車から飛び降りて天人族の本部内へと急いだ。
「緋斗美さん……、無事でいてください……!! あなたのおかげで僕は――」
*
都鳥が警視庁の特命捜査官に任命されてからまだ間もない頃。
「珠伽、不味かったか」
「……そ、そんなことないです! とても美味しいですよ!」
「そうか。ならもっと食べろ。そのもやしみたいな身体では捜査官は務まらないぞ」
「分かりました……!」
高校を中退して家を出た都鳥は楓原の自宅に居候していた。
能士として生まれてきたことへの苦悩と、理想とかけ離れた対人関係への葛藤で、自暴自棄になって塞ぎこみ自殺未遂をするまでに追い込まれていた都鳥であったが、楓原に勧められ捜査官の道を歩みだしてからは、すっかり元の純情な青年に戻っていた。
「前から気になってたんですが、緋斗美さんってお付き合いされてる方とかいないんですか?」
「夫がいたが死別した。同じ刑事だったのだが殉職してしまってな」
「すみません……! そうとは知らずに……」
「別に良い、気にするな。それに私は一人の方が気が楽だから」
この当時、楓原は二十三歳。
元々叩き上げの刑事であったが、誰をも圧倒する実力で表彰クラスの実績を重ね続けるうちに、その力量のみならず人格や識見も認められるようになり、異例の速さで副総監の地位に就いた。
「……そうですか。あっ、そうだ! 今度映画観にいきましょうよ! 緋斗美さんが好きなターミネーターズの最新作やってるんですよ!」
「分かった。楽しみにしておく」
その頃、警視庁内では楓原を副総監の座から引きずりおろそうとする動きが起きはじめていた。
楓原のずば抜けた戦闘能力と過剰な正義感を危険視した政府関係者が、楓原をやっかむ他の警視監に水面下で働きかけていたのだ。
その反楓原とも言える勢力の工作によって庁内での楓原の立場は悪くなっていったが、当の本人は気にする様子を見せていなかった。
あくる日。
「ターミネーターズ最高でしたね!」
「ああ。彼らが親指を立てながら太陽と共に沈んでいくシーンにはとても感動した」
休日に映画鑑賞を楽しんだ楓原と都鳥は帰りにぶらぶらと買い物をしていた。
「ちょっと派手だけど、緋斗美さんにはこういう花柄のドレスも似合いそう」
「そ、そうか……? 私は地味な服を着ていた方が落ちつくんだけど……おっ、電話だ」
警視庁の幹部から電話を受けた楓原は難しい顔で用件を聞いている。
「何かありました?」
「この近くの銀行で爆破テロが起きた」
二人は買い物を中断してすぐに現場へと直行した。
現場はすでに機動隊員によって包囲網を張られている。
「非番のところすみません。たまたま近くにいると聞いたものですから」
「構わない。状況を説明してくれ」
現場の指揮官が楓原に状況を伝えた。
銀行を狙ったテロ事件は単独犯行で、一度目の爆発では幸いにして犠牲者が出ていない。
現在も犯人は行員を人質にとり爆弾を抱えて銀行内に立てこもっている。
「副総監、ご指示をお願いします」
「このまま待機しろ。私が交渉する。都鳥捜査官もきてくれ」
そういうと楓原は銀行内へと入って早々にテロリストと交渉をはじめた。
テロリストは胴体に爆弾を巻きつけナイフを振り回している。
「要求はなんだ」
「金だ……! 金をよこせ!! 早くしろ!!」
「落ち着け。お前、元隊員か」
楓原から意外な質問を受けてテロリストが動揺する。
「……そ、そうだ! 何故分かった?!」
「見れば大体分かる。誰に焚きつけられた。単独では無理な犯行だ」
テロリストはわなわなと肩を震わせながら答えた。
「い、言えるかよ……! 殺されちまう……、俺みたいな末端はどうせ使い捨てだからな……!」
「副総監、これってもしかして……」
「ああ、分かっている」
楓原と都鳥はこのテロリストの背後にいる何者かの存在を感じ取っていた。
「ち、近づくんじゃねぇ!! 木っ端微塵になるぞ!!」
「命を粗末にするやつは私が許さん。お前の命を利用したやつらも」
そう言いながら楓原はテロリストにスタスタと近づいていく。
「こ、この……!!」
テロリストは物怖じせず近づいてくる楓原に向かってナイフを振り下ろした。
「緋斗美さん!!」
楓原は避けることなく、そのナイフを身体で受け止めた。
それに驚いたテロリストはナイフを落として懺悔の言葉を口にした。
「……家族を養うために金が必要だったんだ。……馬鹿なことをしちまった」
「またやり直せ。他の隊員にお前のような思いをさせないよう、私も努力する」
テロリストは楓原に説き伏せられ項垂れて下を向いた。
楓原は血を滴らせながら機動隊の元へと戻っていく。
「終わった。テロリストを確保してくれ」
楓原の指示で機動隊員がテロリストを取り囲み、その身柄を確保した。
だが。
ドッカァァァァァァァァァァン!!!!!
テロリストが身体に巻きつけていた爆弾を爆発させた。
取り囲んでいた複数の機動隊員も巻き添えにする。
その光景に楓原は重々しい表情で唇を噛みしめた。
次の日、本庁で楓原の追求がはじまった。
反楓原の筆頭である渡会警視監がここぞとばかりに楓原を責め立てる。
「副総監、これは不適当な指示を出したあなたの責任問題ですよ」
「確かに私の軽率な指示で隊員たちを負傷させてしまった。批判は甘んじて受ける。だが、私は今でも彼を信じているんだ」
楓原は自分の意思をはっきりと伝えて渡会に鋭い眼差しを向ける。
そうした中、大勢の機動隊員と警察官が詰め掛け、口を揃えて楓原の擁護を展開した。
「楓原副総監に責任を押し付けるのは間違っています!」
「いつでも副総監は私たちのことを想って行動して下さってます!」
「我々は副総監のことを心から信頼しています!」
渡会警視監は楓原のあまりの人望の厚さに衝撃を受けている。
そこに都鳥が報告書を持って飛び込んできた。
「テロリストが一命を取り留め、あの爆発は自分の意思ではなかったと供述しました! 付近に爆弾のものと思われる遠隔スイッチを発見しましたので、鑑識にまわして裏づけを急いでいます!」
都鳥の知らせにドッと歓声が湧き起こった。
これにより楓原への追求は止み、楓原を引きずりおろそうとしていた警視監らは立場をなくしていった。
その後、テロ事件の共謀者が明らかになることはなかったが、この事件を境に楓原は政府や警視庁内に対しても強い警戒心を抱くようになった。
「今回のこと、無事に収束できたのは珠伽が協力してくれたおかげだ」
「いえ、緋斗美さんがみんなに慕われているからですよ。それに僕もあなたのおかげで……」
都鳥は晴れやかな表情で楓原にこう言った。
「やっぱり人は信じあえるんだって、はっきり分かりました」
*
天人族の本部内に突入した都鳥は最奥部の大広間の前で立ち尽くした。
「こ、これは……」
大広間は一面火の海で室内に入ることすら難しい状況になっていた。
顔面を蒼白とさせた都鳥は、羽織っていたコートを頭から被って燃えさかる炎の中へと飛び込んだ。
「緋斗美さん!! ……緋斗美さん!! 返事を……、返事をして下さい!!」
部屋中に立ち上がる火柱と黒煙によって視界はほとんど塞がれている。
そんな中、都鳥は諦めず必死に呼びかけながら楓原を探し回った。
すると、火の海のどこかから楓原の弱々しい声が聞こえてきた。
「珠伽か。来るな、戻れ」
「な、何言ってるんですか!! 無事なんですよね?! すぐに助けま……」
「珠伽……、私は君を信用していなかったわけじゃないからな」
楓原は助けを拒むように、そう言って都鳥の言葉を遮った。
「ひ、緋斗美さん……?」
「怖かったんだ。君を失うことが」
今まで聞いたことのない楓原の素直な言葉に都鳥の胸が張り裂けそうになる。
「……こんな時に止めてください! 後で……後でゆっくり聞きますから!」
「こうなることを予期していたから、SPAGへの配属も私は反対だった。だから君に比較的安全な御三家に移って欲しかった。情報を与えなかったのも単に私のエゴだ」
「もうそのことはいいですから……! 早く姿を見せてくださいよ……!!」
都鳥は一心不乱に炎にまかれている楓原の姿を探し続けた。
「それは出来ない。だが、最後に君と話せて嬉しかった」
「嘘だ……くそ……! 僕が頼りにならないばっかりに……」
「それは違う。私の心はいつも珠伽に支えられていた。私にとって一番頼りになる男だ」
たまらない思いに打ちひしがれた都鳥はへなへなとその場でへたり込んだ。
「苦手な料理……、また振舞ってくださいよ……」
「ふふ。やはり不味かったんだな」
楓原との色々な想い出が都鳥の頭の中を駆けめぐる。
その瞳からは大粒の涙があふれ出ている。
「あなたは僕の命の恩人であり恩師です……! そして何より……、心から愛しい人です……! 僕にはあなたがいないと……」
都鳥の告白を聞いた楓原は喜びに浸りながら、こう返事をした。
「……ありがとう。今の珠伽ならきっと幸せになれる。これからも仲間を大切にするように」
バキバキバキ……ガタァァン!! ガタァァン!!
猛炎は瞬く間に天井まで回り、建物が激しく崩壊していく。
「ひ、緋斗美さん……!! 緋斗美さん!!」
「珠伽。愛している」
それが楓原の最期の言葉となった。




