表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/11

咎人が望むのは(3)

 ──この、人殺し!


 ハッ、とジルは目を開く。耳にこだまする、痛みを孕んだ声。辛くて、悲しくて、今にも泣いてしまいそうな。

 ジルはゆっくりと呼吸を整え、体を起こした。見慣れたジルの部屋。窓から差し込む光は、部屋の中を茜色に染める。夕暮れ時だった。


 その時、コンコン、とドアが叩かれたかと思うと、すぐに開かれる。


「起きましたか」


 入って来たのはレイファルだった。心配そうな表情を浮かべている。

 レイファルはゆっくりとジルのいるベッドに近づき、傍にあった椅子に腰掛けた。


「覚えてますか?」


「……はい」


 ジルはこくり、と頷く。確か、そう、あの子に言われたのだ。……「人殺し」と。そして、レイファルがジルから離れかけたその直後、意識を失ったのだ。

 レイファルは「そうですか」と呟くように言う。まるで、つい口から零れ落ちたみたいな。そんな声。


「……アレンの言葉は、気にしないでください」


 その言葉に、ジルはそっと目を伏せた。

 アレンとは、ジルに「人殺し!」と叫んだ少年だった。そして、……ユアンの二つ年下の弟。


 ユアンとアレンはとても仲の良い兄弟だった。ユアンはアレンを可愛がり、アレンもユアンを尊敬していて。……たまにユアンとのデートを邪魔されるほど。それくらい、アレンはユアンが大好きだった。

 だからこそ、彼はジルを許せなかったのだろう。ユアンを殺した、ジルを。


「でも、私がユアンを殺したのは事実です」


「違います。あれは不幸な事故です」


「でも、……でもっ!」


 思い出される、ユアンの最期。血に濡れて、徐々に温もりを失っていく体。弱々しくなる息。良かった、という微かな安堵の声。心底嬉しそうな、力のない笑顔。

 不幸な事故。そんなわけない。だって、ジルが注意していれば起こらなかった事故なのだから。

 だから、ジルが殺したも同然。


 じんわりと視界が滲む。ユアンは死んだ。私が殺した。それが辛くて、悲しくて、寂しくて、……よく分からない。


 ジルの息が早く、浅くなっていく。上手く、呼吸ができない。吸っても吸っても、空気が入ってこない。ジルは胸を押さえた。過呼吸だった。


「落ち着いてください! ……大丈夫、大丈夫ですから。ゆっくりと息をしてください」


 レイファルが慌ててジルの背をさする。ガタガタと震え、青ざめているジル。……やがて彼女が落ち着きを取り戻す頃には、もうどっぷりと日が暮れていた。レイファルがジルから目を離さないまま、ランタンを灯し、空気を入れ替える。


 開けられた窓。遠くから微かに楽の音が聞こえてきた。おそらく、どこかの貴族が夜会でも開いているのだろう。王都では、毎夜、必ずどこかで夜会が開かれるものだ。

 それらが、全くの別世界のように感じる。ユアンが死んでから今まで経験してきた全てが、まるで夢だったかのように。そう思ってしまう。

 ジルの瞳から、はらはらと雫が零れ落ちた。


「ごめ、なさ……。ごめん、なさい……っ!」


 泣きながら、ジルは謝る。謝り続ける。誰に対して? ……たぶん、全部に対して。

 そんなジルに、レイファルは静かに寄り添う。静かに、優しく、包み込むように。


 ……痛ましいジルの嗚咽だけが響く部屋。しばらくして、やっと、ジルが落ち着いたらしく、すすり泣き声に変わる。


「……ご迷惑を、おかけしました」


 掠れた声でジルが告げる。レイファルは「……いえ」と返事をして、眉を下げてジルを見た。

 充血した瞳に、未だ流れ続ける涙。擦り続けたために赤く染まった頬。それらが、今の彼女を彩る全てが、とても痛ましい。


「ジル嬢……」レイファルが声をかけた。「大丈夫ですか?」


「……はい」


 小さく、弱々しいジルの声。レイファルの瞳には、全くもってそうは映らなかった。精一杯強がっているのが窺える。けれど、そう言ったところで、どうにもならないだろう。自らの傷を必死に隠すのが、彼女なのだから。


「……ジル嬢」


 レイファルの呼びかけにジルはのろのろと視線を上げ、レイファルの顔を見る。けれど、その視線は少しだけずれていた。ぶつからない瞳。レイファルは優しく語りかけた。


「ベルナール侯爵夫妻とアレンは、王都の屋敷に帰りました。また後日、落ち着いたらあなたの元に伺うそうです」


「……そう、ですか」


 ぽたり、と落ちた声。まるで泣いてるかのような、寂しい声。

 また、会いに来る。それは……良いかもしれない。


 ジルはきゅ、とシーツを握る。放射線状に広がる皺。冷たい夜風が窓から入り込み、さらりと肌を撫でた。

 静寂に満ちた部屋で、ゆっくりとレイファルが言う。


「ジル嬢、ゆっくりと乗り越えましょう。それで、アレンとも仲直りをして……」


「乗り越える?」


 レイファルの言葉を、ジルが遮る。乗り越える。どうして?


「……ジル嬢?」


「何で、乗り越えなければならないのですか?」


 ジルがユアンを殺した。それは、ジルの中では確かな事実だった。だから、ジルは罰を受けなければならない。乗り越える必要なんてない。ずっとずっと、ユアンの死を抱えて生きて、生きて、……そして死ねれば。それで。


 ジルのその考えに、レイファルは眉をしかめた。どうやら、納得していないらしい。


「それは、おかしいです。だってユアンは──」


「出てって!」


 ジルが突如叫んだ。悲痛な声が響き渡る。


「お願い、出てって! もう来ないでっ!」


 嫌だ。聞きたくない。認めたくない。許されたくない!


 ジルはレイファルを突き放した。困惑したようになおも手を伸ばす彼を、枕を投げることによって遠ざける。ぱふ、と枕が軽い音を立てた。レイファルは一歩後ろに下がる。

 シン、と静まり返った部屋。ジルの荒い息がやけに大きく響く。


「……わかりました」


 レイファルが告げる。


「今日は、帰りましょう。また明日来ます。……疲れたでしょう? 今日はもう休んでください」


「……」


 ジルは返事をしなかった。レイファルの思いやりの言葉が、じんわりと心に染みる。それを認めたくなくて、その言葉に安らぎたくなくて、無言を決めこんだ。


「……おやすみなさい、ジル嬢」


 レイファルは痛々しい表情を浮かべて、ジルにそう告げる。返事はなくて。悲しげに目を伏せながらも、レイファルはこれ以上話しかけることなく部屋を出た。

 パタン、とドアが閉まる。しばらくそのままでいて、レイファルの足音が聞こえなくなり、馬車の音も遠ざかると、ジルはベッドから降りて窓際へ。


 風に揺れる、一輪の忍草。それを見て、泣きたくなる。


(ユアン、私は……)


 ジルは首を振って、思考を振り落とす。これ以上考えては、ダメ。後戻りできなくなる。


 遠くから聞こえる楽の音。楽しげな歌声。

 それらが疎ましくて、憎くて、耳にしたくなくて。ジルはそっと窓を閉めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ