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咎人が望むのは(1)

 ジルは侍女から渡された手紙を開ける。純白の紙の上には流れるように書かれた文章。そこには、今日王都に着いたため、明日の午後こちらに伺うという旨が書かれていた。


「そう……」


 ぽつりと落ちた言葉。ジルは必死に波立つ心を抑えた。覚悟していたこと。だけど……やはり、怖い。怖くてたまらない。

 震える指。ジルはそっと手紙を机に置き、手を胸の前で握り込んだ。


(大丈夫、だいじょうぶ……)


 そう自らに言い聞かせるけれど、震えはしばらくの間止まることはなかった。






 その翌日。ジルがゆっくり朝の支度を終えると、ちょうど来客の知らせが。


「もう来たの?」


「いえ……マリスグレイヴ様です」


「分かった。今行く」


 そう言って、ジルは立ち上がった。座っていたためにへこんでいたソファーが、じわじわと元に戻っていく。その様子をしばらく眺めた後、ジルはその場から立ち去った。


 レイファルとはあの夜会以来、付かず離れずのような関係だった。あの晩のような過剰な接触はなく、かと言って互いに避けることもしない。居心地のよい関係。揺りかごの中にいるような感覚だった。


 しばらく歩いて、レイファルのいる応接室の前に着く。ジルは扉を開けて中に入った。

 中ではレイファルが二つあるソファーの片方に座って窓の外を眺めていた。けれど窓に映るジルに気づくと、すぐに笑顔を浮かべて彼女の方を見る。


「お久しぶりです、ジル嬢」


「ごきげんよう、レイファル様。……二日前に会いましたよね?」


「まぁ、そうですね」


 クスリ、とレイファルは笑った。思わず出てしまったという笑みは、少しだけあどけない。彼もジルとそう年の変わらない青年だと、改めて気づかされる。

 ジルはゆっくりと移動して、レイファルの対面にあるソファーに座った。キシリ、と音が鳴る。


「それで、本日の御用は何でしょう? また夜会ですか?」


 ジルが問うと、レイファルは苦笑した。「いえ、今日は違いますよ」と告げる。


「今日は、デートに誘おうと思いまして」


 唐突な言葉。「でーと」とジルは反芻する。……デート。もちろん何かは分かっている。特別な仲の男女が、共に出かけること。だけど、彼が誘う理由がよく分からなかった。

 何故? という疑問で埋め尽くされた思考。「はい」というレイファルのにこやかな返事が一層混乱を助長する。


「……なぜ、でしょう?」


 ジルは恐る恐る訊いた。掠れた声は、彼女の戸惑いを示している。


「母が、婚約者なのだからデートくらいして当然だ、と言ってまして」


「公爵夫人が、ですか……」


「はい」


 レイファルの母、つまりマリスグレイヴ公爵夫人とジルは、幾度か披露目の話し合いで会ったことがあった。とても美しい女性で、気高く、だけど純粋さも兼ね持つ人。


 彼女と話していると、ジルは何となく責められてるような気になる。様子を見る限り、レイファルは公爵夫人に婚約の意味を話していない。仮だということを伝えていない。つまり、あんなに素晴らしい女性を騙していることになる。

 胸がきゅう、と締め付けられる。罪悪感で、胸がいっぱい。


 だからこそ、ジルは決めた。


「お断りします」


 きっぱりと返事を告げると、レイファルは目を見開いた。断られるとは思っていなかったらしい。彼はゆっくりと、自らに現実を刻みつけるように、言葉を紡ぐ。


「……理由をお聞きしても?」


 チラリ、とジルは侍女を見た。彼女たちは、何も知らない。ジルとレイファルの婚約が、仮初めのものだということを。


「……必要ないからです」


 聞く者によっては、既に親しいから必要ない、と勘違いしてしまう言葉。だけどジルとレイファルの間では違う。実際、レイファルはその言葉を「どうせ仮の関係なのだから必要ない」と読み取った。


「ですが……」


「公爵夫人に期待をさせては、申し訳ないです」


 公爵夫人はとても素晴らしい方だ。ジルはそう思う。私の失ったものを、幸せを掴み取っている、眩しい人。

 そんな人に、ジルはレイファルとの婚約のことについて嘘をついている。だからこそ、もうこれ以上期待させるような真似はしたくなかった。

 ……罪悪感で、潰れそうになる。


 ジルが顔を伏せると、さらり、と亜麻色が揺れた。綺麗にくしけずられた髪。何だか、嫌になる。


「ジル嬢」


 レイファルが名前を呼ぶ。抵抗するかのようにゆっくりと、ジルは顔を上げた。

 真っ直ぐな瞳がジルを射貫いていた。純真な瞳に、ジルはたじろぐ。何だか、途端に自身がとても矮小な、醜い存在に思えてきたのだ。

 そんなジルの心情など知らず、レイファルは声を発する。


「私は嫌です」


 はっきりとした声。レイファルの瞳には強い意志が宿っていて、ジルはその光に魅入られる。純粋で、無垢で、鋭くて、だけど思いやりがあって……そんな光。


(痛い、なぁ)


 そっと目を伏せる。レイファルがとても眩しくて、自身と違って真っ直ぐで、……胸が痛い。


「行きましょう、ジル嬢。デートではなく、息抜きと思えば良いのです」


 そう言って、レイファルは立ち上がってジルに手を差し出した。純白の手袋に包まれた手。その手を取ってはいけない。そう思っていた。分かっていた。けれど、


「……はい」


 気づいたらレイファルの手を取っていた。何故だかは、よく分からない。

 ……分かりたくない。


 重ねられたジルの手を見て、レイファルは破顔する。嬉しそうに、幸せそうに、あどけない笑みを見せた。


「じゃあ、参りましょう」


「……その前に、着替えてもよろしいでしょうか?」


 本日のジルの衣装は屋敷内で過ごすためのもの。裾が床につきそうなほどの長さだった。外出には向いていない。

 レイファルもそれに思い至ったのか、ゆっくりと頷く。


「分かりました。では、エントランスで待つことにしましょう」


「いえ、ここで待っていただいても……」


「なるべく早く、行きたいので。それに、どうやら本日は来客があるようですから」


 その言葉に、途端にジルは現実に引き戻される。そう、今日は来客がある。絶対に、ジルは会わなければならない。

 恐怖で、重ねた指が震える。怖い。けど、会わなければ。


「……はい」


「では、エントランスで」


 ジルの震えを分かっていて。だけどレイファルは敢えて無視をしてくれた。気遣ってくれた。

 その行為を有難いと思いながら、ジルは部屋を出る。

 これはデートではない。ただの息抜き。そう言い聞かせながら、ジルは再度着替えるために自室へ向かったのだった。

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