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指先への誓い(1)

「ジル嬢、早速ですが、お願いが」


 そう言ってレイファルが現れたのは、正式に婚約を結んだ翌日だった。


 あの出会いから数日後。ジルとレイファルはすぐに婚約を結んだ。いつの間にかジルとレイファルの両親に手を回していたらしく、親たちの許可はあっさりと下りた。……まるで、あらかじめ決まっていたかのように。


「何でしょう?」


 ジルがレイファルに問うと、レイファルは懐から一枚の手紙を取り出した。ある侯爵家の花押が押してあり、「レイファル・マリスグレイヴ様」と書いてあるそれは、かなり上質な紙だった。純白で、とても綺麗な紋様が描かれている。


「この侯爵家の夜会に、共に出てもらいたいのですが」


「分かりました」


 夜会に婚約者を伴うのは常識。それに、


「そろそろ社交界に復帰しなければならなかったので、丁度いいです」


「それなら良かった」


 にっこりと笑うレイファルから目を逸らすように、ジルは視線を下げた。目に入ったのは深緑のドレス。落ち着いた色合いのそれは、喪が明けたことを示していた。

 なんとなく自身がユアンの死を悲しんでいないように思えて、気分が沈む。


「あと、」


 レイファルが手紙を仕舞いながら口を開く。


「披露目ですが……準備に三ヶ月はかかりますので、それからすぐに開くとなると、社交シーズンが終わってしまいます。ですから、披露目は来年、シーズンが始まってすぐにしたいと思うのですが、よろしいですか?」


 披露目。貴族や王族に対して婚約の披露を兼ねたパーティーをすること。金銭的に余裕のある家が、自らの家の力を示すために行うものだが、王族及び公爵家は必ず開かなければならないとされていた。

 裏を返せば、王族や公爵を名乗るならば、それほどの力は持たなければならない、ということだ。

 社交シーズンは四月から九月の半年。来年にまわすのは妥当な判断と言えよう。


「分かりました」


「それで……」


 レイファルがもごもごと口を動かす。声はなく、緊張しているみたい。

 ジルは首を傾げた。あの(・・)レイファル・マリスグレイヴが、言い淀んでいる。何故だろう?

 ……その理由を考えている間に、レイファルは決意をしたらしく、強い意志のこもった声で告げた。


「母が、披露目のことを一緒に決めたい、とのことで、シーズンが終わったあとも王都に留まってほしいと言ってましたが、それでよろしいですか?」


 ……ジルはそっと目を伏せた。ちょっと、……いやかなり遠慮したかった。

 ジルのエルメン伯爵家と、ユアンのベルナール侯爵家の領地は少しばかり離れていて。だいたい、馬車で半日ほど。王都よりは近いけれど、気軽に通える距離ではなかった。

 そのため、ジルとユアンが共に遊んだりして仲を深めるのは、もっぱら王都で。だから、王都には多くの思い出が満ち溢れている。

 だから、あまり長く王都に留まるのは遠慮したかった。それに──


「嫌でしょうか?」


 ジルの思考を遮るようにレイファルが訊いた。


「はい。すみません……」


「いえ、謝らないでください。母のわがままですし」


 そう言って、レイファルは笑った。どことなく、悲しそうな。情けなさそうな。そんな笑み。

 ジルは途端に恥ずかしくなった。自分のわがままで、公爵夫人の願いを退けてしまった。普通なら、従わなければいけないところなのに断ってしまって……。身の程知らずもいいところだ。


「……すみません」


 ジルは小さく、蚊の鳴くような声で言った。ごめんなさい。だけど、王都にいるのは嫌。

 重い静寂しじまが部屋を満たす。部屋の隅に控えていた侍女が居心地の悪そうに身じろぎをする音が、やけに大きく響いた。


「……では、帰ります」


 沈黙を斬り裂いたのはレイファルだった。侍女のほっとした吐息がジルの耳に届く。


「分かりました」


 そう言って侍女に目配せをする。彼女はやけに意気込んだ様子で、部屋の扉を開けた。


「……また、手紙を送ります」


「はい」


 ジルの返事に少し満足した様子で、レイファルは部屋を出た。侍女が後に続く。

 パタン、という乾いた音に、ジルは少しだけ安心をしていた。






 くるくると巻かれていく亜麻色の髪。まるであの時のよう。

 ジルはそう思って少し憂鬱になる。また、あの日の欠片を見つけてしまった。


「お嬢様」


 そう言って侍女が差し出したのは、夜会用の首飾り。それに頷いて、つけてもらう。カチ、と音を立てて首飾りがとまると、ジルは立ち上がった。

 さらりと若草色のドレスが揺れる。高く結い上げた髪はくるくると巻いてあり、ダイヤモンドが嵌められた首飾りは、シャラリと可憐な音を響かせる。

 煌びやかなそれらに、ジルは少し落ち込んだ。喪が明けたことを改めて実感したのだ。


 俯きがちになる顔を何とか正面に上げ、ジルはゆっくりと歩き出す。照明に照らされキラキラと輝くその姿は、とても美しい。

 ジルを着飾らせた侍女たちは、ほぅ、と満足気なため息をつく。これなら、あの方の傍に立っても違和感がないだろう。


 ジルは彼女らの眼差しを心苦しく思いながら、衣装部屋から出た。

 ……仮の婚約者。彼女らはそれを知ったとき、どんな顔をするのだろうか? それを考えると、申し訳なかったのだ。



「ジル嬢」


 屋敷のエントランスには、既にレイファルが待っていた。相変わらず麗しい笑顔に、侍女たちが感嘆を漏らす。ジルは表情を変えることはなかった。


「お待たせいたしました、レイファル様」


 ぶふっ。堪えきれなかった笑いの音。それを聞いて、ジルは音のした方を見た。

 ちょうど、ジルの兄がエントランスにやって来たところだった。


「……ちょっと」


 ジルは内心首をひねりながら、言葉を発する。今日、兄はどこかに出かけるわけではないのに、何故エントランスに来ているのだろう?


「お、『お待たせいたしました』……ふふ……似合わなすぎるだろ……ふはっ」


 お腹を抑えて、体をくの字に曲げる兄。苦しそうな笑い声を上げる。ジルはそんな彼を冷めた目で見ていた。


「……そう。レイファル様、行きましょう」


 ジルがそう言い残して去ろうとしたとき。


「ああ、待ってくれ。ちょっと婚約者殿・・・・に話があってだな……」


「……手短によろしく」


 少し違和感のある兄の言葉にジルは頷く。すると、兄は真面目な顔をして、レイファルに近づいた。そして、ジルには聞こえない声量で告げる。


「条件、忘れるなよ」


「もちろんです」


 小さく交わされた言葉たち。彼らは消え入りそうなほど薄い存在。だけれど、確かにレイファルに絡みつき、そしてレイファルは、静かに受け入れるのだ。


「じゃあ、久しぶりの夜会、頑張れよ、ジル」


「うん」


 ジルのその返事に、兄は満足げに微笑んだ。

 レイファルがジルに手を差し出す。恐る恐る、だけどちゃんとジルは手を重ねた。

 手袋越しに伝わる熱。それはジルの胸を温めることはなかった。むしろ、冷や水を浴びせるような……。


「行きましょう」


「はい」


 何も知らなければ仲睦まじい二人の様子。重なる影は、けして一つになることはない。

 屋敷を出て行く二人の姿を、兄は目を細めて見つめていた。

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