私たちの紛争
昼間のファミレスは、思ったより人がたくさんいた。
私と相楽は学校を抜け出して、制服姿のままでファミレスへと足を踏み入れる。
「この時間なら学校の連中に見られる心配はないだろう」
「それは……そうなんだろうけど」
しかし、制服のままというのは何かと目立つ。
私はきょろきょろと周囲を見回して、警戒心を強くした。……そうしたところで意味がないのは重々承知していたが、そうせずにはいられなかった。
私と相楽が適当な席につく。と、相楽はまず、メニュー表を手に取った。
「そろそろ昼だな。腹減ったし、何か喰おう」
「喰おうって……私お弁当あるし」
「持って来てんのか?」
「いや、学校だけど」
「だったら喰っとけ。少し長くなる」
「……うん」
私は相楽に促されるまま、メニューへと目を落とした。
とはいえ、そこまで食欲があるというわけでもない。
私はサラダとコーヒーを注文することにした。相楽はハンバーグ定食という、割とがっつりとした品を頼んでいた。
「それで、相楽たちの間で一体何が……」
「それ、飯食ってからじゃだめか?」
「……別にいいけど」
授業をサボッて、こうしてファミレスにまで来たんだ。いまさら何を恐れることがあるというのだろう。
時間はそこそこある。話は、ご飯を食べてからでも遅くはないはずだ。
ほどなくして、私たちが注文した品がそれぞれ運ばれてくる。
私と相楽はそれを食べ終え、ふぅっと一息ついた。
「美味かったな」
「じゃあそろそろ話を」
「……はぁ、わかったよ」
相楽はうんざりとしたように、ひらひらと手を振った。
「本当はあまり言いたくないんだが」
と前置きして、相楽は話し出す。
中学時代、四人の間で一体何が起こったのか、を。
「中学一年の頃は、今と大して変わらない。大きな違いと言えば、俺とあいつらとの間にあるわだかまりがあるかないかくらいだ。けど、それを除いたって俺たちの関係はいいとは言えなかった」
ま、仕方ないんだけどな、と相楽は小さく嘆息する。
「原因は俺にあった。だから俺がひとりでいることには、何にも思わなかった」
「原因……? それってどんな?」
「どんなって言われると困るが……まあ大抵は友達を作ろうとしなかった。社交的じゃなかったってことだな」
「それだけ?」
「ああ、それだけだ。そしてそれだけで十分だった。ひとりになるには」
「ひとりに……なりたかったの?」
「まあ……俺はひとりが好きだったし、誰かと仲よくするのは面倒だったからな」
相楽の言っていることはわかる……かもしれない。
私だって時々、友達が煩わしく感じる時もある。
けど、その度にいてよかったな、と思うできごともよくあることだ。だから、友達は大切にしようって思える。
相楽は、そうじゃなかったんだろう。
私は相楽の言葉の一端を理解しつつ、もう一端には全く同調できなかった。
私の顔を見ずに、相楽が続ける。
「二年の時だ。俺たちのクラスにひとりの女子生徒が転校してきたんだ」
「それが……泉さん?」
「泉を知ってるのか?」
「冴羽くんや真野さんが話してくれたよ」
「そうか……なら話は早いな」
相楽は遠くを見ている。きっと、私では思いもつかないような遠くを。
「あいつは不思議な奴だった。あっという間にクラスに溶け込んで、友達を増やしていったんだ。……俺はずっとこんなだったから、正反対に友達なんていなかったが。友達百人作るんだ、なんて言ってたな」
「友達百人……」
「ああ」
それは、途方もない目標だと思った。
相楽の通っていた中学校がどうだったかは知らないが、生徒数はせいぜい三百か多くで四百人くらいだろう。それが二クラスか三クラスに分かれて、一年生から三年生までの三学年存在しているのだ。
百人……ということは、最低でも一学年。一年生は全て友達にならなくてはならないということ。泉さんはがそこまで徹底した人だったかはわからないけど、それでも不可能だとわかる。
人が十人いれば、その中で馬の合わない人や好みの違いなどから仲よくなれない場合も存在するだろうからだ。
百人だ、百人。到底不可能……とまでは言わなくても、ほど近いことにはかわりがない。
「無理だと思っただろ?」
「え、ええと……まあ正直」
「だろうな。俺もそう思ったよ。だから言ってやったんだ。そんな無謀は止めておけってな」
「え……?」
そうだったんだ。
相楽は相変わらず私を見ない。どこか遠くを見つめたまま、声を震わせる。
「そしたらあいつ、なんて言ったと思う?」
「さあ……わからないけど」
「『不可能なんてない、もし私が百人友達を作るのに成功したら、その時は私と友達になって』だ」
「なんていうか……すごい人だったんだね」
「ただのバカだったんだ、あいつは」
「それで、どうなったの?」
「どうって……作ったよ、友達百人」
「へー、すごいじゃん」
「ああ、すげーよ、あいつは。すごい奴だった」
相楽は本心からそう言っているように、私には見えた。
ニッと口の端をつり上げ苦笑する相楽を、私は始めて見た。
もっと正確に言えば、笑っている相楽を、だ。
「……相楽は、その人のことが好きだったんだね」
「好きだった……か。どうだったんだろうな、実際」
「好きだったんだよ、絶対に。私が言うんだから間違いないよ」
「だったら……いいな」
そういう相楽の表情は、寂しげだった。
それでも笑顔でいる彼を、私はすごいと思った。
相楽は彼女の死を受け入れていると、そう感じた。
だからこそ、クラスメイトの心ない言葉や視線に腹が立つ。
「どうしてみんな、相楽のことをあんなに嫌うんだろう」
「当然だろ。だって俺は、泉の死の直接の原因を作った男だからな」
「直接の原因? だって彼女の死は事故だったんでしょう?」
「ああ、事故だった。けど、あの時俺が何もしなかったら、おそらくは起こらなかったんだ。あの事故は、言ってしまえば俺が招いたようなものだ。だからあいつらの態度はある意味正しいんだよ」
「そんな……!」
がばっと、私は立ち上がった。
「泉さんと相楽の間に何があったのかを私は知らない。けど、相楽のせいだなんてことは絶対にありえないよ!」
がっと、私は相楽の肩を掴んだ。相楽は少しの間驚いたように目を瞬かせていたが、やがてふっと吹き出す。
「ははははははは」
「な、何がおかしいの! 私は本気で……」
「いや悪い。別に笑うつもりはなかったんだが」
言いながら、相楽は目の端に浮いた涙を拭う。
「おまえがあんまり必死だったからさ」
「あ、当たり前だ! 私より相楽が必死になれよ!」
「いや本当に、俺が必死にならなくちゃいけないんだけどな」
「そうだよ、だって相楽とみんなの問題でしょ、これは」
「その通りだ」
相楽は笑うのを止めて、私の顔をじっと見る。
どこか物憂げな表情だった。私を……というよりは私の内側を眺めているかのような、そんな印象を受ける。
「……相楽?」
「ありがとう。おまえのお陰で目が覚めた」
「あっ……いや、私は別に何も」
「いいや、おまえのお陰だ。おまえがいなかったら、俺はたぶんずっと腐ったままだったろうからな。本当に、心から礼を言いたい」
「や、止めて……恥ずかしいし」
私はかーっと顔中が熱くなるのを感じた。
「わ、私は本当に何も……」
「ま、おまえがそれでいいんならいいさ。でもま、俺が勝手に感謝している分には問題ないだろう?」
「ま、まあ……それくらいなら。ただし、二度とそんな背筋が痒くなるようなことは言わないでよ!」
「わかったよ」
相楽は肩をすくめ、嘆息した。
私は相楽から顔を逸らすと、膝を追って小さくなる。
「はぁぁぁ……! 何だってそんなことを言うかな」
「ん? どうした? 何か言ったか?」
「何でもないし!」
私は無神経な相楽の言葉に、怒鳴り声を返した。
けど、相楽は一向に意に介した様子もなく、それどころか晴れやかな表情でこう言った。
「それじゃ、行こうぜ。俺たちの教室に」
相楽が私を置いて行ってしまおうとする。
私は慌てて相楽のあとを追い、教室へと戻るのだった。
◆
相楽と一緒に教室へと戻ると、みんなが一斉に私たちの方を向いた。
その表情には戸惑いと焦りと、疑念と憤怒とが色濃く映し出されていた。
私は彼ら彼女らのその表情を目の当たりにして、ビクッと肩を震わせた。
「……ええと、相楽くんに春野さん。授業はとっくに始まっていますよ」
「畑山先生……ごめんなさい」
困惑気味に注意してくる畑山先生に、私は素直にあたまを下げた。
畑山先生は満足げに「よし」と呟き、私はから視線を相楽へと向け直す。
「相楽くんも、何か言うことはないのですか?」
「ああ、ありますよ、先生」
相楽はどこか楽しそうに、声を弾ませる。当然、先生や冴羽くんを始めとするクラスの面々が首を傾げた。
そんな彼らを尻目に、相楽は畑山先生を押し退けて教壇の前に立つ。
「さて、おれがおまえらに言いたいことはひとつだ。今まで散々俺を殺人犯だなんだと言ってくれた連中。おまえらバカか?」
クラス中がにわかにざわつく。
「言っている言葉の意味がわからなかったようだな」
相楽はもう一度、繰り返す。
とんとん、とこめかみのあたりを叩いて、今度はゆっくりと、そしてはっきりと。
「おまえらはバーカーか……と言ったんだ」
「なんだとてめえ!」
「何よ偉そうに!」
「いきなり何だってんだ!」
クラス中から大ブーイングが巻き起こる。
それはそうだ。何の前触れもなく突然バカ扱いされたら、誰だって頭にくる。
にわかに、どころではなく、ざわざわとし出す教室内。
畑山先生も、困惑気味だった。
「ちょ、突然何を言い出すんですか、相楽くん!」
「ああ、先生は別になんとも思ってませんよ。俺が苛立っているのは、こいつらのせいですから」
「そんなこと言われたって、はいそうですかと納得できるわけないじゃないですか!」
「そうだそうだ」
「突然そんなこと言われたってわけがわからないぞ!」
ぶーぶー、とブーイングを続けるクラスメイト諸氏。
相楽は人睨みすると、彼らを黙らせた。……もっと頑張ってよ。
「さて、俺がおまえたちに言いたいことは全部言った。あとはおまえたちの言葉を聞かせてもらおうか」
「待ってくれ。その前に俺個人から一言いいか?」
「何だ? 言ってみろよ」
「どうして君は、こんなことを?」
「決まってるだろう? こいつらがあまりにバカだから目を覚まさせてやろうと思ったまでだ。何か変か?」
「なんだと! バカはどっちだ、この人ごろ……」
「だめだ、それ以上は言うな!」
ぴしゃりと、暴言を口にしようとした男子生徒を冴羽くんが押しとどめる。
その男子は冴羽くんに言われて、どこか腑に堕ちない部分を抱えつつも、椅子に座り直した。
「さて、君の主張はわかった。つまりは俺たちが自分たちの非を認めて、謝罪すればいいんだろう?」
「……何言ってんだ、おまえ?」
「何? 違うというのか?」
「違うに決まってんだろう。そんなことをされたところで、困るだけだ」
「だったら、君は何が目的なんだ?」
「そりゃあ、たったひとつだ」
相楽はニタニタと薄気味の悪い笑を浮かべる。
ゆっくりと、彼の人差し指が冴羽くんの方へと差し向けられた。
「おまえの罪の自白だ」
「…………はぁ?」
冴羽くんが素っ頓狂な声を上げる。
「な、なんだって俺が? わけがわからないぞ!」
「そうだそうだ、どうして冴羽がそんなことをしなくちゃならない!」
「冴羽くんは何も悪くないでしょう! いい加減なことを言わないで!」
「おまえこそ、みんなに謝罪しろ、相楽!」
クラス中から大ブーイングが巻き起こる。
そりゃあそうだ。だって、冴羽くんはクラスの中心的存在。彼を疑うような人は、この教室にはいないのだから。
「……本当に、おめでたい奴らだな、おまえらは」
「何を……!」
と、更に反論の声をあげようとした生徒の言葉を、ある人物の一喝が遮った。
「いい加減にして! 泉だけじゃなくて、今度は冴羽くんを私たちから奪うつもりなの!」
「縁……いや、いいんだ。あのことに関しては俺にも少なからず非はあっただろうから」
「舜に非なんてない! 全部こいつが悪いんだ!」
「いいや、それは違うよ、縁。俺だって彼女の死を止められたはずなんだ。なのに俺には何もできなかった。それは悔いるべきことだし、責められるようなことだ」
「ちがっ……舜は何も悪くなんて」
「……もういいか?」
二人の言い合いに、相楽が退屈そうに割って入る。
それを受けて、真野さんはぎろりと相楽を睨みつけた。
「大体、あんたが全ての現況でしょ!」
「何を言っているんだ? 俺にはあいつを殺す理由なんてないのはおまえだって知っているだろう? なあ、真野」
「気安く呼ばないで、このゲス野郎!」
「誰がゲス野郎だ。おまえらに何と言われる筋合いはないぞ」
「よくそんなことが言えるわね、泉を死なせたくせに!」
「だから、それは俺のせいじゃねえっての」
「あんたのせいよ!」
「落ち着いて、縁」
気持ちを高ぶらせて、怒りのままに叫ぶ真野さんの前に冴羽くんが躍り出る。
彼女の肩を掴み、目線を合わせ、優しく語りかけていた。
「落ち着くんだ、縁。感情に任せて言葉を放ってはいけない」
「なんだ? 自分にとって不利なことを言われると困るからか?」
「……君も、少し黙っていてくれないか?」
静かにそう言う冴羽くんの声は重々しくて、いつもの明るくて気さくな彼のキャラクターからはかけ離れていた。
「なんだよ? 他人にはよく言うくせに、自分だって感情を押し止められていないじゃないか?」
茶化すような相楽の言い方に、さすがに冴羽くんもカチンときたらしい。ぎろっと相楽を睨みつける。
「おー、怖い怖い。けど、事実を言わないのはフェアじゃないよな」
「事実……だと?」
「ああ、事実だ。中学の時、俺たちの間に何があったのか、それを今ここで言う」
「あまり妙なことはしない方がいい。君のやったことは全員が知るところだ」
「それはどうかな。第一、俺はあいつの死には実はそれほど関わっていないんだ」
「何を言って……」
「確かに、あいつは誰とでも仲よくなれるような奴だった。そんなあいつの人間的部分のお陰で俺もあいつとはそれなりの付き合いをしていたさ」
冴羽くんの怒気を孕んだ言葉を遮り、相楽は窓の外を見た。
「あの日もこんな穏やかな日和だった」
「何を……?」
「あいつが死んだ日の話だよ」
相楽が真正面から真野さんと相対する。
真野さんは彼から目を逸らし、肩を抱いた。
「聞きたくなんてないわ、そんな話」
「そう言うと思っていた。けど、聞いてもらう」
相楽の口調は真剣だった。
私も、他の誰も彼に異論を挟める人なんて、この場にはいなかった。
「あいつが死んだ日、確かに俺はあいつと会話をした最後の人間だ」
「だったらあんたが止めていれば、あの子は……」
「まあ聞いてくれ。あいつは、俺にひとつの相談をしていたんだ」
「相談? あんたみたいな奴に一体何を相談するって言うの!」
「こう言ってはなんだが、俺も縁と同意見だ。泉が君に相談ごとをするとは到底思えない。一体何の相談をされたんだ、君は?」
「……ま、単なる恋愛相談だ」
「恋愛……相談?」
真野さんが怪訝な顔になる。
「そんなことがあるわけないでしょう! どうしてあの子が、泉があんたなんかにそんな相談をするのよ!」
「俺の知ったことじゃあないな」
相楽は肩をすくめ、突き放すように言った。
「あいつが何を考えていたかを俺が知る必要はない。ただ俺は事実を語るだけだ」
「あんたの言うことが事実だなんて思う奴は、この場にはひとりだっていないわ」
「まあ……だろうな。それでもだ」
相楽は真野さんから視線を逸らさずに、じっと彼女を見ていた。
私なら、どうだっただろう。同じような状況で、相楽みたいに振る舞えただろうか。
自信なんてない。もしかしたら、きっともっと前に心が折れていたかも知れない。
そう考えると、身震いした。
自分以外に味方なんていなくて、それでも自分が正しいと主張し続けられるとは到底思えなかった。
「なぜあいつが俺に恋愛相談なんてしてきたのか、俺にもわからねえ。けど、どうしてそれを真野、おまえにしなかったのかだけはわかる」
「な、なんだって言うのよ……」
「あいつは……冴羽が好きだったんだ」
ざわざわ……、と心がざわつく。
私は思わず冴羽くんを見やった。――と、冴羽くんの表情がいつもとは違い、驚いたように目を丸くしていた。
「あの子が……舜を?」
「ああ。そしておまえが冴羽に好意を寄せていたことも知っていた。だからお前にだけは相談なんてできなかったんだ」
「嘘よ、そんなのでたらめだわ!」
「嘘じゃねえよ。本当のことだ」
相楽は落ち着き払った様子で、言葉を続ける。
「あいつはよく、俺に冴羽の話をしていたよ。それはもう、きらきらした瞳で」
昔を懐かしむような、憐れむような声と表情。
相楽は今、その時の彼女との思い出に触れている。彼女の声や姿を思い出して、その言葉のひとつひとつに耳を傾けているのだろう。
「……違うわ、違う」
「落ち着くんだ、縁。……それで、それが彼女の死と一体どんな関係があるんだ?」
「簡単なことだ。あいつはおまえに振られたんだとよ」
「振られ……何を言っているんだ、君は」
怪訝そうに眉を寄せる冴羽くん。
え? 何? ……どういうこと?
「やっぱりあんたのでたらめじゃない! 第一、あんたみたいな奴に相談するなんてあの子がそんんことをするはずがないでしょ!」
「……やはり、おまえは気づいていなかったか」
真野さんの叫びを無視して、相楽は悲しげに嘆息した。
「あいつは言っていたよ。おまえに振られたんだと、はっきりとな」
「だが……俺は振ったりなんて」
「わかってる。おまえは振ったんじゃない。そもそもおまえたちの間には認識の齟齬があったんだ」
「……認識の齟齬? それはなんだと言うんだ?」
「大したことじゃない。取るに足らない小さなことだったんだ」
なんとなく、私には解るような気がした。
泉さんと冴羽くん。ふたりの間にあった、小さな、しかし圧倒的な溝。
認識の違い。好きという言葉の持つ、多面的な意味合い。
つまるところ、冴羽くんと泉さんの好きはそれぞれ似ていて、けど決定的に違っていたという、ただそれだけのことだ。
たったそれだけのこと。それだけのことで、人は簡単に絶望するものだろうか?
命を絶つまでに至るものだろうか?
私はにはまだ、その経験がない。だからわからないのだろう。
けど、泉さんは違った。そこには、私にはもちろん、本人たちにもわからないような様々な偶然や必然が重なったことだろう。
その結果、絶望した。その絶望に耐えられずに、泉さんは死を選んだ。
そして、多くの人の人生がわずかに傾いたんだ。
「……俺の、せい?」
今の話があまりにショックだったのだろう。相楽くんは両目を見開き、カタカタと小さく震えていた。
相楽が、ゆっくりと首を振る。
「いいや、違う。おまえのせいじゃない。おまえが言ったように、誰かのせいというわけじゃない。ただの偶然だ。ただの悲しい偶然が重なって、こんな結果になってしまっただけだ。だからあまり自分を責めるな」
「そんな……偶然で片付けられるわけがないだろう」
冴羽くんはぎゅっと、強く拳を握る。
下唇を噛み、顔を歪めていた。
「俺のせいで……俺が泉とちゃんと話をしていたら」
「だから、おまえのせいじゃないと言っている」
「それに、結果として俺は君を……」
「だが、そのお陰で今まで平和だったろ?」
「は……?」
冴羽くんが信じられないといったような顔つきで相楽を見る。
相楽は顔色ひとつ変えず、平然としたものだった。
「君は……何を」
「人間ってのはそんなものだ。共通の敵を得ることで団結できる」
「そんな……そんなことのために、君は今まで泥を被っていたというのか……!」
「まあな。それに俺だってあいつの死を止められなかった内のひとりだ。責められるいわれはある」
「待って、相楽」
相楽の言いようは取り方によっては、ひどく立派だと思えただろう。
けど、私は彼の言い分が絶対的に正しいなんて思えなかった。
何か、ひどい勘違いをしているのではないかと、そう感じたから。
「どうしたんだ?」
「たぶん……相楽は勘違いをしている」
「勘違い? 何をだ?」
「あっと……ええと、うまく言えないけど」
「うまく言えないって……」
呆れたように、相楽が嘆息する。
「そんな言い方をされたってわかるわけがないだろう。それにおまえには関係のないことだ。これは俺と冴羽と真野とあと何人かの問題なんだから」
「それは……そうだけど」
相楽に言われて、私は言い淀んでしまった。
確かに、相楽の言う通りだ。私は相楽たちの問題はと何の関係もない、赤の他人。
ただの赤の他人がでしゃばることじゃあない。そんなのはわかっていた。
でも、と自分の中で納得できない何かが私を駆り立てる。
「でも……相楽の言うことはおかしいって思う。相楽だけじゃない。冴羽くんも真野さんも、みんな変だって思う。だから……」
「春野さん、いい加減にして。言いたいことがないのならそんなことを言わなくてもいいじゃない」
「私は……ただ」
なんと言ったらいいのか、私にはわからなかった。
相楽の言い分もわかる。真野さんの言っていることも理解できる。冴羽くんの主張だって何だかんだで頷ける。
だけど、それら全てを合わせて考えると、やはり違和感は拭えなかった。
「まあ待って、ふたりとも。……天ちゃん、一体何が言いたいんだい?」
「何が……」
実際のところ、自分でも何が言いたいのかよくわかっていない。
私は、ふたりに対して何を言いたいのだろう。私の、伝えたいことって何だろう?
「私が……言いたいのは」
自分が言いたいことがわからなくて戸惑う。
中学の頃は、こんなことはなかった。自分の言いたいことははっきり言えたし、ちゃんと理解もしていた。
なのに、今は違う。私は、一体どうしてしまったのだろう。
「言うべきことがないのなら、黙っていてくれないかしら?」
「それは……」
私が口籠っていると、真野さんの冷ややかな声が飛んでくる。
私は反論しようとして、止めた。
結局のところ、私は赤の他人だ。その赤の他人が何を言ったところで、きっと意味なんてないのだろう。
問題は当事者だけで解決されるべきことだ。
結果として、私は押し黙る。と、真野さんが言葉を続ける。
「そうするのが当然だわ。それにしてもあんた、何だってそんな作り話をいまさら」
「作り話じゃないんだがな……とはいえ、信じられないのは当然だろうな」
相楽は肩をすくめ、小さく嘆息する。
確かに、相楽の話は現実的とは思えない。
これまでの三人の話を聞いていると、どうも相楽は中学時代からあまり社交的な正確ではなかったらしい。そこに泉さんとだけ仲よくなったというのは少し無理があるような気がする。
「ま、そう思うのも無理はない。けど、これは事実だ。本当のことなんだから仕方がないだろう?」
「嘘よ。あんたの言うことは全部嘘だわ」
「どうしてそう決めつける? 本当のことかも知れないだろう?」
「ありえないわ。いい加減にして」
真野さんの声に苛立ちが乗る。相当、相楽に対して嫌悪感を抱いている様子だ。
「あんたの言うことなんてひとつも信じない。絶対よ」
「……ま、おまえが信じる信じないなんて関係のないことなんだがな」
「何……?」
相楽の言いようは、他人をバカにしたようにも聞こえた。のは、私だけだったろうか。
「あいつは冴羽のことが好きだった。当時からおまえは飛び抜けて女子カラ人気があったしな。ご多分に漏れずって奴だ」
言いながら、相楽は肩をすくめた。
「そしてあいつは告白したんだ。結果は今言った通りだがな」
「それは……いつのことだ?」
「二年前の七月七日だ」
「七月……いや、告白なんてされた覚えは」
冴羽くんは考え込むように俯いた。本当に身に覚えがないのだろう。その表情はかなり戸惑っている様子だった。
と、記憶を探る内に心当たりにたどり着いたのだろう。冴羽くんの瞳がゆっくりと見開かれる。
「まさか……!」
「思い出したようだな」
相楽の声には、冴羽くんを責めるような苛立ちが乗っていた。
「けど……あれは告白って感じじゃなくて」
「ああ。俺もあとから話を聞いて驚いたよ。まさかあいつが、そういう部分では女らしかったことがな」
「……あんな言い方されて、わかるわけがないだろう」
「俺もそう思う。だからおまえを責めるのは筋違いだと知っている」
「それでも……俺は泉の気持ちを汲み取ってやらないといけなかったんだ」
がっくりと、冴羽くんが項垂れる。両膝を突き、頭を抱えて唸り声を絞り出す。
「俺は……俺は」
「違うわ、舜のせいなんかじゃない! あなたのせいじゃないわ……」
真野さんが駆け寄り、冴羽くんの肩をかがみ込んだ。
「あいつの言うことを真に受けるなんてどうかしてるわ。大丈夫、あなたのせいじゃないから。私にはわかる」
「……いいや、相楽の言っていることは辻褄が合っている。俺の記憶とも合致する部分が多々ある。……つまり相楽の言うことは本当のことなんだ」
絞り出した彼の声はそれは悲愴感に満ちていた。まるで、今まさに地獄を体験している人のようだ。
私は相楽に歩み寄り、そっと小声で問う。
「……相楽は、一体何がしたかったの? 本当のことが言いたかったというわけでもないでしょう?」
「……別に、何がしたかったということもない。本当のことを言ったところで誰が幸せになるということでもないことはよくわかっていた」
「でも、これで少なからず相楽への誹謗中傷は減ると思うよ」
「そんなことのためにこんな大事にしたりはしない」
「だったら……なぜ?」
どうして相楽は、こんなことを? そう訊ねようとして、言葉を止める。
そんなことを訊いて、どうするというのだろうか。仮に私が相楽の真意を知れたとして、だからなんだという話だ。
かわりに、私は別の問いを彼に投げかけた。
「泉さんは……こうなることを望んでいたの?」
「さあな。死んだ人間の意思なんて、俺にわかるわけがない」
冷ややかに、しかしどこか後悔の色を滲ませて、相楽はぽつりと呟いた。
教室には、異様な空気が流れ、ほとんど授業どころではなかった。
それから大体一ヶ月が過ぎたある日のこと。
教室に行くと、それまでと変わらない光景が広がっていた。
要するに相楽がひとり、ぼけーっと窓の外を眺めている風景だ。
私は相楽のその姿を見て、ちくりとした胸の痛みを感じた。あの一連の騒動が誰も望まない形になって終わりを迎えた翌日から、相楽は今まで通りの一匹狼を貫いていたのだ。
けど、変化はあった。少しずつではあるが、相楽に話しかけるクラスメイトが出てきたことだ。まだ相楽に対する遠慮や恐怖はあるものの、それでも果敢に話しかけては撃沈していく、という光景を度々見るようになった。
それ自体は、きっと歓迎するべきことなのだろう。いつまでも過去の出来事に囚われていては、人間前へは進めない。
けどそれは、相楽にだって言えることだ。
相楽は今だにひとりでいる。たったひとりで。
それはおそらく、過去の出来事……泉さんの出来事が関係しているのだろう。
私は相楽に近寄り、声をかける。
「大丈夫?」
「……何がだ?」
「何がっていうか……あんなことがあったあとだし」
「別に。大したことはない。いつも通りだ」
「いつも通り……ねえ」
「……何が言いたい?」
「べっつにぃ」
相楽の威圧的な声に、私はこれ以上の言及を止めた。
相楽から少し離れ、彼を見やる。と、相楽は再び窓の外を見ていた。
「もう……全く」
たぶん、あれが相楽のありのままの姿なんだろうと思う。
だから、きっと心配するようなことは何もない。あとは時間が解決してくれるだろうから。
私は教室を出て、あの空き教室へと足を運んだ。
相楽と始めて言葉を交わした場所。机の上に手を滑らせて、思わずニッと円でしまう。
彼らの中にあった奇妙なわだかまり。それが完全になくなった、なんて思うのは間違っているのだろう。
でも、少しずつ少しずつ……彼らはわかり合える。
なぜなら、同じ人を愛したのだから。
きっと、大丈夫だ。……きっと。
いかがでしたか? 感想、ご意見などあればよろしくお願いします。