21.殴れるものなら殴りたかった
「お邪魔しまーす……」
凛は出現した自分の身の丈の倍以上はある木製の扉を数センチ押し開けて片目だけで向こう側の様子を確かめた後、恐る恐るといった感じで体を進入させた。その先にあるのはそう、凛のいる世界から時間的空間的に隔絶されたこの世の全てが記録されている場所である。
なぜこんな場所に凛が来れるのか。第一章でいろいろやらかし、過去を改変すべく時間移動を試みた凛であったが、時間移動はできず辿り着いた先がこの場所だった。結局はここの管理人?の助力を得て問題は解決したのだが、元の世界に戻る際に世界を繋ぐ扉を出現させる能力を返し忘れてそのままになっていた。今回はその能力を使ってとある目的のためにここを訪れたのだ。
ゆっくり歩きながら書架と書架のあいだに目を配って目的の人物を探す。
「えーっとライブラリンはどこに」
「だから帰れと言うのがわからぬか!」
「ひえっ!ごめんなさい!」
またここに来てしまったことにこの空間の主が怒ったのかもしれない。突然の怒声に凛は体を跳ね上がらせて驚き、反射的に謝った。とりあえず謝った。謝ればなんとかなる。
「あ……れ?」
凛は自分が叱られたのだと思ったが、それにしては近くに誰の姿も見えない。
怒声の主はここの管理人のライブラリンで間違いないと思われるが、彼がこんな声を荒げているのを長年一緒にいた凛でも聞いたことがなかった。
「誰か迷い込んでるのかな」
ここでは様々な場所の様々な時間から様々な生物が流れ着く。それを元の世界に送り帰すのもここの管理人であるライブラリンの役目の1つだ。凛も地球時間換算で100年程それを手伝ったことがある。大抵の人は説明すればすぐ帰ってくれるのだが、なかには混乱してこちらの話を聞かない者やここで好き勝手に振る舞おうとする輩がいて、そういうのは強制的に扉に放り込んでしまうことも。どうやら今もそんなのが居座っているようだ。
凛がさらに歩みを進めて7つ目の書架の先を覗くと2人の人物がいた。
「だって帰っても退屈だしー、仕事はきついしー。ほらウチって肉体派っていうより頭脳派だろ?」
「知らん。帰れ」
「んもぅいけずぅ。ウチなら元気な赤ちゃん産むこと間違いなしなんだから囲っておいて損はないぜ」
「我に生殖能力はない。帰れ」
「ごめん……。不能だったとは……」
「そういうことじゃない。いいから帰れ」
片方は凛より背が低く巫の衣装に似た服装を着た生意気そうな男の子。こちらがライブラリン。もう一方は歴史の教科書に載っている縄文時代とか弥生時代の貫頭衣のようなものを着ている凛と同じくらいの背丈の女の子。この子が帰りたくないとごねている張本人らしい。
(ふーむ。これからするお願いを快く引き受けてもらうためにここは私がひと肌脱ぐのが得策か)
自分の為が90%、ライブラリンの為が10%の打算だらけの人助けをするべく凛は二人の間に割って入った。
「お困りのようだねライブラリン」
「っ!何故お主がここに!」
「何故?愚問だね。心の友が困っているならそこが例え地の底でも宇宙の果てでも駆けつけるのが当然ってもんでしょ」
「いや別に友でもなんでもないのだが」
「あ、あれー?」
「そういえば能力を与えたままだったか。それは返してもらう」
「あぁっ、ご無体な!」
ライブラリンが人差し指をくいくいっと自分のほうへ曲げると、凛から薄緑色の光が分離してライブラリンに吸い込まれていった。この光が扉を出現させる能力だったようだ。
「まさか2度もここを訪れる者がいようとはな。能力を回収し忘れた我にも非はあるが……」
「待って!それがないと100年かけて構築した快適空間に来れなくなる!」
凛は以前、ここに流れ着いた家具家電を自分好みにセッティングしてプライベートルームを作り上げていた。
「あー、あれはもう片付けたぞ」
「なんで!?」
「あのように広げられていては邪魔になるではないか」
「邪魔って酷い!あれはああ見えて緻密に計算し尽くされた上での配置なの!一部の隙もなく、ただただぐーたら過ごすためのね。ここには場所なんていくらでもあるんだからあれくらいいいでしょ!」
「綺麗に整頓されてないのが気持ち悪くてな」
「あんたはA型人間か!」
凛とライブラリンが軽快な掛け合いを久しぶりにしているとそこに割って入る声があった。
「なあなあ、あんた誰?こいつの知り合い?だったらあんたからも言ってくれよ。ウチはもうあんな所に帰る気なんかないって」
「えっと」
「そやつの言うことを聞く必要はない。今扉に放り込んで元の世界に帰すところだった。丁度よい、お主がやるのだ」
「あの」
「そりゃねーよ!ここに来たのも何かの縁ってやつだろ?ウチをここに置いてくれよ。占いとか結構得意なんだぜ。あ、あとこう見えて尽くすタイプだから、ウチ」
「ちょ」
「占い?そのようなもの我には不必要だ。いいから放り出せ」
「こんだけ頼んでもダメなのかよ!この人でなし!てめーには赤い血が流れてねーのか!」
「そうだが?ほら何してる、放り出せ」
「ストップ、スト―――――ップ!!」
左右両方から滝のように言葉を浴びせられて途中で意見を差し挟もうにもタイミングが掴めず困った凛は事態の収拾を図るべく仲裁役を務めることにした。ライブラリンもこの女の子も感情が昂って冷静ではない。それなら客観的な立場の自分が2人の妥協点を探り収まるところに収めるのがいいだろうという判断だ。
「2人とも冷静に。熱くなるのはスタローン様が敵地に単独で攻め込む時までとっておきなさい」
なんのことだかわからない2人の頭上にはクエスチョンマークが3つくらい浮かんでいた。そのおかげかどうかはわからないが双方とも落ち着きを取り戻したようだ。
「まずはそれぞれ自己紹介しよう。お互いのことを知ることで自分の主張を相手に押し付けるだけじゃなく、相手の主張を一考する寛容さも生まれるはずよ」
「む……」
「それもそうだな」
思うところもあったようで2人は凛の提案を受け入れることにした。
立ち話もなんなので凛設計施工の快適空間跡地に場所を移し、適当にソファーとテーブルを並べお茶を淹れて準備完了。他2人にこんなセッティングは期待できなかったので全て凛1人でやった。女の子はソファーを見るのが初めてだったようで触り心地を確かめた後、ソファーの上に乗ってピョンピョン。これはわからないでもないしなんか許せる。問題はライブラリンのほう。凛が引っ張ってきたソファーにさも当然といった有り様で腰を下ろし頬杖をついて、凛がお湯を沸かしたり茶菓子を用意するのをただ目で追っていた。
「あのさ、ライブラリン」
「何だ」
「私は今、あんたを殴りたい」
「何故だ」
「殴ればこのモヤモヤがすっきりするから」
「そうか。殴るのは構わん。が、次の瞬間世界が終わることになる」
「ずるい!世界を人質にするなんて!」
ライブラリンならそれが実行できる。そしてやるときはやる。その言葉はけっして誇大妄想の類などではない。世界を消されても困るしそこまで殴りたいかと言われたらそうでもないので凛はとりあえず殴るのは諦めてささやかな嫌がらせで意趣返しをすることにした。
「それじゃあ準備も整ったところで自己紹介といきましょー。ライブラリンからね」
トップバッターに抜擢されたライブラリンは唇を湿らすためにお茶を一口含んだ。そしてその表情が険しく歪んだ。それを見た凛は心の中で転げ回って大爆笑。実はライブラリンに出すお茶だけを超苦いことで有名なあのセンブリ茶にしておいたのだ。
「その前に一つ、これは本当に飲み物なのか?」
「お茶だよ」
心中を隠しアルカイックスマイルを浮かべてただのお茶だと言う。
「しかし、舌を抉られるような」
「体に良いお茶だよ」
なおも食い下がるライブラリンに重ねて問題ない飲み物と言い張る凛。
「そうか……」
そこまでただのお茶だと強調されてはライブラリンはもう何も言うべきことはない。腑に落ちない部分はあるが、向かいに座っている女の子も美味しいと言って飲んでいるので自分の味覚に合わないだけかと強引に自分自身を納得させて自己紹介に移ることにした。ちなみによくよく見ると凛の体は小刻みに震えていた。
ライブラリンが口を開く。
「我はここの管理者にして世界の終焉を見届ける者」
訪れる静寂。世界から音が失われてしまったのか。
なわけない。誰も彼もがライブラリンの次の言葉を待っているだけだ。しかしいつまで経っても続きを話すようすがない。もしや。
「他には?」
「以上だ」
「やっぱりか!」
ここでは病気にならないはずなのに凛はなぜか頭が痛いような気がしてきた。
「もっとあるでしょうが!好きな食べ物とか趣味とか座右の銘とか、会話が膨らむ話題性に富んだものが!そもそも名前すら言ってないし」
「あの名前はお主が勝手に呼んでいるにすぎん」
「もういいわ!こいつの名前はライブラリン。好きな食べ物はラーメン。こう見えて世界で2番目に偉い……はず」
コミュニケーション能力の低いライブラリンに代わって凛が紹介することになった。本末転倒な気もするがこの場合は致し方がない。
「らーめん?なんだそれ?」
早速食べ物の話題に食いついたようだ。
「ラーメンってのはね、粉にした小麦を練って紐状にしたものをいろんな味付けで食べる日本の国民食だよ。確かあの辺に……」
ここに流れ着いた物の中にカップラーメンがあって、凛自身何度もお世話になっていた。まだ大量に保管してあったはずなのを思い出し、いろんな味のバリエーションからしょうゆ味を引っ張り出してお湯を注ぐ。女の子はその様子を不思議そうに眺めていた。
「ちょっと待ってね。さて、出来上がる間に私の自己紹介でも。一乃宮凛です。一乃宮が姓で凛が名前ね。」
「せいってなんだ?」
「あそっか、あなたの時代だとまだ一般的じゃないか。えっと、姓っていうのは家とか家族単位の名前なのよ」
「へーそんなのがあんのか」
「まあね。んで好きな食べ物は鶏のから揚げ。趣味はFPSゲーム。って言ってもわかんないと思うけど。あとこう見えて私、あんたのお母さんと同じくらいの歳だから」
「ええっ!?ウチと同い年くらいだと思ってた……」
女の子は目を丸くして驚いていた。凛にとってはその反応はもう慣れっこだ。
「次はあなたの番ね」
「おう。ウチは村のみんなから『ヒメ』って呼ばれてる。普段は畑仕事とかを手伝わされてんだけど占いとかのほうが好きだな。結構当たるって評判なんだぜ」
「へー」
ヒメ。姫。名前なのか敬称なのか、言葉づかいからは品の良さがあまり感じられないことからただの名前かもしれない。
するとセンブリ茶をちびちび飲んでいたライブラリンがぼそっと口をはさんだ。
「当たるのは当然だ」
「ん?どうして?」
「そやつ、この書庫から情報を抜き出しておるのだ。本人は無意識にだろうがな。非常に稀だがそういうことができる者がおる。我としては不愉快だがそれを止める手立てがない」
凛がヒメのほうに目をやると、カップラーメンのふたの隙間から漏れ出す香りを鼻をくっつけて嗅いでいた。湯気の熱で時折顔を背けるが香りにつられてまた鼻をくっつける、というのを繰り返していた。とてもそんなすごいようには見えない。
「あ、もういいかも。少し混ぜてーっと、はいどうぞ。熱いから気を付けてね」
「これで食べるのか?」
「箸使ったことない?それならフォークのほうがいいか」
箸の代わりにフォークを渡すと、ヒメはぎこちない手つきで麺を少しすくって口に運んだ。食べにくいのか眉間にしわを寄せていたが、その表情が見る見るうちに変化していった。
「なんだこれ!なんだこれ!なんだこれ――――――っ!!」
あまりの驚愕にヒメはソファーから立ち上がった。そして麺をすくうのがもどかしいと言わんばかりにカップに口をつけてスープごとかき込むように豪快に食らっていく。
「この細い形状、一見すると食べにくいけどその実、非常に合理的にできてる。細い故に2本の間に程よく汁が絡まり、口まで運んでもしっかりその汁の味を感じることができる。さらにその弾力。長い間汁に浸っていたのにどろどろになるでもなく、しっかりとした歯ごたえ。そしてこの汁!魚……鶏……いや、それだけじゃない、様々なものが絶妙に融和してこの複雑な風味を醸し出している。香ばしくて濃厚、それでいてしつこくない。食欲を際限なく刺激されもう手が止まらない!この器のなかには大地と海の全てが存在している!ウチは……ウチは」
長い長い食レポのような解説が終わったヒメの瞳には涙が浮かんでいた。美味しさに感動したのだろうが、カップラーメンなど普段食べつけている凛は共感のしようがなかった。
「ま、まあ気に入ってもらえてなにより」
想像以上の反応に若干引き気味の凛だったがライブラリンは違った。挑発するような言葉をヒメに向けて放ったのだ。
「その程度で満足するとは底が浅いな」
「んだとぉ?」
「それはあくまで他人が創造した簡易的なもの。自らの手で麺を打ちスープを仕込んだものこそ至高のラーメン。えも言われぬ味と香りはそれを遙かに凌駕する」
「こ、これをか?」
ゴクリとヒメの喉が鳴る。どうやらライブラリンは凛がここを去ってから本格的にラーメン作りに目覚めたらしい。
「あんたは定年退職して暇を持て余したおやじか」
凛がぼそっと呟く。ライブラリンが麺生地をのばしているところや寸胴鍋の前に立って灰汁を取っている姿を想像してみるが似合わな過ぎる。というかもっと他にやるべきことがあるだろうに。
「頼む!ウチに作り方を教えてくれ!村のみんなにもラーメンを食わせてやりたいんだ」
「断る」
ライブラリンはヒメのお願いを即答で断った。
「なんでだよ!?」
「我の秘伝のレシピだからだ」
「なんだよそれ!?」
変なところで心が狭いんだよなぁライブラリンは、と凛は呆れていた。しかしこれはライブラリンに恩を売る絶好の機会でもある。
「秘伝もなにも基本あんたしか食べないじゃん。あんたの秘伝のレシピじゃなくて、一般的なのを教えればいいんじゃない?ヒメも教えれば帰ってくれるよ、ね?」
「ああ、教えてくれればウチは帰るぜ」
「そうか……」
考え込むライブラリン。
何を迷うことがあろう。あれほど帰りたくないと言っていたヒメがこの条件で帰ってくれると言っている。さあ首を縦に振るんだ!という凛の想いが伝わったのか伝わらなかったのか、ライブラリンはこんなことを言い出した。
「わかった教えよう」
ライブラリンの腕が動く。ゆっくりと持ち上がった右腕、その人差し指の動きを目で追っていくと凛のいる右方向を指した。
「こやつが」
「おいっ!」
ライブラリンが指し示した方向には凛以外誰もいないので凛のことを言っているのは間違いない。
「教えてくれるなら誰でもいいぜ。あんがとな!」
「いやいやいや、ちょっと待ってよ。何で私が?そもそも本格的なラーメンの作り方なんてしらないし」
「お主暇そうではないか」
何やら風向きがおかしな方へ変わりつつある。
(これはまずい。厄介ごとを全部私に押し付ける気だ、ライブラリンは)
本格的なラーメンの作り方など一朝一夕で教えられるものではない。凛が調べて実践しながらヒメに教えるとなると数日から1週間はかかるだろう。ここでいくら過ごしても元の世界では時間が少しも経っていないが正直面倒である。
(ちっ、将来有望な企業をライブラリンに聞いて就職活動の参考にしようと思ったけど、もうそんなこと言ってる場合じゃないか)
幸い凛が来た時の扉はまだ出しっぱなし。あれに飛び込めば、ここを出ることができないライブラリンは追ってこれない。問題はどうやってあそこまで行くか。
「そういえばお主、何をしにここに来たのだ?」
「え?あー、はは、今朝の占いで射手座の人はこっちの方角が吉になってたから?あっ!お茶冷めてる、新しいの淹れてくるね」
これしかない。新しいお茶を準備するふりをしてこっそり抜け出す。あとは死角になるところを選んで見つからないように扉まで進む。気付かれたら扉を消されてしまうからチャンスは一度きりだ。
「待て」
背後からライブラリンの冷たい声が刺さる。
(くっ、我が謀略に気付いたか?こうなったら『加速』で一気に駆け抜けるしか。でもライブラリンには通用しないかもしれない。ヒメを人質に?いやそれこそ効果ないでしょ。どうする?どうする?)
捻るときの音が聞こえそうなほど体を硬くして凛は背後を振り返った。
「次は別の味を頼む」
センブリ茶をもう飲みたくないだけだった。
オーディオコメンタリー風なあとがき
凛「21話いかがでしたか?」
亜「私の出番まだ?」
凛「新キャラが登場しましたね。今後私たちとどういう風に関わっていくか、それにも注目です」
亜「ねえ、私の出番」
凛「ええいしつこい!次の話であるわ!」
亜「え、本当?」
凛「しまった!口が滑った!……ま、いっか。じゃああれも言っちゃえ、もうやけくそだ!この小説の結末は」
亜「ちょ、ちょっと何言うつもりよ!あとがきで結末ばらすとかアホなの?いやアホでしょ」
凛「結末を知ってても楽しめる、それがこの小説だ!」
亜「いやそれはない。それは幻想だから」
凛「もっと自分たちの出てる小説に自信もとうよ~」
亜「逆にその自信はどこからくるのよ……」
凛「出演者が面白いと思わなければその作品は絶対に面白くならない。だからまず私たちがそう思わないとね」
亜「なんか凛が珍しく良いこと言ってる」
凛「珍しくは余計だ。これでもこの作品をどうにかこうにか面白くしようといろいろ暗躍してるんだからね」
亜「何してる……かは聞かない」
凛「ふふふ」




