14.魔法少女は核融合もできちゃう
絶対に来てほしくないタイミングであるほど、人はやってくる。そう思っていたほうがいい。
凛にとってのそのタイミングはまさに今だった。
背後にあるドアを開ける振動が部屋を揺らし、廊下と室内の気圧差で微かな風が生まれる。
そして、慣れ親しんだ低音ボイスが耳に飛び込んでくる。
「二度あることは三度あるとはこの事かあ……」
あれほど姉の部屋に入る時でもノックはしろと言い聞かせたのにこの弟は、と凛は窓に映る自分の顔を見ながら嘆息をもらした。
とは言ってもこの部屋は影親の部屋でもある。ノックをせずに入ったとしても誰が責められようか。
すでに変身を終えている凛の格好は、フリルがふんだんにあしらわれた普段使いでは絶対ありえないような配色の服。旅行に持っていくとしても宴会の席の催しにしか使われないだろうと見た人は誰もが思うに違いない。しかもその右手には鈍く黒光りするハンドガンなんかが握られている。
「いろいろ尋ねたいことがあり過ぎて頭がパニック状態なんだが……まずその服装は何なんだ?」
影親の視線は凛の頭、胸、腹、脚、それから右手のハンドガンと順番に移動して、最後に凛の脇にいたカピバラを長めに見つめた後、また凛の頭に戻ってきた。
影親の質問はもっともだ。近親者がこんな変な格好をしていたら誰でも問い詰めたくなる。
まだ自分のほうに顔を見せないことを訝しみ、振り向かせようと凛の肩に手を置いた。
「なあ姉貴、聞いて」
「てやっ!」
力を込めた瞬間、謎の掛け声とともに急に振り返った凛が影親の額にハンドガンの銃口を押し当ててトリガーを引いた。蒼白い光輝が銃口と額の接触している部分から拡がって二人の影を畳に落とす。
数秒程して光が収斂すると、低い笑い声が部屋に染み渡るように響いてきた。
「ふっふっふ、記憶を消してやったぜ」
そう言う凛の目の前には、焦点の合わないどこか虚ろな目をした影親がぽつんと立ち尽くしている。
「まあこの場合は仕方ないカピ……。すぐ気が付くだろうからその前に変身を解くカピ。僕は姿を隠しておくカピ」
「うん、じゃあ適当にチカをあしらった後でみんなの記憶を消しに行こうか」
元の姿に戻るのは一瞬。カッピーもその間にクローゼットに隠れる。
凛が魔法のハンドガンをキャリーケースに隠し終わったその横で、影親がはっと我に返った。
「うん?俺何してたんだっけ?」
記憶を消された前後のことがあやふやになっているようだった。
「チカ、日焼け止め忘れてたから取りにきたんでしょ?私のを使っていいよ」
はい、と凛が日焼け止めを差し出すとなぜかおずおずと受け取る。
「……ありがとう。ところで」
影親の口から次に発せられた言葉の意味を凛が噛み砕いて嚥下するのにしばらくの時間を要した。
「きみはこの旅行に1人で来たのかな?」
最初凛は影親が冗談を言っていると思った。
「間違ってたらごめん、見たところ中学生か小学生みたいだったから。そうか、きみが俺と同室なのか。もっと親しい人と同室だったような気がしたけど、気のせいか」
しかし、影親は凛に対してほとんど冗談を言わない。ましてや、こんな他人のふりをするような悪質な冗談なんか絶対に。
「ねえ、何言ってるの?私だよ?一乃宮凛、あんたの……」
「凛ちゃんっていうのか。奇遇だね、俺も名字が一乃宮なんだ」
その言葉に心臓がストンと落ちるような、血液が一気に冷やされたような、嫌な感覚が凛を襲う。
とある可能性に思い当たって、でも認めたくなくて、それ以上自分の口から音が出なかった。
「みんなもう海に行ってるから凛ちゃんも早くおいで」
日焼け止めありがとう、と再度お礼を言い、影親は部屋を出ていった。
残された凛は顔の表情筋を強張らせたままその場から動こうとしない。
静かになって影親が戻ってこないのを確認したのだろうか、カッピーがクローゼットから出てきた。
「あ~これはたぶん魔法失敗したカピ。僕のこととかだけじゃなくて凛の記憶まで全部消えちゃったみたいカピ。細かい制御が必要な魔法をあんな咄嗟に使うからカピ」
自分では認めたくなかったことをカッピーが全部喋った。
「失敗?は、ははは、元に戻せるんだよね?記憶……」
乾いた笑い声が出て頬が引き攣り、口角がピクリと微動する。
「消えた記憶はもう戻らないカピ。前にも言ったけど魔法は万能じゃないカピ」
なんの躊躇いもなくあっさりとカッピーは事実を突きつけた。
こぼれた水はもう器に戻らないのだと言うように。
「何でよっ!?何で魔法で消したのに魔法で元に戻せないのよ!?」
激昂した凛は白塗りの壁に小さな拳を叩きつけ、カッピーを睨みつける。
「魔法はあくまでこの世界の事象をこの世界の範囲内において操作改変することしかできないカピ。存在する記憶は改ざんしたり消したりできるけど、消えて存在しない記憶をどうにかはできないカピ。有を無にはできるけど、無から有はできないカピ」
「じゃあチカの記憶から私のことはずっと消えたままってこと?そんなこと、そんな……私こんなことになるなんて―――」
とすんと力なく腰を落とし、先程までの激昂が嘘のように鳴りを潜めて無感情に独り言をつぶやく。
魔法=何でもできる、凛はそんな風に思っていた。だって魔法なんだからと。
変身、実体化、飛行、魔法弾、身体強化、催眠。今まで使ってきたそれらの魔法がどのような理屈で作用していたのか凛は考えもしなかった。
例えば変身。これは正確に言えば物質変換という部類になる。服等を分子レベルまで分解し、必要な分子を収集再構築してイメージ通りの物を作る。魔法使用者は作りたいものの分子構成まで知らなくてもそこは魔法がサポートする。
そして身体強化。自分の身体が強化されていると凛は思っているがその実は、身体を外部の影響から隔離保護するように高密度の空気層で全身を覆い、その空気の圧力で動作の補助をしているだけだ。
これらのように魔法の作用には必ず理屈が存在する。
記憶の消去だってそうだ。微細な電気パルスを脳に送り込み、該当する記憶の部分を刺激し消去している。
記憶が存在しているのはどこか?シナプスである説、はたまた脳内ネットワークそのもの説など諸説あるが未だに人類はその答えに辿りついていない。だが魔法はその答えを知っているかのように記憶を消去した。そして消えた記憶というのはもうどこにもない。魔法で再構築しようにも分子で構成されているわけではないから再生できない。もしかしたら疑似的な記憶を植え付けることはできるかもしれないが、そうだとしても元の記憶とは全然別物だ。
「……やだ、やだよ。チカ……」
「凛……」
凛がこんなにショックを受けるとはカッピーは想像もしていなかった。
自由奔放、傍若無人、唯我独尊、そんな四字熟語が似合う魔法少女にはちょっと、いやだいぶ相応しくない性格の彼女だがカッピーは思いのほか気に入っている。キャベツとリンゴが毎日もらえるというのもあるが、何より気を使わなくていいのだ。言いたいことがあればガツンと言う。相手も言い返す。それで喧嘩になることもあるが、それすらも楽しいと思う。この先、他の魔法少女に仕えることになっても、凛との関係ほど打ち解けあうことはないだろうなとすら思うほど。
その凛が過程はどうあれ自分のせいで落ち込んでいるのを見るのは辛かった。
だからだろうか、こんなことを言ってしまったのは。
「元に戻せるかもしれないカピ」
心神喪失のような状態になっていた凛がその言葉に反応し、ゆっくり顔を上げる。
「……できるの?」
その声は弱々しい。可能性があるなら賭けてみたい、でも信じきれない、そんな声だった。
「あくまでかもしれないという話カピ。それに……ちょっとどころかかなり危険な橋を渡ることになるかもカピ」
「聴かせて」
凛の瞳に光が意思が戻り始める。
だがカッピーはこれを提案してもいいものかと今更ながら躊躇いを見せた。
おそらく誰もやったことがない。そして実行したらどうなるかわからない。ほぼリスクしかない方法だったからだ。話を聞いたら凛は必ずやると言うだろう。短い付き合いだがそれは確信できた。
今カッピーが天秤にかけているのは「世界」と「凛」だ。
世界と一人の人間、通常なら前者のほうが遥かに重い。だがそれは時として入れ替わる。感情が理論を凌駕する。
「過去に戻ってやり直すカピ。記憶を消去するのを止めるか、僕が海に行くのを止めるか、それは凛に任せるカピ」
「過去に戻るって……でもそれはいわゆる『親殺しのパラドックス』になるんじゃ……」
親殺しのパラドックス――過去にタイムトラベルしようとする際に問題になる論理的矛盾。
例えばAさんが自分の親を殺したいと思って自分が生まれる前の過去に戻る。そこで自分の親を殺したとしよう。すると自分が生まれる前の親を殺してしまったのでAさんは生まれないことになる。Aさんが生まれないということはAさんの親は殺されない。Aさんの親が殺されないということはAさんが生まれて、Aさんが過去に戻って親を殺しにいく――。堂々巡り、無限ループ。
凛が過去に戻って記憶の消去を止めたとしたら同じような矛盾が発生することになる。
「かもしれないカピ。そもそもその前に過去に戻れるかどうかもわからないカピ。失敗すれば世界そのものが消えて無くなるかもしれないカピ」
「カッピーは成功する可能性はどれくらいだと思う?」
「……小数点以下にゼロが何個も付くくらい……カピ」
これでもカッピーは控え目に言った。端的に言えばほぼ無いに等しい、ということだ。
これ程までに分の悪い賭けがあるだろうか。いや、賭けというのも語弊があるかもしれない。一縷の望み、だ。
「宝くじで一等前後賞が続けて当たるくらいか。確率的にはまあ悪くないんじゃない?」
凛にとってはそれでもよかった。
元よりカッピーがどんな確率を言おうとも凛はやるという選択肢を選ぶつもりだった。0%以外は。
「本当にいいカピ?」
「んー、よくないでしょそれは」
念押しの質問に否定ともとれる返事をする。
「他の人が私のすることを聞いたら馬鹿だと思うでしょうね。記憶ぐらいでそんなことするか?って。そりゃそうよ、私だって馬鹿だと思うし。自分のしでかした不手際をなかったことにするために世界を危険にさらすかもしれないって、そんな奴いたら私でもぶっとばすよ。とどのつまり、私がすることは悪なんだよ。全ては自分のため。自分の感情を優先させる、悪の大魔王なんだよ。カッピーこそ止めるなら今のうちだよ?」
唇の端を吊り上げ邪悪に嗤ってみせた。
「僕が提案したことカピ。最後まで責任もって付き合うカピ」
「いい度胸してるじゃない。無事終わったら牧草のロールでも買ってあげるよ」
「その言葉、しっかり覚えとくカピ」
お互いの手を取りがっちりと握手を交わす。
「それで過去に戻るってのは魔法でだよね?」
「そうカピ。でも一人だと難しいカピ」
「もっと詳しく」
過去に戻る、つまり時空を歪めるには膨大なエネルギー量が必要である。そのエネルギー自体は核融合などで魔法少女が一人で生み出せるのだが、それが拡散しないように空間に固定し制御するのにもう一人いるらしい。
というような説明をカッピーがさらっとした。
「一人で核融合できるとか……魔法少女めっちゃ危険じゃん!まあ私がその危険人物になろうとしてるわけだけど」
「普通は思いついてもやらないカピ」
「そりゃそうだ。実行した瞬間自分が真っ先に死ぬんだもの」
自殺願望の魔法少女がいたらちょっと危ないかもしれない。
「しかしもう一人となるとやっぱり亜央しかいない。こんなことに巻き込むのは気が引けるけど、知り合いの魔法少女は亜央しかいない。やってくれるかどうか……」
「やる前から弱気になってどうするカピ」
「……うん、そうだね。全てを打ち明けてお願いしよう。嘘をついてたことも謝って、それで許してもらえなかったらその時は仕方がないよね……」
「凛……」
凛は寂しげな顔を見せた。
「その時は……脅迫だろうがなんだろうがありとあらゆる手段をもって強制的に協力させてやる!後のことは知らん!」
ような気がしただけだった。
「いやまあ、それが凛っぽいといえば凛っぽいカピが……」
「でしょ?」
なんとかなるかもと思わせる、そんな空気が生まれる。
何かを成功させるには底抜けに楽観的なことも必要だったりするのだ。
「善は急げってことで、早速亜央に連絡するから」
携帯端末のアドレス帳から亜央の番号を選択し、電話をかけた。
「もしもし?凛だけど。あのね、一生のお願いがあるの」
凛の長い一日が始まる。
オーディオコメンタリー風なあとがき
亜「もしかしてこの作品終わっちゃうの?」
凛「ん?どうして?」
亜「だって、コメディーなのにシリアスな展開になってきたから」
凛「あーなるほど。大丈夫よ、まだ終わんないから。ほらあれよ、〇ラえもんとかでもたまに真面目な話が入るやつ」
亜「うわっ、びっくりしたー。急にそういう名前出さないでよ。伏字間に合ってよかった……」
凛「〇ラゴンボール、〇ザエさん、〇ンピース」
亜「おい」
凛「てへっ」
亜「はぁ、まあ終わらないならいいんだけど。伏線の回収もまだだし」
凛「それ!あのときの人影の正体は一体いつになったら明かされるの?気になって食事も喉を通りゃしない」
亜「さっきご飯たらふく食べてたじゃない……。私の予想では新しい魔法少女だと思うの」
凛「となると問題は属性か」
亜「キャラ被りだけは勘弁してほしいわね」
凛「ちなみに亜央は何属性?」
亜「お嬢様&ちょい謎」
凛「え?」
亜「え?」




