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13/26

13.100マイクロリットルの水分も返還請求の対象になる

 謎の奇声を上げた凛に、その場にいた全員の視線が集まる。

 凛は餌を待つ雛鳥のように口を大きく開け、熱帯雨林の中にでもいるかの如く汗を滴らせていた。


「どうしたんだ姉貴?」

「お姉様?」


 そんな凛の様子が心配になった影親と陽美加が声をかける。しかし呼びかけにも応えず、その目はカピバラに固定されている。

 もしかしてカピバラが苦手なのか?と影親が考えていると、そのカピバラが影親と凛のほうに近寄ってきて、体を影親の脚にすりすりとこすり付けてきた。


「か、可愛い~!何で海にいるのかしら、誰かのペット?ねえ、触ってもいいと思う?」

「カピバラってペットにできるの?……でも、確かに可愛い。触ってみようか」


 陽美加と玉緒がわいのわいのと騒いでカピバラを撫でまわしていると、影親の腕の中にいた凛が「降りる!」と言って抜け出し、カピバラを横から奪い取った。


「ごっめーん!ちょっとトイレー!」


 乙女にあるまじき宣言を大声でし、ばっひゅーん!と音がしそうな勢いで砂を巻き上げて砂浜を駆けて、貸別荘の方へ消えていった。

 トイレに行くのに何故カピバラが必要なのか、と皆が首を傾げていた。





 とりあえず貸別荘の裏まで全力疾走してきた凛は息も途切れ途切れだった。それもそのはず、火事場の馬鹿力が出ていたとはいえ、40キロ近くあるものを担いで数百メートル走れば誰だってそうなる。あと運動不足というのもある。


「はあっ、はあっ、あんたね……、こんなところで、はあっ、はあっ、何、やってん、のよ……、おぇ」

「暑かったから海に泳ぎにきたカピ。いやー偶然カピね」


 涼しい顔で白々しく質問に答えるカッピー。


「ふざっけんなっ!うら若い女の子に全身を弄られてよがっていたこのエロカピバラ!どうやって来たのかしらないけど、明日の三面記事確定よ!」


 今年の夏の暑さは異常?カピバラも海にやって来た!ってな内容の記事が躍るのが目に見える。


「使い魔協会の転移エレベーターで来たカピ。凛が最初から連れて行ってくれればこんなことにならなくて済んだカピ。つまり、全部凛が悪いカピ」

「おーおーおー?そんなこと言っちゃう?元はと言えばカッピーのわがままが原因でしょ!どうすんのよ!?使い魔協会にばれて魔法少女の資格はく奪されちゃったら、願い叶えられないじゃん!」

「別に喋ってるところを見られたわけじゃないから問題ないカピ。そんなに心配なら後で全員の記憶を消せばOKカピ」

「それはもちろんやるけど!でももうSNSとかで拡がっている分は魔法じゃどうしようもないでしょ。現代社会の情報拡散速度をなめんな!ああ、活動しにくくなる……」


 もしかしたらさっき自分がカッピーを抱えて走り去ったのも写真に撮られてネット上にアップされているかもしれない。そう思うと携帯端末を確認するのが恐ろしくなり、凛はしゃがみこんで頭を抱えた。

 そんな凛の肩にカッピーが前足をポンと置いた。


「大変カピな?」

「どん口が言うかやー!いい加減にせんと動物園送りにしちゃーぞ!?」


 素早くカッピーの頭部に腕を回し、全体重を載せヘッドロックをかける。

 あまりの怒りで、言葉の端々に凛の故郷のなまりがちらりと顔を見せていた。


「い、痛い!痛いカピ!それにしても胸が全然ないカピな?」

「あん?」


 締め付ける力が一層増す。

 もう動物虐待だとか関係ねー、てかこいつは動物じゃねー、と自分に言い聞かせて、凛はカッピーを締め上げる。水着なので毛がチクチクと痛痒いがそんなのは些細なことだ。


「あだだだだーっ!?悪かったカピ!ごめんカピー!もうしないカピ!」


 痛みに耐えきれなくなったカッピーが謝罪すると、凛はヘッドロックを緩めてカッピーを解放した。


「わかればいいのよわかれば。まったく、今回はあくまで一般サイドとしての旅行なんだから、どうしても行きたかったんなら別の日にこっそり連れて行ってあげたのに。しっかし、本当どうしようかな……。とりあえずこの辺一帯の人たちからカッピーに関する記憶は消すとして、あとは―――ウイルスか?」

「ウイルス?」

「そ。魔法で疑似コンピュータウイルスを作って、ネット上のカッピーの写真や記事のみを消すの。問題ないよね?」


 それでもこの場にいる人たち以外の記憶には残ってしまうが、現代社会は情報の拡散が早いと同時に忘れ去られるのも早い。そっちは放っておいても大丈夫だろう。


「まあ、それなら大丈夫だと思うカピ。人に危害を加えるわけじゃないカピから。記憶を消すのは本当はグレーゾーンカピが」

「黙ってればわかんないよ。んじゃ、記憶の消去を……」


 早めにしとこう、と凛が言おうとした時、がさがさっと草をかき分ける音がした。

 バっとその音がした方向に首を向ける。人が立っていた。背が高くて、水着の上に着ている大き目のTシャツの上からでもその身体のラインがくっきりと浮き出ている。


「凛ちゃん」


 華夜子だった。

 カッピーのほうをちらっと見て、そして凛のほうをじっと見つめる。凛の名前を呼んだきり、まだ何も言わない。それが凛の不安を煽った。

 頬を伝った汗がぽとりと一滴地面に落ちて、直径1センチメートルの染みを形作る。


(なんというベタな展開……。もしかしてカッピーと話してるとこ見られた?いや、まだわかんない)


 カッピーの顔もどことなく緊張しているように見える。顔色はわからないが。


「ど、どうしたの華夜ちゃん?こんなとこでそんなに露出の多い格好してると悪い狼に襲われちゃうよ?」

「それは凛ちゃんも一緒でしょ?小さいのが好みって人もいるし。それとも凛ちゃんはそっちの彼が守ってくれるの?」

「な、何言ってるのさ。カピバラだよ?なんの変哲もないただのカピバラだよ?キャベツとリンゴが大好きなザ・カピバラだよ?見てよこの目、庇護欲をそそられるでしょ。守られるより守りたい、抱きしめられるより抱きしめたい、そんなのが守ってくれるわけ」

「でも話してたよね?」

「オウ、ジーザス!」


 しっかり見られていた。断定口調だったことから、凛とカッピーのやりとりをしばらく見ていたのかもしれない。

 凛がカッピーの顔を見ると「記憶を消しちまえ」と言っているような気がした。

 凛は頷き、記憶消去を実行するべく太腿の外側に括りつけてある魔法のハンドガンのホルスターに手を伸ばす。


「って水着だから付けてるわけないじゃーん!」


 行き場を失った右手が宙をさまよう。

 そんな凛の様子に、華夜子は不審げに眉をしかめている。

 旅行に持ってきてはいるのだが、今は部屋に置いてある赤いキャリーケースの中だ。隠し場所がない水着であんなもの付けてたら通報されるレベルである。

 凛はカッピーとアイコンタクトをとる。


 パチパチ(もう、こうなったら全部話すしかないんじゃない?)

 パチ、パチパチ(やむを得ないカピ。話したところは後でしっかりと記憶から消しとくカピ)

 パーチパチン(そういや、何で魔法少女や使い魔のことがバレたらだめなの?)

 パチ、パチリ(使い魔規約で決められているからカピ)

 パッチン(それは知ってるって。だからその理由よ)

 パッパチー(話せば長いけど、あとあと困るのは魔法少女だからカピ)

 パーチリン(よくわからん。けどつまり自己責任ってことね)


 という内容のやりとりを2秒程度で済ませて、全てを打ち明けるべく華夜子に正面から向き合った。


「華夜ちゃん……、実はかくかくしかじかなんだよ!」

「なんですって!?そう……、そんなことがあったの……。っておい!横着すんな!」

「むぅ」


 凛が超次元的手段を用いて説明を省略しようとしたのを、華夜子が見事なのりつっこみで制止した。

 そして、子供に語りかけるように膝をついて視線を合わせ、慈愛顔で話しかける。


「凛ちゃん、人間の彼氏ができないからって動物を彼氏にしたとしても、私は凛ちゃんの友達だからね。結婚式をするときは私も呼んでね」

「人間の彼氏まだ諦めてないよ!?」


 盛大な華夜子の勘違いに、凛の心の叫びが溢れだした。

 一乃宮凛29歳。「20代までが予行練習、30代からが人間本番」をつい先日から座右の銘とし、30歳になっても彼氏ができなかったら街コンやらなんやらにも積極的に参加しようと心に決めている。


「違うの?」

「違うよ!こいつは使い魔カピバラのカッピー。私、魔法少女になったの!」


 一般人が魔法少女と聞くと、小学生から中学生くらいの女の子がひらひらふりふりのカラフルな衣装を着て、なぜか世界征服を企みたがる悪の組織やら正体不明の侵略者などと戦う、○リキュアとかをイメージするだろう。

 そんなのになった、などと友人知人から突然聞かされれば、普通はどこか病んでいるのでは?と疑うところである。


「ん?凛ちゃん、○リキュアにハマったの?それとも○どかマギカ?」

「どっちかっていうと○どかマギカかな。○ミのマスケット銃、めっちゃかっこよかった。っじゃなくて!本当に魔法少女になったの!魔法も使えるんだよ?今はちょっと手元に魔法の武器がないから使えないけど。それに華夜ちゃんも見たでしょ?こいつが話すとこ」


 カッピーを抱えて華夜子の前にぐいっと突き出した。

 その獣臭が華夜子の鼻孔に届いたのか、何かを思い出すように視線を左上に向ける。


「あーこの臭い、この前凛ちゃんの部屋で嗅いだ臭いだ。なるほど、あの時の秘密はこの子のことだったの。確かにアパートで飼うのはまずいかもしれないけど、別に私には言ってくれてもよかったのに。連れて来ちゃったの?えーっと、この子が話す?んで凛ちゃんが魔法少女?様子が変だったから見にきたけど……凛ちゃん病院行こう、私も付き添うから」


 話が噛み合ってない。というよりも、華夜子は凛が暑さでおかしくなったと思っているようだ。


「あれ?こいつが話すとこ見てなかった?」

「動物が話すわけないじゃない。凛ちゃんがカピバラに話しかけてるのは見たけど。1人で受け答えしてたからいよいよヤバイのかと」

「……」


 タイミング的にカッピーが話すところは聞かれていたはずだが、どうやら華夜子は、凛がカッピーのセリフを話していたと勘違いしているようだった。確かにカッピーの声は割と高めなので、凛が発していたと思われても不思議ではない。


「あっはははははー、そうなんすよー!こっそり連れてきたのが逃げ出しちゃったみたいで。大丈夫、暑さでやられたわけでもないし、人間の男を諦めたわけでもないから。たまにやらない?ぬいぐるみとか動物に話しかけて、自分でそれに応えるってやつ。それよそれ!」


 凛は全力で誤魔化すことにしたようだ。カッピーもそれに合わせて口を開くことなく、いかにも動物っぽい動きを装っている。

 いまさら感は否めないが。


「大丈夫ならいいんだけど。私そろそろ海に戻るから、その子の面倒ちゃんと見とくんだよ?他の人には黙っててあげるから」

「うん、ありがと」


 華夜子が去っていくのをカッピーの前足を持って手を振ったりなんかして見送った後、凛は長い長い息を吐き出した。


「なんだー気付かれてなかったのか。早とちりするとこだった。いや、早とちりしちゃったけど華夜ちゃんが勘違いしてくれたおかげで、結果秘密が守れただけか。本当は華夜ちゃんに魔法少女のこと知っといてもらうのがいいんだけど、あの感じだと理解してもらうのに苦労しそうだわ。魔法使ってるのを見せれば一発なんだけど」

「それはそれでリスクもあるカピから。知ってる人は少ないほうがいいカピ」

「リスク?」


 凛はちょこんと首を横に倒す。


「知り合いが魔法を使えると知ればそれに頼りたくなるのが人の性カピ。最初は軽いお願いのつもりが次第にエスカレートして、脅迫やら犯罪紛いのことまでさせるようになって、結果的にその人たちの関係が悪化して、泣きながら記憶を消去しているのをいくつも見てきたカピ。魔法少女に関する記憶は消せても、壊れた関係までは直せないカピ」

「カッピー……」


 遠い目をするカッピー。

 彼は一体どれくらい生きて、何人の魔法少女と出会い、そして別れてきたのだろうか。その小さな背中にどれほどの悲しみを背負っているのだろうか。ある少女を魔法少女にしたことを後悔して悲嘆して、それでも世界平和の為にまた魔法少女を選ぶ。なんという苦しい人生、いやカピバラ生。

 それを想像した凛の双眸がじわりと熱くなる。


「というようなことが使い魔教本に書かれていたカピ」

「あんたの実体験じゃねーのかよっ!返せ!私の100マイクロリットルの水分を返せ!」


 カッピーが遠い目をしていたのは教本に書かれていたのはこれであってたっけ?と思い出していたからだった。


「当然カピ。僕はまだ生まれて2年カピよ?担当する魔法少女は凛が2人目カピ」


 彼氏ができたから魔法少女を辞めたという凛の前任者の少女がカッピー初担当だったらしい。

 そこでふと気になったことを凛は尋ねた。


「魔法少女だった人の記憶は辞めた後どうなってるの?」

「資格を返納したもしくは剥奪された場合は魔法少女に関する記憶は自動的に消えるようになってるカピ」

「へー」

「だから資格の付与剥奪能力を持ってる使い魔にはもっと優しくするカピ」

「それ静かな脅迫よね!?」

「そうカピ?あーたまには牧草食べたいカピなー」

「その手にはのらん!ほらさっさと記憶消去しに行くよ!」


 人々からカッピーに関する記憶を消去するべく、凛は部屋に魔法のハンドガンを取りに戻った。





「まだカピ?」

「ちょっと待ってよ、確かここに……あった!」


 自分のキャリーケースに詰めてあった着替えを取り出し、奥にしまい込んでいたお目当ての魔法のハンドガンを見つけて笑顔がこぼれる。


「じゃあさっそく変~身」


 ペカー!っと全身が光って一瞬のうちに服装が変わる。明らかに変身前後で布面積が違うのだが、そこは不思議な力が働いているということで。


「そうやって変身すると元の服に戻せなくなるんじゃないカピ?」

「ふっふっふー、最近は変身に慣れてきてね、元の服に戻せるようになったのだよ」


 魔法少女になりたての頃なんかはアパートで1時間くらいかけて着替えとメイクをしてから活動していたが、今ではほいほいと気軽に変身したり元に戻したりできるようになっていた。次はメイクを魔法でできないかと思考錯誤中である。


「ではでは、いざ行かん!記憶の海へ!」


 窓の外を指さし、凛は声高らかに宣言する。

 ガチャ。


「姉貴?」

オーディオコメンタリー風なあとがき


凛「カッピー、あんた重いのよ」

カ「そうカピ?一般的なカピバラの体重だと思うカピ」

凛「そういうことじゃなくて、そもそも使い魔なんだから体重くらい自在に変えなさいよ、ってこと」

カ「使い魔って言っても動物に毛が生えた程度のものだからそんなの無理カピ」

凛「いやいや、動物は元から毛が生えてるでしょ。とにかく、せめて私よりは軽くして」

カ「う~、ダイエットってことカピ……?そうカピ!それなら林檎ダイエットがいいカピ!」

凛「それだと普段のあんたとなんら変わらないじゃない。私が直々にトレーニングメニューを考えてあげるから。目指せ!バキバキの肉体!」

カ「嫌カピー!ムキムキのバッキバキは可愛くないカピー!」

凛「カンガルーも真っ青になるくらい鍛えてあげる。さて本編のほうではピンチを乗り切ったと思ったらまたピンチ?な予感」

カ「ムキムキは勘弁カピ……」

凛「どうなる私!頑張れ私!可愛いぞ私!次回お楽しみに~」

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