10.昼間の発言を思い返すと夜に悶える
陽美加は今、自分が置かれている状況を把握するのに脳細胞をフル活動させていた。
ファミレスの窓際の禁煙席、自分の座っている場所の対面に唐あげ定食をがつがつ食べている少女がいる。
しかしこの少女、実は少女ではない。それどころか、驚くべきことに陽美加より年上ですらあった。
「食べないの?私の奢りだからって遠慮することないよ」
「は、はい……。いただき……ます」
遠慮とかではなく、緊張で胃が縮小していて食べるに食べられないだけだったが、それでもなんとか無理して半分くらいを詰め込んだ。ハンバーグセットなんかやめて、スイーツ系か飲み物だけにしとけば良かったと陽美加は思った。
一乃宮凛。一乃宮影親の姉。
陽美加もファンクラブのデータベースでその存在は知っていた。
(影親君が恐れ敬う唯一の存在。実際に会うのは初めて。思ったより小っちゃいけど、全身から滲み出る威圧感は、影親君が恐れるのがよくわかる。玉緒との電話が緊急事態という言葉を最後に応答が無くなって、代わりに何故か影親君の姉と名乗る者が電話に出た。そして私との面会を要求してきた。半信半疑だったけど、玉緒がその者の手に落ちたというならば行かないわけにはいかなかった。そして待ち合わせ場所のファミレスにいたのは影親君のお姉さんで間違いなかった)
凛が唐あげ定食を食べ終わり満足そうにお腹をさすっているのを確認して、陽美加は頭の中にあった疑問を口に出した。
「あの、玉緒は……無事なんでしょうか?」
「玉緒?ああ、電話の子か。無事だよ、他の人たちと一緒にぐっすりと眠ってる。甘い夢を見ながらね」
その言葉を聞いて陽美加は安心した。
陽美加は凛が魔法を使うことを知らないので、玉緒たちを薬品か何かで眠らせたのかな、くらいに思っている。それはそれで結構危ない行為なのだが。
「でさ、何であんなことしようと思ったの?」
凛の言葉は陽美加たちがやろうとしていたことを知っていると物語っていた。
「……な、何のことでしょう?」
陽美加が白を切ると、凛の瞳が睨みつけるように鋭くなった。
その瞳を直視できず、誤魔化すように陽美加は食べ残しのハンバーグをフォークで突いた。
「あなたたちが襲撃しようとしていた女性はね、折伏華夜子ちゃんと言って私の親友なんだよ。この意味、わかるよね?」
陽美加の身体はいつの間にか震えていた。
店内のエアコンが効き過ぎているわけではない。事実、凛を始め、他の客が寒がっている様子はない。
(影親君とデートしていたのが影親君のお姉さんの親友……。おそらく二人の仲を取り持ったのは影親君のお姉さん。自分の弟と親友の仲を引き裂こうとしたばかりか、親友に危害を加えようとした私たちのことを怒ってる……)
自分たちの処遇は凛の気分一つでどうとでもなる。
不法侵入、強要、脅迫、暴行、傷害。警察にでも告げ口されれば、いくらでも埃が出る。
だが、それよりなにより、このことが影親に知られて軽蔑されることのほうがもっと恐ろしい。
そうなったら、きっと自分たちは生きていけない。
「自分の立ち位置が理解できたみたいだね。さて、どうしようか」
「お願いします!影親君には、影親君にだけは言わないでください!何でもしますから!」
「何でも……とな?」
凛の目がきらりと光る。
「じゃあさ、じゃあさ、質問!チカのどのへんを好きになったの?顔?性格?」
凛のさっきまでの剣呑な雰囲気が嘘のように霧散して、恋バナに一喜一憂する少女のように顔を輝かせていた。そのあまりの変わりように陽美加は呆気にとられていた。
「え?あ、あの、怒ってらっしゃらない?」
「うん?まあ、未遂に終わってるし、次同じことやったらどうなるか痛いほどわかっただろうし、全然怒ってないよ。それに何か勘違いしてるかもしれないから言っとくけど、チカに付きまとうこと自体は別に構わんのよ。他の人に迷惑さえ掛けなければね」
ズズズズっとオレンジジュースを啜る凛。
器が大きいと言っていいのか、ずれてるだけなのか、陽美加にはそれを推し量ることができなかった。
「で、どうなのよ?」
「えーっと、最初は背が高くてかっこいいなって。でも同じクラスで彼のことを見ていたら可愛いところがあって」
「だよねだよねっ!本人は完璧にやってるつもりだろうけど、時々抜けてるところがあってね、そこがまた可愛いのよ!この前なんかね……」
凛がテーブルに身を乗り出して爛々とした目を陽美加に向けてきた。そして影親の話が止まらない止まらない。
(えっ何?この人、弟のことがどんだけ好きなの……?。ブラコン?)
「しょうがないな~。姉だけが知る弟の秘蔵写真コレクション見せたげよう」
「こ、これは……!」
凛の携帯端末に保存されていた影親の写真の数々は、肉親でないと撮影できないようなきわどいものからユニークなものまで、ファン垂涎の品々で溢れていた。特に風呂の扉ごしに透けて見える裸体などはお金を払ってでも欲しいというファンが相当数いるに違いない。
ゴクリと陽美加の喉が鳴る。
「あ、あの、この写真いただくなんてことは……」
「タダっていう訳にはねえ……。そうだ!チカの学校の様子の写真ある?私そういうのほとんど持ってないからさ、それと交換しない?」
「もちろんですお姉さん!いえ、お姉様!というかファンクラブのデータベースがクラウドにあるので、そこにアクセスすれば学校の写真はいくらでも見れますけど」
「ファンクラブ?チカの?あ、そういう集団だったのね」
「よろしければお姉様も会員になられますか?そうすればアクセスキーをお教えしますが。いえ、それよりも……」
陽美加は数瞬迷う素振りを見せ、そして意を決したように凛の顔を正面から見据えた。
「是非ファンクラブの会長になっていただけないでしょうか!」
陽美加が深々と頭を下げる。
この人のほうが自分より会長に相応しい。この人のほうが影親への愛に溢れている。
きっとこの人ならあの殺伐としたファンクラブを素晴らしいものに変えてくれるはず。
「私がなってもいいの?」
「はい。今のファンクラブは発足当初の目的を見失い、もう私に制御できなくなりつつあります。会員同士の諍い、そして見せしめの制裁。私が望んでいたのはこんなものじゃなかった……。もっと皆で和気藹々と好きな人のことを語り合いたかっただけなんです。お願いですお姉様!お姉様ならファンクラブをより良い方向に導いていただけると思います!どうか!」
切実な陽美加の願いを聞き、凛は目を瞑り腕を組んでしばらく黙り込んだ。
やはり弟のファンクラブに姉が入る、ましてやファンクラブの会長になるのは抵抗があるのだろうか、と陽美加は固唾を呑んで見守っていた。
隣の席の客が帰って新しい客が席に座り、注文をしている。
「あの……お姉様?」
あまりの長考に心配になった陽美加が凛に声を掛けると、凛がカッと目を見開いた。
「よし、わかった!ファンクラブ会長、引き受けようじゃないの!」
「お姉様……!」
自分が今日凛に出会えたことは神の思し召しに違いない、と陽美加が思ったかどうかはわからないが、手を胸の前で組み合わせて潤んだ瞳で凛を見つめていた。
「でもさ、他の人は会長が代わることについて納得するかな?」
「一般の会員はそもそも会長のことなんか興味ないでしょうから問題ないですけど、初期メンバーはもしかすると反対するかもしれません……」
「うーん」
初期メンバーは特に結束が強かったから、いきなり知らない人物が今日から会長になりますと言われても、「何だテメーは。おとといきやがれ」という反応になる可能性が高い。
「私が責任をもって説得をします。お姉様に任せれば全て安泰だと切々と訴えます。それでも首を縦に振らない者がいたら、10年くらい入院してもらいましょう」
「やめなさい。とりあえず会って話してみないことにはどうにもなんないでしょ。今からとか会えないかな?」
「それが実は……」
「ん?」
陽美加が言いにくそうに言葉を濁す。
「お姉様のご友人を襲撃しようとしていたのが初期メンバーでして……その、玉緒も」
「あらら。玉緒ちゃんは私の顔見ちゃってるからなー、拒否反応があるかも。ま、会ってみようか、そろそろ起きてる頃だろうし」
こうして凛と陽美加は、玉緒を始めファンクラブの初期メンバーを説得するべく、眠らせている公園に向かった。
その公園は住宅街から割と距離があることもあってか、人影は疎らだった。
公園の中心から少し外れた所に直径30メートルくらいの小さな池があって、一応その周辺に遊歩道が整備されているので朝夕のランニングコースになっている。しかし遊具等は一切設置されていないので、土曜日であるにもかかわらず、親子の姿は見当たらない。そんな場所だった。
そんな公園の一角、2脚のベンチの周囲に10人の男女が集まっていた。
集まってゴミ拾いのボランティアをするではなく、ましてや善からぬことをするでもなく、ある者はベンチに仰向けに寝ていて、またある者は膝を抱えて地面に直接座っていた。
彼らは一様に生気のない顔をしていて、「う~」とか「現実なんて……」とか呟いている。
「おぉ、ここまで落ち込むとは……。ちょっちやり過ぎたか」
凛と陽美加が公園に着くと、凛が魔法で眠らせた人は皆起きていた。起きて沈んでいた。深く深く。
「あのー、これ眠らせただけなんですよね?変な薬、盛ってないですよね?」
そのあまりの様子に陽美加が不信感を露にする。
「いやいやいや、薬なんか盛ってないって。方法は企業秘密だけど、その人が望む夢を見させてあげただけだって」
夢と現実との落差に精神がついてきてないだけだ。
夜、すごい楽しい夢を見て、朝起きてそれが夢だったときの落胆のすごいバージョンだ。
凛と陽美加が彼らから少し離れたところで話していると1人の女性がこちらに気付き、さながらゾンビのように這ってきた。
「陽美加……それに、あああ、あなたは……影親君のお姉さん?」
「そ、そうだけど」
「ちょっと玉緒!大丈夫!?」
陽美加が駆け寄り、玉緒の身体を起こして腕で支える。
すると何故か玉緒が顔を真っ赤にして、腕から逃れようとジタバタと暴れ出した。
「ダメっ!離して陽美加!」
「一体どうしたのよ?」
陽美加が解放すると玉緒は一定の距離をとり、そして陽美加のほうをちらちらと横目で見ては陽美加と目が合うとまた顔を赤くしてそっぽを向いた。
「本当にどうしたの?」
「ううう……」
その玉緒の様子を見て凛は「ははーん、そういうことか」と閃いた。
そして軽いステップで玉緒に近づき、耳に口を寄せて小声で囁いた。
「……気持ち良かった?」
凛の一言を耳にした玉緒は、面白い程の反応を示した。
湯気が出るんじゃないかってくらいさらに顔を赤くして、口を鯉の様にパクパクと、黒目を超高速右往左往させた。
そこで凛はさらに言葉をかける。
「気付いちゃったんだね、自分の気持ちに。ううん、おかしなことじゃないよ。私はむしろ応援してあげたい。……でも、現実はなかなか思い通りにいかないよね。そんな時はさ、夢、見たくない?」
玉緒がはっとした表情で凛の顔を見る。
凛は仏の様な笑顔で頷く。
次に残りの9人にも同じように耳打ちすると、皆が皆同様の反応を返した。
事の成り行きを見守っていた陽美加の元に凛が戻ってくると、玉緒を含めた10人がしっかりとした足取りで陽美加と凛の所へやってきた。
「もう大丈夫。さ、話してみて」
「え?何をされたんです?」
「いいからいいから」
不可解に思いつつも、まず皆が元に戻ったことに安堵し、そしてここに来た経緯を話始めた。
「こちらは影親君の姉の一乃宮凛さんです。今日私たちが襲撃しようとしていた女性は、こちらのお姉様のご友人の折伏華夜子さんという方でした。お姉様はその情報を察知し、そして襲撃を未然に防ぎ、私に接触してこられました」
玉緒以外の9人も、凛が影親の姉だということを聞いても驚いていなかった。凛が言ったのか、それともデータベースを見て知っていたのか、それはわからない。
「私は、今まで私たちが犯した罪の報いを受ける時が来たと覚悟しました。しかしお姉様はその慈悲をもって私をお赦しになったのです。私は歓喜に打ち震えました。そしてお姉様こそが一乃宮影親ファンクラブの会長に相応しいと結論付けました」
10人は真剣な面持ちで陽美加の話を聞いている。
一方凛は、「大げさ過ぎやしないか?」と思ってはいても、皆のあまりの真剣さに口を出せずにいた。
「凛お姉様に会長の座を譲ろうと思います。異議のある方はいますか?」
誰一人口を開くものはいなかった。
沈黙は是であると誰かが言ったわけではないが、この場の全ての人間はそうと理解していた。
陽美加は満足そうに頷く。
「では今この時より、一乃宮影親ファンクラブの会長は凛お姉様です。お姉様、皆に一言お願いします」
「えーおほん。人を好きになるのは大変素晴らしい。だけどそれによって他人を貶めるのは絶対にダメ。そんなことするくらいなら他人のことなど放っておいて、自分の気持ちを一途にとことんまで突き詰めて喰らい付きなさい。私が会長のファンクラブではその気持ちを尊重した活動を行っていくつもりよ」
陽美加も玉緒も他のメンバーも、凛の話に真摯に耳を傾けていた。
「でも私だけじゃできないから、皆の力も貸してね。スローガンは『とことんジョーズになれ!』、略して『とこジョーズ』よ!」
凛が右手を高々と掲げ、怪しいスローガンを宣言する。
正気であれば、こんなふざけたスローガンになんか誰も賛同しなかっただろう。だが今は全員どこかしらのネジが緩んでいた。
「とこジョーズ!」
「とこジョーズ!」
「お姉様~!」
「凛お姉様~!」
凛を称え、皆が一斉に喝采を浴びせた。それに応えるように凛が一人一人と握手した。
通りかかったジョガーがその突然の大声に驚いて盛大にこけていた。
こうして、弟のファンクラブの会長に姉が就任するという前代未聞の出来事が、当の弟の与り知らぬところで起こったのだった。
「お姉ちゃんのほうは上手くいった?」
『ええ。一人一人と話をしたらね、家族や知り合いが大事なのは皆同じだってのをわかってもらえたわ』
「うんうん。皆、根は悪くない人だから話せばわかってくれるよね」
『感動したのか、私の手を取って泣き出す人までいてね、なかなか放してくれなくてちょっと困ったから、天はあなたの行いをいつも見守っているわ、ってなんか恥ずかしいこと言っちゃった』
「うわー、それは夜悶絶するやつだわ。かく言う私も今日、恥ずいことバンバン言ってるからベッドで間違いなく悶える……」
『……うん、そうね』
「今日をもう一度やり直したい……」
オーディオコメンタリー風なあとがき
陽「第10話あとがきはイーグルこと私、鷲尾陽美加と」
玉「フォックスこと狐守玉緒がお届けしまーす」
陽「本編、さらにあとがきまで出演できるとは、私達出世したわよね」
玉「本編はそうかもしれないけど、ここはどっちかっていうとただ暇だったからなんじゃ」
陽「そ・れ・で・も、よ。中には本編に一回登場したっきりで、もう絶対に出番がないことが確約された人もいるらしいし」
玉「それは嫌ね。私達もそうならないことを祈ります」
陽「このあと続けて出番あるらしいからそこで存在感を示して、準レギュラーの座を射止めましょ」
玉「準レギュラーでいいんだ?」
陽「レギュラーはね、いろいろ大変なのよ……」
玉「何があった……?」
陽「それより仕事しないと。この冒頭のシーン、人生詰んだかと半ば覚悟したわ」
玉「私がぐっすり寝てる時にこんなことが……。マジごめん」
陽「玉緒が謝ることじゃないわよ、これは因果応報。でさ、夢とかなんとか言ってるけどなんのこと?」
玉「うぇ!?あー、はは。さ、さあ何のことやら」
陽「教えなさいよ~。ん~?」
玉「ち、近……」
陽「教えてくれないなら……こうしちゃうぞ!」
玉「だ、だめぇ~っ!」




