一話 約束
夏の日、そろそろクーラーをつけようかとリモコンに手を伸ばした時、その電話は鳴った。
ひどく慌てた声が急を知らせていた。親友が死んだと、トラックに轢かれたと。冗談じゃないかという憶測は浮かばなかった。電話先の喧騒と混乱が電話ごしに伝わってきていたからだろう。
俺は朝飯を食ったすぐ後、すぐ近くで響く救急車のサイレンの音を思い出していた。何度も、何度も繰り返しサイレンの幻聴を聞きながら俺はママチャリに飛び乗りあいつが搬送された病院へとひた走った。
道中ペダルを回しながら、もしかしたらもしかしたら友達連中の手の込んだ冗談かもと俺は崩れかかった精神の建て直しを計ったが、その試みは速攻で崩れた。目立つ警戒色のKEEP OUTテープが遠目にもはっきりとわかる。道行く先の急カーブにある住宅のブロック塀が割れ、真っ赤な何かが撒き散っていた。
道路脇に引き戻されたトラックの陥没とそれにはり付いた乾燥しつつある真っ赤な、…真っ赤な血液がこの惨事の犯人を語っている。情報は間違っていた。親友はトラックに潰された。
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葬式で坊さんがお経を読んでいる。親友のための。
障子が取り払われた仏間と居間に弔問客がひしめいている。親族でもない俺が座るスペースはない。邪魔にならないよう廊下のすみで大人しくして いる。
俺は久方ぶりに頭をつかって考えていた。もう現実を受け止め、悲しみの最大を通り越した気がする。目が決壊しこぼれ落ちる事もない。今思うことは最後親友に何をしてやれるか、だ。
映画か何かで見た、酒好きだった戦友の墓標にザバザバとウィスキーをかける、あのような行為をだ。
直接的な行為ならあのクソったれな酔っぱらいへの復讐し親友の無念を晴らす、だろうか。しかしむ所にブチ込まれている奴を中二男子ができる事などない。それに飲酒運転に厳しいこのご時世なら相応の罰がくだされることだろう。
だがこの、無念を晴らすという方向性は間違っていないと思う。無念は無理でも小さな心残りを晴らすことくらいは俺にも可能だろう。魂のゆっくりな静かな眠りを妨げていそうな物を無くす、減らす。
ここまで考えを進め、ビビビと思い出の情景が浮かんだ。親友と僅かひと月程前に交わした何気ない会話のやりとり。俺はフンスと鼻息を吐き出した。
やるべき事は決まった。行動しよう。目立たないようそろそろと足を忍ばせ階段を上がる。階段上がってすぐ右の部屋が親友の部屋だ。
音をたてないようにドアを開ける。あいつの汚部屋は綺麗に整頓されていた。おばさんが掃除したのだろう。親友の不在を再確認させられたようで目に水がたまる。
机の上にお目当てを発見した。親友のミニタワー型パソコンだ。思い出が蘇ってくる。
あの日、俺は兄貴のエロゲを親友に又貸しするために来ていた。誰かにバレるとヤベーのでその場ですぐHDDに落として即日持ち帰り兄貴のエロゲコレクションに戻す、という極秘ミッションだ。こういう秘密めいたことをするのは楽しいもんだ。隣に心通ずる友がいればなおさら。そんな 少しだけ興奮状態の俺たちが交わした会話と約束がある。
話題に出たのはネットで見た、パソコンのHDDデータ残したままじゃ死んでも死に切れねーよ→死後自動でHDDデータを全消去するソフト発売というニュースだ。
中学生男子のパソコンなんか恥部の塊と同義であるからして、これに深々と同意した俺らは約束をした。
じゃあ、どっちかが先に死んだ時は残った方がパソコン引き取ってHDDを粉砕しようぜ、と。勿論気安い場での冗談混じりの約束だし、その時は笑って語りあっていた。しかし本当に親友が死んでしまった今もう笑えない、真顔と本気で取り組まなくてはならない約束になった。
親友がどれだけノーパソに夜のオカズを収集しているかはさすがに知らんが、あの日のエロゲが入っているのは間違いない。死後、今なき長男の生きた証を知ろうと両親がパソコンに手をかけ、画面にエロゲタイトルが表示されるとか死んでも死にきれんレベルだ。もうこの魔法の箱は現世にあってはならん物なのだ。
と、決意を込めてパソコンに近づいた時、さすがに阿呆の俺でも気づいた。葬式の最中に故人の遺品漁るとか酔っぱらい運転こえる畜生犯罪だ、と。 すごすごと手を引っ込め俺の行動は一時停止した。どうしよう。
考えたあげく、下に降りてもなんだし葬式が終わるまでここで座って待つことにした。俺は両足を抱え込んだ。
俺は体育座りの低い姿勢と視線から親友の部屋を見渡して、親友と過ごした一年半を思い返しながら悼んだ。まあ時間を潰すというのもあるが。
本棚を視界に収めていた俺の目は一冊の分厚い大型本に注目した。それはTRPGのルールブックで分厚い何千円もする奴。その目立つ真紅の背表紙が、また脳が思い出を引っ張りだす。
去年の終わり頃、俺と親友、もう一人の友人である斉藤大助。そして親友の妹である原田明日海の合計四人がこの部屋に集まった。集合をかけたのは親友。この面子でTRPGをいっちょやろうというのだ。ルールブックやサイコロ等の準備やゲームマスターはノリノリな発起人である親友が全てやった。当時の俺と他2人はTRPGという物がなんなのかまったく知らなかったがとにかくゲームは始まった。
最初はうまくいっていた。キャラメイキングはワイワイしていた。名前を決め来歴を決め職業を決め装備を決め、俺達三人は剣と魔法の異世界へ転生した。斉藤大助などは調子に乗って高飛車な女エルフとキャラ付けし、語尾に「だわ」をつけたり口元に手をあて「オーホッホッホッ」と高笑いして場を盛りあげた。
その後、満を持して魔物が巣食ったり宝が眠ったりしている手頃な遺跡へ降り立った。記念すべき初冒険の俺達の前に現れたのはテーブルの上に置かれた方眼紙だった。定規でかいたカクカクした線で構成された手書きマップ。これが遺跡の迷宮ということらしい。俺達は戸惑った。 RPGといえばコンピュータゲームという認識の俺達にとって方眼紙に迷宮を幻視するのはかなり困難だった。新世代ゲーム機が出揃いハード戦争がいよいよ白熱する昨今、この方眼紙は俺達にとって一種のカルチャーショックといえた。
出鼻を挫かれた感のある俺達三人だがゲームは始まり奥深くへ進んでいった。結果からいうと上手くいかなかった、面白くならなかった、楽しめなかった。
やる事、覚える事が多すぎた。初心者なんだからそりゃそうなる。親友は俺達三人に事前にリプレイ小説のひとつも読ませてゲーム進行のさわりの部分でも習熟させておくべきだった。俺達は何を見、何を宣言し、どう方針をたて、どんな行動をすべきか、皆目わからない。
普通ならその場でゲームマスターである親友に質問できれば良いのだが、もうマジ予備知識がなさすぎてわからない所がわからない。親友もいっぱいいっぱいでプレイヤーへのフォローが滞る
そして何より問題だったのがこのシナリオ、途中からシティアドベンチャーになってしまったことだ。素人お断りのシティアドベンチャーをなぜに親友が初っぱなから手を出したのか今だ疑問だ。ゲームマスターが初ゲームのシナリオで冒険するのはちょっと自重してほしかった。
その中身はというと、都市で暗躍する人攫い奴隷商人の親玉を追うというものなのだが、情報収集の段で我ら三人の分身達はことごとく知恵と魅力の無さがたたり失敗しつづけ、斉藤大助のキャラなんぞ敵に察知されボコられ拉致監禁、猿ぐつわを噛まされ何のアクションも出来なくなる始末。だめだこりゃ。
まあそれでもモチベーションを保てれば手探りにゲームを進めていき、ゲームマスター、プレイヤー共に慣れでなんとかなったろうが俺たち3人にそこまでの情熱はなかった。新米ゲームマスターのSAN値もガリガリと削られていく。
みんな段々と喋りが減っていった。俺はぶっちゃけコミュ力があんまし高くなく気を利かせて場の空気を変えたりできないし、斎藤大助はだわだわ言葉が途中から恥ずかしくなってきたらしくゴニョゴニョとしか喋らなくなり、原田明日海は兄貴権限で無理やりここに連れて来られました感ありありな不機嫌を隠そうともせず最初から必要最低限しか口にしなかった。
結局、斉藤大助が猿ぐつわから抜け出し持ち物を全て失い素っ裸で脱走する所で俺達の最初の冒険は幕を閉じた。総プレイ時間は一時間少々だったと思う。
ガックリと肩を落とし落胆する親友を残し俺達三人は部屋を後にした。去り際に斉藤大助が、また今度やろうぜ、と気楽に声をかけていたのを覚えている。だがまた今度の機会は訪れず集まりは開かれなかった。
振り返ってみると親友の、俺達三人を楽しませたいという気持ちはバッシバシ伝わってきてはいたが、それが空回りぎみというのが残念な事実だった。
俺と親友との付き合いは中学に入ってからなので知らなかったが、親友は昔から創作意欲旺盛なたちで迷路やら漫画やらを書き、それらを周りに見せて回るというのを趣味としていたらしい。ただこの日のTRPGセッションと同じようにあまり良い評価を得られなかったようだが。
そんな思い出に浸っていると背後から何ものかの気配を感じた。後ろを振り向くと黒いセーラー服に身を包んだ無言の原田明日海が半開きのドアからこちらを見ている。表情は不幸だった。
俺は言葉に詰まった。事故以来親友の妹、原田明日海とは初めて会う。大人ならこんな時なんというのだったか。ほ、本日はごしゅーしょーさまでした、だっけ?。しどろもどろに口が詰まる俺をよそに向こうが話しかけてきた。
「何してるの」
それは冷たく平坦な声だった。だが詰問しているようなニュアンスはないように感じる。俺は一度息を吐ききって頭を冷やした。空々しい決まり文句を繰り返して何になる。息を吸い込む。先に進もう。
俺は禁止ワード「エロ」を慎重に避けながら、親友との約束と約束を果たしてやりたいという俺の気持ちを彼女にたどたどしく説明した。親友のパソコンを譲ってほしい。今は大変だろうから落ち着いた時期をみてお前からオバさんに頼んでくれないか?
彼女は両目をグッと引き締めてから口を開いた。
「覚えとく」
そう呟くと原田明日海は部屋のすみにあるベッドに腰掛け、うつむき、固まってしまった。全身から話しかけるなオーラと一人にしろオーラが放出しているよう見え、気圧された俺はもう何も言えずスゴスゴと退室して静かにドアを閉めた。
拒絶されたのだろうか?。やはりもっと言葉を選んで話すべきだったのか?。いや葬式の真っ最中にするべきではなかったか?。数十秒前の言動を振り返ってみるとあまり彼女の心情をかえりみなかったかもしれない。まったく自分のコミュ力のなさに軽度の絶望を覚える。
立ちすくみ悶々としていると、玄関から弔問客がゾロゾロと帰り始めて行くのが廊下の窓から見えた。葬式が終わったようだ。
なんだか肩がずっしり重く、疲れた。帰ろう。家屋に充満する厳粛を損なわないよう、そろりそろり階段を降りた。
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俺は親友のパソコンを手に入れた。さっき原田明日海が紙袋にいれてわざわざ俺んちに届けに来てくれたのだ。
遺品な訳だしもうちょっと譲渡までに幾多の困難とか障害とかが待っているかと思ったが別にそんなことはなかった。後は物置から引っ張り出してきた工具箱を使いHDDを取り出すだけだ。だけのはずだった。
なぜか今、机に置かれたデスクトップパソコンは組み立てられ電源ケーブルが突き刺さったコンセントから電力が送られていた。
いや、違うのだ。親友のプライベートを覗きたいという邪な誘惑には打ち勝ったと声を大にできる。しかし俺のなけなしの決意をあっさり反故にする言葉があったのだ。原田明日海だ。彼女がノーパソを届けに来た時のこと。
それは葬式から一週間がたった今日の朝。九時半頃。原田明日海は事前連絡なしにいきなり俺んちにやってきた。
ん、と言ってパソコン本体が入った紙袋を俺に手渡し、帰るわけでもなく押し黙り下をむいたまま動かなくなってしまった。なんとなく何か話したい事があるオーラを感じ取った俺は彼女を待った。
少し経って話すべきことの整理がついたのか原田明日海はおずおずと口を開いた。
兄のことを。親友のことを。
生前の親友の足跡を教えてくれた。
原田明日海によると、夏休み少し前から、親友は持ち前の創作意欲をふり向ける対象を見つけたらしく、猛然とそれに取りかかっていたそうだ。ノーパソを叩っ壊す勢いで何かの文字列をタイピングしていたらしい。キーを叩いている間はまさしく一心不乱。話しかけても返事は上の空。あいつは創作物が完成するまで他の何ものも見えなくなるたちらしく、生活態度も乱れまくりでご両親に色々言われたらしい。
そういえば確かに最近のあいつは付き合いが悪くて、学校が終わるとダッシュで帰宅。夏休みに入っても家に閉じこもっていた。俺と親友がまともに一日使い込んで遊んだりすることも、ここ一月以上なかったのだ。
ここまで話して原田明日海は言いよどみ言葉を止めた。戸惑いが見える。俺を気遣ってくれているのだろう。しかし俺自身としてはこの先の話は大体予想がついていた。あの事故現場を見た時に。俺は落ち着いた、平坦な声で先を促した。
事故があったあの朝。原田明日海は兄の最後の言葉を聞いていた。
「やっしゃあぁぁぁっ!。出来たっ!!!」
近所中に響く大声で叫び、あいつは息せき切って家から飛び出した。その数分後に事故にあったのだ。
原田明日海は吐き出すように言いきった。
「おそらく兄はあなたのおうちへ遊びに行く途中だったんだと思います」
…そうだ。その通りだ。知っているやつなら誰でもわかる事だ。事故がおこった急カーブは俺んちと原田んちのちょうど中間にあった。それがあいつが死んだ理由の大きな一つだ。家族である原田明日海からすれば、親友が死んだのは俺のせいだ、と言いきっていいかもしれない。
原田明日海は下を向いていた。激しい感情は感じられなかった。俺を糾弾するような敵意は。
何も言えずにいる俺に、顔を上げた原田明日海は言った。
「あなたに何かを、…言うつもりはありません。もう過ぎたことです。ただ一つだけお願いしたくて。その中には兄の最後の作品が残されているはずです。あなたに届けることが兄の最後の思いを果たす事になると思うんです。だからお願いです。去年の、失敗した、終わってしまったあの日のゲームのようにならず、誠実に、最後まで兄の作品を見届けて欲しいんです。…あなたに」
そう言い切ると彼女は素早く頭を下げ、慌ただしく走り去ってしまった。俺の返答もまたずに。
と、いうのが先ほどの出来事だ。俺は迷っていた。原田妹の真摯な言葉は尊重されるべきだ。がしかし、第一位に尊重されるべきはやはり俺が直に聞いた親友本人の言だろう。
だが、最後の言葉に従うのならひと月かけた創作物の最初の読者を、数ある友人の中から俺を選んでくれたであろう事も状況からいって確かだろうし、それを無視してHDD破壊を強行することもあいつの遺志をないがしろにする行為かもしれん。
モンモンと30秒ほど悩んだ挙句、なんとも半端な折半案を俺は選んだ。
それはこのようなものだ。パソコンを起動する。ただし閲覧するのは親友が一心不乱にタイピングしていたという謎の創作物のみで、他のデーターには一切触らない、見ない。創作物を見たら即座に電源を消し、パソコンを粉砕する。
方針は決まった。行動しよう。
俺はパソコンの電源ボタンをグッっと押し込んだ。ヴゥンというHDDの回転音らしき音が静かな部屋に響きOSが立ち上がる。パスワードはないようだ。
デスクトップ画面に移動するまでの十数秒、俺は事前に危惧していたように、不謹慎にも他人の領域にズカズカと踏み込むことによるワクワク感を覚えつつあることを気づいた。これはいかん。なるべく何も考えないようにしよう。
デスクトップ画面。汚い。画面いっぱいにショートカットが乱雑に散らばっている。ファイル名に目を通さないよう、あまり焦点を合さずに画面全体を俯瞰する。俺の視界の片隅に目立つアイコンが目に止まった。
GIF画像を使っているのだろうか、何かがせわしなくチョコマカ動いている。焦点を合わせよく見てみると、それは右手に剣を、左手に盾を持ち伝説の勇者っぽいコスチュームで延々足踏みするドットで描写されたファンタジーなSDキャラだった。
これだろうか、親友の自己表現の発露は。白いカーソルをそろそろと近づける。