#4 「肉を焼かせて」
「今のは結構効いたみたいやな。ほな、これで――」
とどめを刺そうと高松ににじりよる少年の言葉が止まった。その瞳に、ボロボロになって絶望的なほどの実力差を知っても、それでもまだ立ち上がろうともがく、ひとりの馬鹿の姿を映して。
「――るんだ」
「?」
動かない全身に力を込める。痺れて力が入らなくても、それでも。広場の砂を掻くように、指が地面を掴む
「俺には、守らなきゃ……いけない……人がいるんだ」
「なんやて?」
「俺は、大切な人を守るためにここにいるんだ……! 俺には! 帰りを待ってくれてる人がいるんだよ!」
立ち上がる。立ち上がれた。頭に浮かぶのは、大切な幼馴染みの顔。彼女のためなら、なんだってできる気がした。
「だから! 俺は死なない、死ぬわけにはいかない! そのためにも、こんなところで倒れてらんないんだよ!」
「――っ! あれだけくらってまだ立ち上がるんか……ええやん。少しは骨のある奴やないか」
立ち上がり、燃えるように熱い頭に水を打ち、多少は冷静になってから考える。
この少年には、自分の能力は一切通用しない。盾はさっきやられたように。矛もまた、駄目だ。そもそも魔方陣というのは、その形や紋様そのものに意味があり、効力を持つ。【絶対防御の魔方陣】が、定義上は魔方陣ではなくただの盾と同じ扱いであるという特別例外なだけで、【累乗の魔方陣】は一部を消されただけでも力を失ってしまうのだ。
高松にとって、能力を完全に封じられるのは、誰よりも痛い話だった。なぜなら、それが訓練を積んでいない彼の弱点をカバーする、唯一のアドバンテージだったからだ。それを潰されては、高松に勝ち目はない。
考える。
どうすればこの少年に勝てるのか。
どうすれば、こころを守れるのか。
『教えてやろうか』
その時聞こえてきたのは、頼れる存在でもある、彼自身の声だった。
「何だよ。お前だって俺なんだ。俺に分かんないもんがお前に分かるわけないだろ」
『それが実はそうでもないんだなぁ。俺は、高松鷹の無意識が分かるんだから』
無意識が分かるということは、彼の心も、表面上には浮かんでこない疑問も分かるということ。ノワールが言っているのは、つまりそういうことだった。
『そもそも、俺がお前だって言うなら少しは分かんだろ。お前が痛いと俺も痛いんだよ』
「そりゃ悪かったな。だったらとっとと教えろよ」
『だから、痛いだろ? ビリビリと。じんわりと』
「はぁ……?」
痛い……? ビリビリ? じんわり? それが、なんだって……、
「!」
思い出した。さっきの少年の発言と、今の攻撃を受けた感覚を。
――まあ、効果範囲がちと狭いのと、同時にひとつしか出現させられへんのがネックやけどな――
ひとつあった。自分の能力を活かせる、消されずにすむ方法が。だが、できるのか? それは、大きなリスクを背負った手段だ。自分なんかが、一か八かの賭けに勝てるのだろうか?
『だろうか、じゃないだろ? ま、あとはお前が頑張るだけだ』
ノワールの言う通りだ。
やれるか、ではない。やるしかないのだ。やらなくちゃいけないのだ。
そこで失敗すれば、自分が死ぬだけ。
自分が死ねば、こころを守れなくなるだけ。
だから、絶対に死ぬわけにいかない。
だから、やるしかない。
☆
(目の色が変わった……?)
立ち上がった少年の、虚ろで、だがどこか燃え上がっていた瞳が、冷静な、なにかを決断した瞳になった。
「はんっ! ええやんええやん! なにしてくれるんや! 見してみい!」
両手を広げて攻撃を誘う。だが、高松は何をするでもなく、先ほどまでと同じ、魔方陣を盾にして弾丸のような速度で突っ込んできた。
(なんや……? そっからなにか見せてくれるんか?)
若干拍子抜けをしながら、とにかく、突っ込んでくる敵を迎撃する。
「消失の雷撃!」
さあ、何をしてくれるんや!
そんな期待と不安を乗せた彼の雷撃は、しかし魔方陣ごと高松の身体を貫いた。
☆
「ぐ……あぁ……」
激しい電流が身体の表面でも内面でも暴れまわる。中と外の両方から火で焼かれているようだった。
「おいおい。結局自爆覚悟の特攻かいな。つまらんわ」
少年の言葉が遠くに聞こえる。それでも、必死に歯を食いしばって意識を保った。苦痛に歪んでいた顔が、相手に殺気を向けた表情に変わる。その瞬間、
少年と高松の間に伸びていた雷を、青い光が遮った。
「なっ――」
突然の出来事に少年が一瞬怯む。その一瞬が、戦場において命取りになることを――素人の高松は別としても――知っているはずの少年が。
その隙を見逃さなかった。高松はもう一度弾丸のように少年へと突っ込む。少年の前に、三重の魔方陣が出現した。
「しまっ――」
拳を強く、硬く握る。
「魔方陣・強化の三乗!」
高松の拳が魔方陣ごと鳩尾を打ち抜き、少年の身体が、宙に浮いた。
☆
「はぁ……はぁ……そんな……」
肩で息をしながら、高松は落胆と悔しさを呟いた。
なぜなら、八倍の拳を受けたはずの少年が、これといった怪我もなく、平然と、立っていたからだ。
「いやー……今のはちいとばかしヒヤッとしたわ」
少年が何事もなかったかのように口を開く。
「なるほどな。俺の雷はその性質上、単発じゃ威力があらへん。ヒット後、そのまま流れ込む電流によってどんどんダメージが大きくなっていくもんや」
もちろん、少年のすべての攻撃がそうなわけではない。例えば先ほど放っていた雷の球体は、少し当たっただけで即死レベルのダメージを受けるだろう。が、少なくとも今くらった千ボルトの雷は、そうだった。
「つまり、短い間、かつ攻撃を受ける覚悟をしていれば、ある程度は耐えられるやろ。そんで、【ロストキューブ】の性質も利用したわけやな」
――まあ、効果範囲がちと狭いのと、同時にひとつしか出現させられへんのがネックやけどな――
「【ロストキューブ】は二ついっぺんには出せへん。もう一度魔方陣を破るには、一度キューブを消して再度出さなきゃいかん。しかも、や。雷撃を遮るように出現させられちゃあ、こっちにはどのタイミングでどこに出てくるか読みようがあらへん。こうすれば、確実に、最小限のダメージで済ませられるわけやな」
「……」
その通りだった。高松は、二度目の攻撃を受けた際に、その雷撃の特性に気づいたのだ。そしてこの手段を思いついた。肉を切らせて骨を断つ。どちらかと言うと、焼かせてうつか。
「いや、ほんま自分凄いわ。素人がそんなん思いついたんもそうやけど、なによりそんな、下手すりゃ自殺行為にしかならへん戦術は考えても実行できへんで。自分みたいな素人にはな」
「でも、あんたは無傷だ……」
「? 気づかへんかったんか? 自分が拳を振るう直前に、キューブで魔方陣の一部を消したんよ」
「!」
そんな……あの一瞬で、そんなことを……?
身体能力を向上させた高松の攻撃は、雷を防いでからヒットするまで、一秒だってかかっていない。そんな僅かな間に、状況を再認識し、さらに能力を使って攻撃の威力を下げていたというのか。
「あとはまあ後ろに跳ぶことで少しでもダメージを受け流したっちゅうのもあっけど」
だから、少年の身体は宙に浮いた。浮かされたのではなく、自らの意志で。
「それでも一瞬怯んだのは確かやけどな。いくら、すぐに思考を切り替える訓練を積んでるゆうたって、基本的には戦闘中に怯むのはご法度や。それを分かってる俺を怯ませたんやから、そこは誇ってもええと思うで」
そうは言われても、高松にとっては命を賭けた攻撃だったのだ。それをこうも簡単に防がれては、ショックを受けて当然だった。
「さて、ここまで見せてもらったんやし、こっちも本気だしてほんまに終わりにしようかいな」
「――っ!」
冗談じゃない。あれでまだ本気じゃなかったというのか。計り知れない実力差、底知れないこちらの世界の住人の強さに、高松は恐怖さえ覚えた。
それでも拳は緩めない。実力差がありすぎるからこそ、逃げることなどできないのだ。背を向ければ、おそらくその瞬間にやられてしまう。こころを守るためには、ここで死ぬことなどできない。
そんな緊張を、意外な声が破った。
「あんたたちなにやってんの!?」
「つばめさんっ!?」
そこには、少し長めの茶髪をした少女が、驚愕の表情をして立っていた。
「おぉつばめ」
相対していた少年が何でもないように少女に声をかける。
驚いた。つばめの登場にもだが、何より少年の反応に。
えっ? なに今の? 知り合い……?