#1 「組織」
「本当にあれでよかったの?」
高松から見てアナザーワールドの住宅街を歩きながら、つばめが言った。
あれ、とは、高松のことだった。彼はこちらの世界に来る際、そのことを早見こころにしか話さなかったのだ。しかも、電話で『しばらく出掛けるから。連絡とか通じなくなると思うけど、心配すんな。ちゃんと試合は見に行ってやるから、部活頑張れよ』とだけ。
「はい。いいんです。こころには、あれで伝わるはずだから」
「そっか……でも――っとその前に。もう仲間になるんだから、敬語は止めてよ。なんかちょーぜつよそよそしいし、年齢だって同じ高校生なんだから」
笑顔でそう言うつばめに高松は、
「ちなみにつばめさんの年齢は?」
「一六だけど?」
「なら俺の方が年上だ」
「う、うるさいわねっ! 誕生日遅いのよ!」
からかうように高松が笑う。少しの間ふて腐れたように顔を赤くしながらそっぽを向いていたつばめだったが、やがて何も無かったかのように話を再開した。
「それで、早見さんのことだけど……あんたはこれから戦いの中に身を投じるのよ。明日にはもう、死んでいるかもしれない。それでも、あれでよかったの?」
二人の間に沈黙が流れた。それは、言葉に詰まった沈黙ではなく、言葉を噛みしめる沈黙だったように思える。そして、高松が口を開いた。
「それでもいい、っていうのとは、少し違う。こころは、明日も生きてる。レギュラー目指して死ぬほど練習して、将来のために必死に勉強して。そうして、俺の帰りを待ってるんだ。幼馴染みだから分かる。あいつは、俺のことを待ってくれている。帰る場所がある以上、俺を待っている人がいる以上、俺は死ぬわけにはいかない! 絶対死なない! ……だから、あれでも大丈夫なんだ」
「……なんで、幼馴染みでしかない早見さんのためにそこまでできるの……?」
つばめの質問に、高松はキョトンとした顔をした。
「なんでって……幼馴染みだから。あいつは、ほとんど家族同然の親友なんだ。恋愛感情とかじゃないけどさ、俺はこころのことが好きなんだよ。好きな人のためならなんでもできるって、別に普通だろ」
「そっか……」
つばめがなんとなく得心したといった具合に頷く。ここまでの台詞を平然と言ってのける彼に若干の驚愕を覚えたのは内緒の話だ。
「それじゃ、気を取り直して。まだ話してない、こっちの世界について、教えるね」
「まだ教えてない?」
「うん。まだどうするか決めてない段階だと、混乱させるだけだったり、教えることができなかったものがあるの」
周囲の景色が住宅街から街並みに変わっていく。段々と、周りに人が多くなってきたような気がした。
「まずはこの世界について。実はね、世界の崩壊にはまだ数年単位で余裕があるのよ。早くても三年、遅ければ一〇年以上後の話だとされているわ」
「えっ? じゃあ、なんで俺を……?」
「そうね……じゃあ逆に聞くと、なんでそんな先のことが分かってると思う?」
前に世間話として聞いた話では、この世界にも予知能力者はいないらしい。さすがにそこまでは無理よ。とつばめは笑いながら言っていた。
「とすると……そういう事象が観測された、とかか?」
「そ。例えば『案内人』を使わずにこちらの人間がそちらに行ったり、とかね。あんたもそれに遭遇したことがあるはずよ」
「あっ……」
高松はあの白昼夢を思い出した。
「つまりね、世界の崩壊は三年以上先の話でも、交差の影響はそれだけ早く始まるのよ。なら、それだけ早くから準備を始めるべきでしょ」
要するに、テストみたいなものなの。とつばめが続けた。
「もし百点を取りたかったら、一週間も一ヶ月も早くから勉強を始めるはず。これは、それが絶対に百点を取らなければいけないってなるだけ。取れなければ全員死ぬ。なら、とにかく早くから勉強するしかないってことなのよ」
なるほど。分かりやすい例えだ。高松は素直に感心して頷いた。
「じゃあ次は、能力と魔法についてね」
「そういえば、そんなこと言ってたな」
「まずは能力から。能力とは生まれ持った力のことよ。才能を持った人間だけが使える力。私の【テレポート】やあんたの魔方陣はこの能力に当てはまるわ」
だけが、という言い方に、高松はなんとなく引っ掛かりを感じた。そんなことには気づかないまま、つばめは話を続ける。
「一部の人間にしか使えないからこそ、なるべく差別を小さくするために、能力の差によって格付けしたりはしていないの」
まあ、ほとんど意味なんてないんだけどね。とつばめが苦笑を漏らした。いかにランク分けをせずとも、持つ者と持たざる者の間に差があるのは変わらない。
「そんな能力者達相手に対抗しようとした結果、生まれた力が魔法なの。一度見せた、光を操る力はこれに当てはまるわね」
「能力者じゃない人間も魔法が使えるのか?」
高松の問いにつばめが当然とでも言うように頷いた。
「魔法っていうのは、体内の魔力を儀式を持って最適化し、呪文や動作を利用することで体外に形を持って出現させることなの」
「?」
高松にはサッパリ理解できなかった。頭の良さにはそれなりの自信が無いわけではなかったので、実のところ少しショックだ。
「つまり、魔力と儀式、所作と呪文――これらがあれば、魔法は使えるの。魔力は、その大きさに個人差はある。けれど、たとえどんなに小さくても、人間なら必ず魔力を持っているわ」
すぐ側に、雰囲気の小洒落た喫茶店が見えた。つばめが迷いなくそこに入り、慌てて高松もついて入る。店の奥にある席に腰掛け、コーヒーを注文した。つばめはアイスティー(ミルク多めガムシロ超大盛砂糖もつけてとか言っていた)を頼んでいた。
「だから、所作や呪文の知識、儀式に対応したスペックや精神力があれば、魔法は使うことができる。選ばれた人間だけに使える能力に対し、努力さえすれば誰にでも使える力であるのが、魔法なのよ」
だから能力者にも能力者でない人間にも使える。もちろん、高松にも。
「魔法は誰にでも使える。故に、多少の格付けがされているの。そのなかでも、七眷属と呼ばれる、七人の最強の魔法使いには、七つの大罪を司る悪魔の名前が与えられているんだよ」
なんだか楽しそうにつばめは笑っていた。ウェイトレスが飲み物を運んでくる。つばめの前に置かれた紅茶はもはや白くなっており、見るからに甘そうだった。甘すぎて美味しくないだろ絶対。と高松は思う。
「さて、ここからが重要――組織についてよ」
声を潜めて、印象に残そうとするような言い方で、つばめが言った。その緊張感につい、ごくり、と、自然と唾を飲み込んでしまう。
「《探求派》とかってやつか」
「そっ。組織っていうのは、要するに、同じ方法を信じる同志のこと」
「同じ方法?」
「世界の崩壊を防ぐための方法よ」
考えてみれば当たり前だった。なぜ彼がこちらの世界に連れて来られたのか。
「ん? 方法って、ひとつじゃないのか?」
「前に、二つの世界が交差したことは歴史上何度かあるって言ったよね?」
その時のことを思い出しながら、彼は頷いた。
「それって、逆に言えば、交差を止めた前例が無いってことじゃない」
「っ、なるほど……確かに」
「つまりは、確実に崩壊を防げる方法というのは分からないってことなの」
「あっ……」
「さらに言えば、最後に世界の交差が起こったのは文明が発達する前だし、記録も残ってないからね」
彼女はアイスティーを口に含み、とても満足そうな、美味しそうな顔をして、それから慌てて話を続けた。本当にあれは美味しいのだろうか……?
「とにかく、確実な正解が無い以上、人によって信じる方法が変わってきてしまう。その中で、似たような方法を信じた人達の集まりが組織なの」
政党とおんなじだな、と高松なりに理解をする。結局、同じ考えを持った人達の集団、一般に言う組織と意味は変わらなかった。
「ちなみに、世界中で組織は、少なくとも千はあるわね」
「せ、せん!?」
彼女の口振りから察するに、ひとつひとつの組織はそこそこ大きいはずだ。それが、世界中といえども千はある、というのはかなりスケールの大きい話である。
「そしてその組織のほとんどが、三つの勢力に分けられるの。その勢力の中で、それぞれ中心となる大きな組織――勢力は、その組織の名前で呼ばれているわ」
高松も運ばれてきたコーヒーに口をつけた。いい感じの苦味が広がる。安いやつの割には結構旨かった。
「ひとつは、世界が崩壊するのは、二つも世界があるからだ。ならば、片方を消し去ればいい――という《過激派》」
あのピスセスとかいう男の所属してた組織だ。
「それから、世界の崩壊はまだ見ぬ神様によって引き起こされようとしている。だから、神様を見つけ出して、崩壊を止めてもらえるようお願いすればいい――という《宗教派》」
「それは初めて聞いたな」
その説明はあとで、とでも言いたげに、つばめは話を続けた。
「最後に、崩壊を止める方法なんてまだ分からない。だから、まずは確実な方法を見つけないといけない――という、私達も所属する《探求派》。これら三つの勢力が、今は拮抗――要するに、三竦みの状態になっているのね」
「別の勢力は、やっぱり敵、なのか……?」
「そうね。自分とは違う方法を信じている人間というのは、その人からしてみたら世界のためを思わない害虫みたいなものだから」
害虫。酷い言い方だが、しかし言い得て妙だった。
「とまあ、現在は勢力間の実力がある程度拮抗しているから、どの勢力も余計な、派手な行動ができないのよ」
「なんでだ? むしろ、一歩抜きん出ようとするものなんじゃ……?」
「じゃあ、高松君がある組織のボスで、敵対している組織が何かをしようとしていたら、どうする?」
「……内容にもよるけど、やっぱり止める、か」
そうしなければ自分の組織に危険が及ぶかもしれない。高松の答えは決して間違ってはいなかった。
「でしょ? ここでも一緒。どこかひとつの勢力が何かをしようとすれば、他の二つの勢力が、手を組むかは別としても、必ず同時に潰しにかかってくる。実力が拮抗しているということは、単純計算で戦力差は倍。絶対に勝ち目は無いわ」
「でもさ、それじゃあ結局なにもできなくて、崩壊が止められないんじゃ……?」
「だからこその《探求派》なのよ」
人差し指を立て、楽しそうにつばめは言った。
「?」
「《探求派》は少し他の勢力と色が違うの。さっきは実力が拮抗してるって言ったけどね。正しく言うと、そうじゃないんだ」
「どういうことだよ?」
「ほんとはね、三つの勢力の中で、《探求派》は最強なの。根拠はやっぱり、七眷属が四人も所属してることかな。さすがに二つ同時に相手にして勝てるとは言わないけど、一対一なら絶対勝てるぐらいには強いわ。しかも、なんとなく分かると思うんだけど《過激派》と《宗教派》はちょーぜつ仲が悪いのよ」
あっという間に紅茶を飲み干したつばめが、おかわりを注文する。今度は一緒にバニラアイスも頼んでいた。どうやら彼女は甘党らしい。
「だから、仲が悪いから、ぶっちゃけその二つが手を組むことは無いだろうし、《探求派》はいつでもこの拮抗を破れるんだよね」
「ならなんでそうしないんだ?」
その方が、《探求派》が自由に動けるようになるし、メリットは大きいのではないだろうか?
がしかし、つばめはあっさりとそれを否定した。
「《探求派》にとっては今の状況が一番なのよ。私達としては、とにかく時間を稼ぎたい。そうすればそれだけ方法を探せるんだから。だからといって、無理に他の勢力を潰して下につければ、反発し、手を組むはずのないものが協力してしまうかもしれない。《探求派》にとって、それだけは絶対に避けたい最悪のパターン。だから、今は大人しく、他の勢力を鎮めながら方法を探すことに徹しているのよ」
「なるほど」
理に適っていると思った。もっと言ってしまえば、最強の《探求派》が政局を完全に支配しているということなのだ。
「とまあ、今話すことはこんなものかな……? 要するに、高松君には魔法も身に付けてもらい、《探求派》として他の組織を邪魔する仕事を主にやってもらいたいってことね」
「邪魔って……」
「それが一番分かりやすいでしょ」
まあそうだけど……。口の中でそう呟いて、声に出すのは止めた。
おかわりのアイスティーとバニラアイスが運ばれてくる。紅茶の方は別としても、アイスの方は美味しそうだった。自分も頼もうかと思い、ちょっと悩んでる間にもうグラスとお皿を空にしたつばめを見て止める。なんだか、止めてばかりだった。
「あっ! そうそう。ちょーぜつ大事なこと忘れてた」
「?」
「高松君の住むとこだけど……」
「そっか。俺、こっちで暮らすんだよな」
「うん。うち、部屋空いてるからそこ使って」
「分かった。ありがと――」
あまりにすんなりと言われた言葉についつい流れで了解して、それから高松は気づいた。
「――ってはあ!? それって、つばめさんと一緒に住むってことじゃ」
「そうだよ?」
またすんなりとつばめは言った。目がマジだった。この前と同じ。これは多分、いくら言っても聞かないパターンだ。
早々にそれを悟った高松は、抵抗するのを止めて聞き入れることにした。
まあよくよく考えてみれば、こんな美少女と一緒に暮らせるのだからラッキーだろう。
「じゃ。そろそろ出よっか。明日からはあんたにも訓練してもらうけど、今日はまだいいよね。一緒に街でも見て回ろっか」
「あっ、うん、分かった」
今のは聞き方によってはデートの誘いに聞こえることに、まだ青い二人は気づいていなかった。