#2 「もう一つの世界」
☆
『ゲスト』を連れてきた『案内人』は『ゲスト』を自宅に招待しなさいという上からの指示があるとかで、高松は少女に連れられて彼女の家へとやってきていた。
「まずはアナザーワールド――二つの世界について、説明するわね」
一般的な一軒家の一室に高松を通し、コーヒーを差し出した少女が徐に話し始めた。
「さっきも少し言ったけど、同じ座標に位置していて、しかし存在する次元が違うが故に互いに干渉しえない二つの世界、というものが存在するの。一方から見た他方の世界のことを、私達はアナザーワールドと呼んでいるわ」
「パラレルワールドみたいなものか?」
高松の問いに、それとは少し違うかな、と少女が答えた。
「パラレルワールドが一つの世界から分岐した世界なのに対して、アナザーワールドはそれぞれが完全に独立した二つの世界なの。いわば、平行線みたいなものね」
平行線。それは、決して交わることのない二本の線だ。
「とは言っても、二つの世界の間にある大きな違いはそれほど多くはないの。人類が生まれるより前の歴史なんて、小さい違いこそあれ、ほとんど一緒なのよ。もちろん氷河期は訪れたし、恐竜だっていたらしいわ」
でもね、と少女が付け足す。
「一つだけ、ちょーぜつ大きな違いがある。それが、人間の持つ力よ」
力――さっきも少女が見せた、不思議な現象を引き起こす力。高松の住む世界には、存在しないものだ。
「力は能力と魔法に分けられるんだけど……その説明は今はいいかな。ところで高松君」
と、不意に少女が彼の名を呼んだ。二人の目が合い、見つめ合う。女の子慣れしていない高松が、顔を真っ赤にしてすぐに目を逸らした。
「もしも平行線の内、どちらか一方または両方が、ほんの少しでも内側に折れ曲がったとしたら……どうなる?」
「そりゃぁ……交差する、だろ」
「そう。二本の線はどんどん近づいていき、いずれは交差する。それが、今、二つの世界の間で起こっていることなの」
少女が、とても深刻そうな雰囲気で言った。その様子に少し気圧されながら、高松が尋ねる。
「それが、どうかしたのか?」
「どうもなにも、ちょーぜつ大問題よ。さっきも言ったけど、二つの世界の間には、異能、という大きな差がある。つまり、二つの世界は似て非なるものなの。それを象徴しているのが、異能ってわけね。そんな、根本から違う二つの世界が交わるようなことになれば、水と油じゃないけれど、きっとそんな風に反発しあうわ」
「それでどうなるんだ? まさか、人類滅亡とかか?」
もちろん、高松は冗談で言ったつもりだった。しかしそれを肯定するかのように、少女が突如として黙りこんでしまう。しばらくして、ようやく少女が口を開いた。
「歴史上、世界が交差したことは何度かあるの。例えば、恐竜の絶滅」
言われ、高松はふとテレビで見たことを思い出す。確か恐竜は、隕石が衝突し、それによって塵が地球を包んで太陽光を遮ったために起きた、寒冷化が原因で絶滅したはずだ。
「こちらの世界でも、恐竜の絶滅の原因は隕石であるとされているわ。けどね」
と、ここで少女が一旦言葉を区切った。
「その隕石を呼び寄せたのが、二つの世界の交差だと言われているの。つまりはね、世界の交差は、それだけの大災害の起因になりかねないのよ」
さらに今回はより最悪な状況なの。と少女が話を続ける。彼としては、そろそろキャパをオーバーしそうであり、まだなにかあるのか、とでも言いたくなってしまうところだった。
「じゃあ、二本の平行線の間の距離が、折れ曲がるのではなく、そのままどんどん小さくなっていったら? 最終的に、二つの線は完全に重なり、一つの線になってしまう」
つまり、それが今起きていることだった。二本の平行線が一つに重なろうと──二つの世界が、完全に一つになろうとしている。
「ただでさえ、交わるだけでも恐竜が絶滅するほどの災害を巻き起こした。それが一つに重なるなんて……人類が滅亡するどころじゃない。間違いなく、世界が崩壊するわ」
「……」
高松は言葉を失ってしまった。世界の崩壊。それは、ただの高校生にしかすぎない彼にはあまりにもスケールの大きすぎる話だったのだ。いきなりそんな話を聞かされたところで、衝撃を受ける以外にできることがない。
それでも、なんとか言葉を絞り出す。
「それで……だからなんなんだよ」
一度口を開くと、蛇口を捻った水道のように言葉が続いた。
「アナザーワールドがどうとか、世界の崩壊がどうとか、まだよくは分かんない。けど、それは別にいい」
ついさっきまで何も知らない普通の高校生だった彼にとってはそんなのはどうでもいいことだった。
だけど、
「じゃあ、なんでそれを俺に話す? 俺は力の無い世界の住人で、そこでさえただの高校生なんだ。そんな俺にそんなことを話してどうしたいんだよ。俺にどうしてほしいんだよ?」
そもそも、と高松の言葉は続く。
「それだけのことを知ってるあんたは、何者なんだ……?」
それが、高松にとっての最大の疑問だった。彼にとって少女は、ただの可愛い女の子にしか見えないのだ。そんな子が、世界の崩壊だとかを知っていることが、あまりにもイメージと合わなかった。
「? ……あっそっか。まだ名乗ってなかったっけ」
などと少女があっけらかんとした風に言う。
「《探求派》ゲスト班所属、コードネーム『色欲のラスト』。本名は小鳥遊つばめよ。よろしく」
そう言ってつばめが手を差し出す。握手を求めているようだったが、高松はその手を握らなかった。自分を襲ってきた相手によろしくと言われても、心を許すような行為にはまだ抵抗があるのだ。
少女は、少しだけ沈んだような表情になったが、改めて気を取り直したように、
「それで、何をしてほしいのかって話だけど……端的に言えば、君に力を貸してほしいの」
「俺に……?」
「そう、君に。この世界の崩壊は、力が無くて技術の発達していないそちらの世界には観測することができない。けど、例えそうであっても、これは二つの世界の間の問題でしょ?」
確かにその通りだ、と高松は思った。自分の知らないところで起きていたとしても、それによって自分の身に何かが起きるかしれない以上、それは自分の問題でもある。
「だから、観測のできるこちらで、そちらの世界の代表を選抜し、『ゲスト』として連れてくることになったの。君には――」
一瞬、つばめの言葉が詰まる。しかし、ここまで来ては引き返せない、というような面持ちで、そのまま言葉を続けた。
「君には、私の所属する組織《探求派》の一員になって他の組織と戦い、世界の崩壊を止める方法を一緒に探してほしいの」
その言葉に高松は、すぐに答えることができなかった。そもそも、既に何度か言っているように、彼は女の子慣れしていないのだ。早見こころという存在もあるが、あくまでも彼女は幼馴染み。実際に幼馴染みや仲のいい異性がいる人なら分かってもらえるかもしれないが、高松は彼女のことを異性として見ることができなかった。
というのも言い方が悪いかもしれないが、小さい頃からずっと一緒にいるため、ほとんど兄妹みたいなものなのだ。実際、こころは高松のことをタカ兄と呼ぶ。
といっても、女の子として認識していないのかと言われれば、必ずしもそうとは言えない。薄着をしていれば当然気になるし、手を握るのだって恥ずかしいと感じる。
要するに、恋愛対象として、見ることができないのだ。彼にとって、早見こころはノーカウントなのである。
すなわち、とにかく平凡で、強いて言うなれば漫画好きであるがために周りより少しだけ正義感が強く、それに対する価値観が違うくらいの高松に、可愛い女の子の頼みを即答で拒否することなどできるはずが無かった。
かといって簡単に承諾できるかと言われれば、そうでもないだろう。そういう内容であることは、誰が見ても明らかなはずだ。
だから、高松はすぐには答えられなかった。返答に迷ったのだ。それを見透かしたかのように、つばめが言う。
「別に、今すぐ答えを出す必要はないわ。三日後、私はもう一度あなたの前に現れる。短いかもしれないけど、なんとかそれまでに答えを出してほしいの」
「……分かった」
苦々しそうに高松は答えた。それを聞いたつばめが、見るからに安堵の表情を浮かべ、
「良かった。じゃあ、今日はうちに泊まっていって」
と言った。
「……………………………………………………は?」
もしも高松の耳がおかしくなっていなければ、彼女は今、確かにうちに泊まっていけと言っていたはずだ。
「ええと……それは、トマトを食っていけという日本語を略した新たな日本語だったり――」
「しないから」
「ですよねぇ……」
自分でも何を言ってんだこの馬鹿はと思ってしまったぐらいだった。訳が分からない。
「いや、でも、いくらなんでも女の子の家に泊まるのは問題がありそうというか……」
「仕方ないじゃない。そういう上からの命令なんだから。『案内人』は『ゲスト』に判断を委ねた後、できるだけ早く『ゲスト』を自宅に宿泊させることっていう」
どうやら、『ゲスト』にこちらの世界のことを多く知ってもらうための気遣いらしい。彼にとっては迷惑以外の何物でもないが。
「もちろん、都合が悪ければ無理にとは言わないけど……なにか予定とか、ある?」
「それは、無い、ですけど……」
それに、高松は一人暮らしをしているので、外泊に誰かの許可をとる必要もなければ家に帰らないからといって心配する人もいない。こころがご飯を作りに来てくれることもあるが、高校に入って彼女の部活が忙しくなってからはその回数も少なくなっているし、今日に限って来るということもないだろう。たとえ来たとしても、出掛けてるんだな程度にしか思わないはずだ。
つまりは、高松にはつばめの誘いを断るだけの理由が無かったのだ。
「そもそも、君が何もしなければ問題も何もちょーぜつにないでしょ?」
「確かにそうだけど……」
「じゃ、決まりね」
屈託のない笑顔でそう言われては、高松に断ることなどできるはずもなかった。
☆
(それにしても、)
貸してもらった来客用の部屋のベッドに寝転びながら高松は考えた。ちなみに、風呂も貸してもらった。着替えはサイズ的にも性別的にも問題がありそうだったので、元々着ていた服を洗って再度来ている。こちらの世界の技術は素晴らしく、彼がシャワーを浴びている間に洗濯は終わっていた。
なお、彼女は一人暮らしらしい。そこそこ広い家なのだが、ますます彼女が何者なのか分からなくなってきた。……二人きりであることは考えないことにしておきたい。
(世界の崩壊、か……)
実感がわかない、というのが彼の正直な感想だった。当たり前だ。ついさっきまでただの高校生だった高松に、アナザーワールドだの力だの世界の崩壊だのと言われたところで、信じろという方が土台無理な話なのだ。
しかし、
(あの力……)
彼女は、実際にやって見せているのである。何も無いところから光を放って壁を壊したり、目を瞑っていた数秒の間に全く違う場所へ移動させたり。そんな不思議な現象を、彼の目の前で起こしてみせたのだ。そしてなんとなくだが高松には分かる。これは夢なんかではない、と。
だからこそ、馬鹿馬鹿しいと一蹴することが、彼にはできないのだった。
「……考えてても仕方ないか。なんか、久々に頭使ったら喉渇いたな」
そう呟いて高松は部屋を出る。
「あれ? 冷蔵庫どこだっけ? てか、つばめさんはもう寝ちゃったのか……?」
などと言いながら真っ暗な家の中をさまよっていると、すぐ目の前の扉の隙間から光が漏れていることに気がついた。
「なんだ、まだ起きてんじゃん」
つばめさーん冷蔵庫ってどこっすか? と言いつつ取っ手に手をかける。扉を開くと、そこには、
裸にバスタオルを巻いただけのつばめの姿があった。
こうして見ると、彼女のスタイルの良さがよく分かる。高松個人としては、腰のくびれとそこから伸びるすらっとした脚がたまらなかった。と、そんなことを考えている場合などではない。
「! な、あ、ああ……」
つばめと目が合う。高松には時間が一瞬止まったように感じられた。
「――! ちょ、あああんた、何して!?」
つばめの顔が瞬間的に真っ赤になる。おおすごい、とか感心しているのは現実逃避だ。
「ご、ごごごごごごめんなさい!」
急いで扉を閉める。しかしまあ、世の中には時すでに遅しという言葉があるものだ。昔の人間はうまいことこと言ったものだよな、その人もこんな風に不可抗力で女性の裸を見てしまったのだろうか。などと見当違いな考えが浮かんでくるのはおそらく漂ってくる殺気のせいだろう。
「ちょーぜつしねー!!」
という叫び声と扉に何かを投げつけたような音が内側から聞こえた。