森で夜になる日
少し遠くまで歩くだけのはずだった日。
気づけば、帰る理由が少しだけ遅くなる。
王都を出てからしばらく歩くと、道はゆるやかに森へと続いていた。
街道の土は乾いていたが、森へ入った途端に空気が変わる。木々が日差しを遮り、足元には湿った匂いが残っていた。頭上では枝が揺れ、葉の擦れる音が絶えず続いている。
「この先、少し開けた場所があるらしい」
フィアが前を歩きながら言う。
「来たことあるのか」
「ない。でも、良さそうだったから」
振り返った顔が、少しだけ楽しそうだった。
理由は聞かなかった。聞けば、それ以上の言葉が必要になる気がした。
森の奥へ進むにつれて、音が減っていく。
鳥の声が遠くなり、代わりに自分たちの足音だけが残る。
「……来るな」
カイルが足を止めた。
木々の奥から、巨大な魔獣が姿を現す。地面を踏みしめるたびに土が揺れ、低い唸り声が森に響いた。
「戻る?」
「いや」
剣を抜く。
一歩踏み込み、振る。
空気が裂ける音が遅れて響き、魔獣の姿が消えた。背後の木々が一直線に倒れ、葉がゆっくりと降り注ぐ。
風が止まり、森が静まり返る。
「……少し強かったか」
「うん。静かになった」
フィアはそれだけ言って歩き出す。
カイルは剣を収めながら、倒れた木々の向こうを一度だけ振り返った。
開けた場所に着いた頃には、日が傾き始めていた。
木々に囲まれた小さな空間で、上だけがぽっかりと開いている。夕日の光が斜めに差し込み、草の先を赤く染めていた。
フィアは何も言わず、その場に立ち止まる。
風が吹き、草が揺れる。
しばらく、誰も話さなかった。
座ると、地面の温度がまだ少し残っていた。
昼の熱がゆっくり抜けていく。
空の色が変わっていくのを、二人はただ眺めていた。
「……戻るか」
カイルが言う。
けれど、立ち上がらなかった。
帰れないわけではない。道も分かっている。ただ、今動く理由が見つからなかった。
「うん」
フィアも動かなかった。
気づけば、空はすでに暗くなり始めていた。
木々の間に最初の星が見える。
「火、つけるか」
集めた枝に火を移すと、小さな炎が揺れ始めた。明かりができた途端、周囲の闇が一歩下がる。
薪のはぜる音が、静かな森の中でやけに大きく聞こえた。
「こういうの、久しぶり」
フィアが言う。
「野営か」
「うん。でも、嫌じゃない」
火の明かりに照らされた横顔は、昼間よりも柔らかく見えた。
しばらく沈黙が続く。
虫の声と、火の音だけが時間を進めていく。
「ね」
「なんだ」
「さっき」
フィアは火を見たまま言う。
「帰るって言ったのに、立たなかったね」
カイルは答えなかった。
理由は分かっていたが、言葉にできなかった。
「……暗かったからな」
「そっか」
フィアはそれ以上聞かなかった。
ただ、少しだけ火に近づく。
距離が、わずかに縮まる。
夜は静かだった。
眠る前、フィアが小さく言う。
「また、こういうのもいいね」
カイルは返事をしなかった。
ただ、焚き火の火が消えるまで起きていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
今回は少しだけ、帰る時間が遅くなった日でした。
特別なことは起きていませんが、二人にとっては少し違う一日だったかもしれません。
次回はまた、少し場所を変えて出かけます。




