はじめて声が届く距離
近づくことは、追うことと同じではありません。
声をかけるかどうか、その一歩がいちばん重いのかもしれません。
街道から外れた古い石橋は、ほとんど人が通らなくなっていた。
川の水は浅く、秋の終わりの光を受けて鈍く光っている。石の隙間には乾いた苔が張りつき、風が吹くたびに細かな砂が流れた。橋の向こうには小さな林があり、その奥に丘が続いている。
フィアは今日は、濃い紺色のコートを着ていた。
前を留めずに羽織っているせいで、歩くたびに裾が広がる。冷たい風が吹くと布が大きく揺れ、思わず両手で押さえた。
「川、冷たそう」
「もう入れないな」
「入らないよ」
笑いながら橋の中央まで進む。
そこは見晴らしがよく、風がよく通る場所だった。
そのとき、背後で足音が止まる。
石を踏む、はっきりとした音。
フィアは振り向かない。
カイルも視線を動かさない。
だが二人とも、気配を認識している。
橋の入口に立っていたのはレオンだった。
その後ろにガルド、ミリア、セレスが並ぶ。武器は構えていない。だが緊張は解けていなかった。
「待ってくれ」
レオンの声が、橋の上をまっすぐに渡る。
初めて、届く距離だった。
風が止む。
川の音だけが残る。
フィアがゆっくり振り返る。
目が合う。
初めて、はっきりと。
「……なに?」
声音は穏やかだった。
敵意はない。
だが距離は保たれている。
レオンは一歩進む。
「空の裂け目のとき、あそこにいたな」
問いではなく確認だった。
フィアは少しだけ首を傾げる。
「空、割れてたね」
否定も肯定もしない。
その曖昧さが、逆に確信を強める。
ガルドが低く呟く。
「やっぱりか」
ミリアは二人から目を離さない。
セレスは静かに呼吸を整えている。
「助けられた」
レオンが言う。
真っ直ぐだった。
「だが、何者だ」
風が吹き、フィアのコートが揺れる。
彼女は一瞬だけカイルを見る。
カイルは答えない。
その沈黙が許可だった。
「何者でもないよ」
フィアは小さく笑う。
「出かけるのが好きなだけ」
本気だった。
嘘ではない。
だが全てでもない。
レオンは眉を寄せる。
「なら、なぜ干渉する」
言葉が少し鋭くなる。
ガルドがわずかに前に出る。
緊張が橋を満たす。
その瞬間、空気が微かに震える。
遠くの森の奥で、再び歪みが生まれる。
小さな裂け目。
だが確実に広がっていく。
全員が同時に気づく。
ミリアが息を呑む。
「また来る」
レオンが振り向く。
判断の時間はない。
フィアは小さくため息をつく。
「今日、多いね」
冗談のようだった。
カイルは橋の欄干に手をかける。
「近い」
裂け目が開く。
今度は橋の上空。
黒い影が落ちる。
川の水面が揺れ、石橋にひびが走る。
レオンが剣を抜く。
ガルドが構える。
ミリアが魔法陣を展開。
セレスが祈りを始める。
今度は目の前で起きる。
影が降りる。
だが落ちきる前に、カイルが一歩踏み出す。
剣を抜く動作すら、ほとんど見えない。
ただ、空気が切れる。
橋の上の風が一瞬だけ消える。
影が、真っ二つに裂ける。
音は遅れて響く。
川の水が弾け、空が元に戻る。
裂け目は閉じる。
沈黙。
誰も動けない。
影は、完全に消えていた。
今度は偶然ではない。
全員が見た。
フィアは何事もなかったようにコートの裾を整える。
「橋、壊れなくてよかった」
本気で心配している。
レオンは言葉を失う。
ガルドが剣を下ろす。
ミリアの魔法陣が消える。
セレスの祈りも止まる。
「……何者だ」
さきほどよりも低い声だった。
カイルは橋の向こうを見たまま答える。
「通りすがりだ」
それだけだった。
フィアが小さく手を振る。
「またね」
本気なのか、冗談なのか分からない笑み。
次の瞬間、二人の姿は風の向こうへ消えていた。
橋の上には、勇者パーティだけが残る。
今度ははっきりしている。
偶然ではない。
追う相手でもない。
敵でもない。
それでも——
レオンは剣を握り直す。
「……話をしなければならない」
次は逃がさない、ではない。
今度は“理解する”ためだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ついに、直接交わりました。
そして初めて、戦闘を目の前で見せる形になりました。
ここから物語はもう一段階進みます。




