市場で迷う日
今日は少し賑やかな場所へ。
特別なことは起きないはずの日ほど、なぜか時間は早く過ぎていきます。
王都の中央広場は、朝から人の熱気に包まれていた。
露店の並ぶ通りからは焼きたてのパンの匂いが流れてきて、商人たちの呼び声と、人々の話し声が重なり合い、絶えず空気が揺れている。門の外とは違う、街の中心だけが持つ騒がしさだった。
噴水の縁に寄りかかりながら、カイルはその様子を眺めていた。
こういう場所は嫌いではない。ただ、どこを見ればいいのか分からなくなる。
「待った?」
声がして振り向く。
フィアが立っていた。
今日は外套の色が明るい。歩くたびに裾が軽く揺れ、普段よりも柔らかい印象を受ける。戦うことを考えていない服だと分かるのに、不思議と違和感はなかった。
「いや」
短く答える。
フィアは広場を見回し、小さく息を吐いた。
「思ってたより、人多いね」
「市場だからな」
「うん。だから来た」
そう言って歩き出す。
歩幅が少しだけ速い。カイルは何も言わず、その後を追った。
市場の通りに入ると、視界が一気に色で埋まる。
布、果物、金属細工、見慣れない道具。店先に並ぶものをフィアは一つ一つ覗き込み、そのたびに足を止めた。
「これ見て」
「さっきも止まっただろ」
「さっきは布。これはお菓子」
言い方が少しだけ楽しそうだった。
結局ひとつ買い、半分に分ける。
フィアは一口食べて、少し驚いたように目を丸くした。
「……あ、これ好き」
もう一口食べてから、思い出したようにカイルへ差し出す。
当然のような動作だった。
カイルは少しだけ間を置いてから受け取る。
甘かった。
周囲の音が一瞬だけ遠くなる。
人の流れに押されるようにして、気づけば通りの奥まで来ていた。
振り返っても、来た道が分からない。
「……迷ったな」
「うん」
フィアは困った様子もなく笑う。
「まあ、いいんじゃない?」
「よくないだろ」
「急いでないし」
そう言って、また歩き出す。
迷っているはずなのに、足取りは軽かった。
人通りが少なくなり、静かな路地に出る。
さっきまでの喧騒が嘘のように遠い。
「カイル」
「なんだ」
「さっき、いなくなったかと思った」
振り向くと、フィアがすぐ近くに立っていた。
思っていたより距離が近い。
「離れてない」
「うん。でも、ちょっと焦った」
冗談のように笑う。
本気なのかどうか分からない。
カイルは何も言えず、視線を逸らした。
帰り道、街道の端で魔物が現れた。
大型の個体だったが、カイルは剣を抜き、一歩踏み込む。
一閃。
魔物の姿が消え、地面が深く抉れる。遅れて風が吹き抜け、砂が舞い上がった。
「……早いね」
「普通だ」
フィアは何も言わず、少しだけ笑った。
夕方の市場は、朝より静かだった。
「今日は楽しかった」
フィアが言う。
「そうか」
「うん」
それ以上は続かない。
ただ、人混みの中でフィアが少しだけ近くを歩く。
離れない距離だった。
第2話を読んでいただきありがとうございます。
今回は少しだけ動きの多い日でした。
同じ場所を歩いていても、前より少しだけ距離が変わっているかもしれません。
次回は街を離れて、また少し静かな場所へ。




