丘の上で風をまつ日
少し遠くまで歩くだけの日。
特別なことは何も起きませんが、なぜか記憶に残る景色があります。
街を出るころには、空はすでに秋の色に近づいていた。
陽射しはまだ暖かいのに、影だけが長く伸びている。石畳を離れ、土の道に入ると足音が少し柔らかくなり、遠くで揺れる草の音がはっきり聞こえるようになった。
フィアは今日は、いつもより歩くのが少しゆっくりだった。
薄い生成り色の上着に、普段より軽い布のスカートを合わせている。歩くたびに裾が風を含み、遅れて揺れる。その動きに合わせて、自然と足運びが慎重になっていた。
「この先、景色いいんだって」
振り返らずに言う。
「聞いたのか」
「うん。たまたま」
言い方は軽かったが、道を間違えないように何度も前を確かめているのが分かった。
カイルは何も言わず後ろを歩く。
道は緩やかに登っていた。
両側の木々が少しずつ低くなり、空が広がっていく。風が抜けるたび、乾いた葉が転がり、足元で小さな音を立てた。
頂上に着いたとき、フィアは小さく息を吐いた。
「……ほんとだ」
そこには何もなかった。
柵も、建物もない。ただ遠くまで続く森と、その向こうに小さく見える街の屋根があるだけだった。雲の影がゆっくりと流れ、光が場所ごとに色を変えていく。
しばらく、二人とも立ったまま景色を見ていた。
風が強くなる。
フィアの髪が揺れ、上着の袖が大きく膨らんだ。押さえながら少し笑う。
「ちょっと寒いかも」
「もう秋だな」
「うん」
それ以上は続かなかった。
けれど、帰ろうとは誰も言わなかった。
フィアはその場に座り込む。
草が擦れる音がして、スカートの裾が広がる。手で整えながら、何度か空を見上げる。
言葉にするほどの理由はなかった。ただ、ここに来たかっただけだった。
隣に誰かがいる状態で、この景色を見たかった。
それだけだった。
しばらくして、カイルが腰を下ろす。
距離はいつもと同じくらいだったが、風のせいで時々肩が触れそうになる。触れないまま、また離れる。
その繰り返しが、妙に意識に残った。
「満足したか」
カイルが言う。
フィアは少し考えてから頷く。
「うん。たぶん」
曖昧な答えだった。
けれど、それで十分だった。
帰り道は、来たときより静かだった。
風の音だけが続き、足音がゆっくり重なる。日が傾き始め、さっきまでいた丘が少しずつ遠ざかっていく。
フィアは一度だけ振り返った。
何かを確かめるように、短く。
そして何も言わず、また前を向いた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
今回は、目的地そのものより「そこへ行く理由」の話でした。
季節が変わるにつれて、同じ時間でも少しずつ意味が変わっていきます。
次回は、少しだけ外からの視線が入ります。




