第拾章
その日、駅の構内にいたときだった。
何かに気づいたのは、通り過ぎる人波の中に「視線の重さ」を感じた瞬間だった。
背中を刺すような感覚。
振り返っても、それらしい顔はない。
だが、皮膚の裏側だけがざわついている。
俺はスマホの画面に目を落としながら、人波に紛れてホームへ降りた。
電車が来るまで三分。
そのあいだに、人の流れは収束する。
背後から、革靴の音。
均一な間隔で、確実にこちらへ向かってきていた。
警察か? いや、それなら声をかけてくるだろう。
知人? そんな偶然はない。
ならば――“知っている者”か。
だが、その音は途中で止まった。
気づけば、ホームの柱の向こうに立つ人物の背が見えた。
男か女かもわからない。
帽子を深くかぶり、マスクをしていた。
だが、その立ち方だけが、あまりにも“こちらを見ていた”。
次の瞬間、電車が滑り込んできた。
人が流れ、空気が割れ、姿はかき消えた。
俺はそのまま電車に乗り込んだ。
座席に沈みながら、薄い窓に映る自分の顔を見つめた。
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会社を辞めた日から、日常はより静かになった。
監視の目は消え、疑念も薄れ、ただそのぶん、孤独だけが濃くなった。
それでも構わない。
もともと、この社会に属するつもりなどなかった。
あの日から――そう、復讐を決めたあの日から、俺の人生は「終わっていた」のだから。
だが、なぜか今日は違った。
何かが、心の隙間に潜り込んできていた。
それはあのホームの“佇む姿”か、あるいは、先日出会った“女の目”か。
静寂を選んだはずの場所に、音が戻りつつある。
そしてその音は、間違いなく――追ってきている。
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帰宅してすぐ、パソコンを開いた。
大学の名簿データ、かつてのサークルの記録、SNSのキャッシュログ、検索履歴、すべて改めて洗い直す。
その中にいた。
件の女――名前は「鷺沢 梓」。
文学部所属、成績優秀、教授に可愛がられていたタイプ。
サークル活動はしていない。
ただ、ゼミが同じだった“あいつ”とよく話していた記録がある。
あいつ――つまり、死んだ親友。
やはり、繋がっていたのは俺ではなく、あいつだ。
なるほど、だからあの女は俺の顔を覚えていたのか。
顔見知り程度――だが、それでも“記憶”には残る。
そこに、答えがあった。
俺が消したのは、「罪を犯した者たち」だ。
だが、同時に、あいつを知っていた「証人」もまた、世界に存在していた。
証人は、語らなければただの影。
だが語れば、証拠へと変わる。
――次に、誰を消すべきか。
静かに、ディスプレイの中の写真を見つめた。
そこに写っている笑顔が、次の“作業”対象であると、静かに告げていた。
※お読みくださった皆さまへ
物語の途中に、同一の文章が重複して掲載されている箇所がございました。
これは下書きから原稿を整える際に発生した、完全な転記ミスによるものです。
意図的な演出ではなく、読者の皆さまにご不便・ご不快な思いをさせてしまったことを、心よりお詫び申し上げます。
ご指摘くださった方、本当にありがとうございます。
今後はこのようなことがないよう、原稿のチェックをより徹底してまいります。
もしよければ、最後まで見届けていただけると嬉しいです。




