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第漆章

冷蔵庫にしまったはずの牛乳の位置が変わっていた。


誰かが部屋に入ったか――そんな思いがよぎる。

だが鍵は閉まっている。

チェーンも、補助錠も、ずっと掛けたままだ。

郵便受けにも異常はない。

記憶違いかもしれない。

だが、俺は“記憶違い”をするタイプではない。

確かに、昨日の夜、ドアを閉める前に牛乳は右側に入れた。

今朝、開けたときには左端にあった。


そんなことは、どうでもいいはずだった。

だがそれは、扉の隙間に差し込まれたナイフのように、じわじわと内部を裂いてくる。


あの喫茶店の女の影。

図書館での視線。

“違和感”が連なっている。

名前を知らない誰かが、俺を知っている。


退職の手続きはすでに終わった。

職場に戻る理由もなければ、連絡が来る筋もない。

だが三日前、駅前でばったり元同僚と会った。


「……あれ? あんた、もう会社来てないって聞いてたけど」


彼女は思ったよりも驚いていなかった。

そしてそのあと、こう言った。


「ねえ、あの事件さ。覚えてる? 山のほうの、大学の人が亡くなったやつ。うちの同期、けっこう知り合い多かったみたいでさ」


俺は何も答えず、ただ頷いただけだった。

「ごめん、変な話して」と彼女は言って笑ったが、その笑いには探るような温度が混じっていた。


――なぜ、そんな話を、俺に。


その夜、ニュースを見た。

例の“復讐劇”はまだ報道され続けていた。

警察は関連の映像や目撃情報を呼びかけていた。

犯人は依然、逃走中。


テレビの中のキャスターは、まるで正義を演じるかのように語る。

「極めて悪質な犯行」「一連の動機はいまだ不明」「なぜそこまで計画的だったのか」。


答えは簡単だ。

“必要だった”からだ。

ただそれだけ。


俺はそれを語らない。

誰にも、決して。

語る言葉はもう、あの夜にすべて終わっている。


だが、どうやら――

「誰か」が、それを言い当てようとしている。


自室に戻ったあと、パソコンのブラウザ履歴を確認する。

開いた覚えのない掲示板、アクセスしたことのないURL。

どうやら一度、外部から遠隔操作されている形跡がある。

暗号化された履歴の隅に、「5人組」「復讐」「大学時代」――そんなキーワードが並んでいた。


誰かが、探している。


もしかしたら、あの時助けを求めてきた“最後の一人”が、何かを残していたのかもしれない。

断末魔。視線。もしかするとメモのようなものを。

……いや、ありえない。

現場に残ったすべては焼いた。

証拠はない。

生存者もいない。


それでも、こうして“視線”が忍び寄る。


呼吸の深さが変わる。

眠りは浅く、音に敏感になった。

誰も部屋にはいないのに、布団の重みが変わったように感じる朝がある。


だが、怖れではない。

ただ、確認しているだけだ。


俺は間違えていない。

それだけが、すべてだ。


それを脅かすものがあるなら、潰すだけの話だ。


やり方は、もう知っている。


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