第5話 涼子が行きたい、ピリ辛胡麻担々麺の店。
三月二十八日金曜の夕方。
涼子は、仏壇の前に座って夫の遺影に語りかける。
遺影の中の夫は、穏やかに笑っている。
「ねぇ、あなた。今夜は担々麺を食べに行くのよ。遥さんに誘われてばかりじゃなくてね、今日は私の方から誘ったの。ふふ、びっくりするでしょ? 誰かとご飯を食べるのがこんなに楽しいって、忘れていたわ。あなたが生きていた頃も、あなたが毎日楽しそうに話してくれるから私は笑顔でいられたんだって思い出したわ」
涼子は仏壇の花を取り替え、線香をあげた。
一人で食べるのが当たり前だったひと月前。
見もしないテレビをつけて、買ってきたお惣菜を黙々と食べ、ため息をついていた。
そんな日々が、今では懐かしくさえ思える。
「じゃあ、行ってくるわね」
遺影に微笑みかけると、涼子は春物コートを羽織り、家を出た。
待ち合わせ場所の駅前で遥と合流し、二人は「麺工房華」へ向かった。
「えへへ。今週は涼子さんがお店を選んでくれるとは思いませんでした」
「たまには私から誘うのもいいかなと思ったの」
「大歓迎っす!」
遥は嬉しそうに頷き、メニューを眺めながら興奮気味に言う。
「ここの担々麺、めっちゃ評判いいんすよ! しかも、胡麻の濃厚スープなんて、絶対に間違いない! 黒胡麻坦々、白胡麻担々、麻婆担々……どれも気になるぅ!」
「でしょ? 本に載ってたのを見て、気になったの」
涼子は「白胡麻担々麺」遥は「黒胡麻坦々麺」を注文した。
店内には涼子たちのほかに、仕事帰りらしい女性や、若い男性、家族連れがいる。女性は角度を変えながらスマホでラーメンの写真を撮っている。
「あれは何をしているの?」
「ブログに載せるのかも。どこで何食べたってブログ書くブロガーも結構多いんすよ」
「ブログ……」
「インターネット上の日記っす」
「そんなこともできるなんて、今の若い人はすごいのねぇ」
ほどなくして運ばれてきたラーメンは、本の写真そのままの美しい一杯だった。胡麻がたっぷり入った赤いスープに、細切れの青ネギとチンゲンサイ、ひき肉がトッピングされている。胡麻の香りが鼻に届く。
「うわぁ……! めっちゃ香ばしい胡麻の香り!」
レンゲでスープをすくい、一口。
濃厚な胡麻のコクが広がり、ピリッとしたラー油の辛さが後を引く。辛すぎず、まろやかさもある。肉味噌の豚ひき肉は生姜でしっかりと臭みが消えていて、味わい深い。
「……これは美味しい!」
「ですよね! コクが深いのに、辛さがじんわりと広がる感じが最高!」
細めの麺に濃厚なスープがよく絡む。
「今までのラーメンも美味しかったけど、この担々麺も食べていて全然飽きが来ないわ」
「ホントホント! スープが美味すぎて、麺を食べ終わったここに白米入れたいっす!」
遥と「美味しいね」と言い合ってラーメンを食べるこの時間は、涼子にとってかけがえのない大切な時間になっていた。
親子ほどの年齢差があっても、美味しいという気持ちを共有できる。
遥もこの時間をとても楽しんでいた。
「ラーメン活動、美味しいし楽しいわね。これからも、一緒に食べに行きましょう?」
「もちろんす! 一人で食べていたときより、涼子さんとラー活してるときのほうがもっと楽しいっす。これからも美味しいラーメン巡りしましょう!」
二人は笑い合い、最後の一滴までスープを味わった。
涼子と遥の金曜夜のラー活は、これからも続いていく――。
END
これにて終幕です。
小説として書かないだけで、来週も再来週もその先も、二人はラーメン活動を楽しんでいきます。
最後までおつきあいありがとうございました。