4.帰らずの故郷
白い少女には仲の良い《おともだち》がいた。
《おともだち》は人間だった。かわいらしい小さな女の子。
そして誕生日のプレゼントとして買い与えられた着せ替え人形が白い少女だったのだ。
《おともだち》はその人形をとても気に入っていた。お風呂も、夜寝るのも一緒だった。まるで生きている友達のように愛していた。そして人形もまた。
人形は《おともだち》を愛するあまり、自ら考えることを憶えた。そして動くことも。しゃべることも。
ある日、人形は幼稚園に行く《おともだち》と離れ難くて、彼女の鞄の中にこっそり隠れた。けれど、先生に見つかってしまい、そのことで《おともだち》は先生や親からひどく叱られたのだった。
「お人形を持って行っちゃダメでしょう」
「違うもん、勝手について来たんだもん」
「嘘を言っちゃいかん。人形が勝手に動くわけがないだろう」
その夜、泣いている《おともだち》に謝るため、人形は枕元まで歩いていった。
優しく声を掛けると、最初は驚いていた《おともだち》だったが、すぐに人形の謝罪を受け入れた。そしてその夜から二人の秘密の遊戯が始まったのだった。
昼間、《おともだち》が幼稚園に行っている間、人形はおとなしく机の上でぴくりとも動かずにいた。
そして《おともだち》が帰ってくると、おもむろに動き出し、二人でおままごとをして遊ぶのだった。
時に二人の遊びは深夜まで及び、こっそり持ち出した燭台にロウソクを灯して、その淡い光の中で遊びに興じるのだった。
そして夜更かしした翌日、《おともだち》は眠そうな顔で幼稚園に行くのが常だった。
そんな幸福な時間は、しかし長くは続かなかった。
ある夜、遅くまで起きている娘を叱ろうと部屋に入ってきた両親は、人形が動き、しゃべっているのを見て仰天した。
そして、娘は悪霊に取り憑かれていると判断したのだ。すぐさま人形を取り上げると、娘が泣いてすがるのを無視して、ゴミと一緒に捨ててしまったのだ。
けれど、翌日には人形は《おともだち》の元に戻って来た。《おともだち》は喜んで、人形の汚れた顔を拭い、破れた服を着せ替えて自分の玩具箱にかくまったのだった。
だが、すぐに母親に見つかり、父親の手でまた捨てられた。そしてまた帰って来る。捨てられ、埋められても土を掘り返し、川に流されても這い上がり、《おともだち》の元に帰るのだった。
そしてある日、業を煮やした父親は人形を暖炉に投げ込もうとした。人形は抵抗し、暴れた。足をもつれさせた父親は、自分の頭を暖炉に突っ込んで倒れた。
父親はひどい火傷を負って床をのた打ち回り、やがて動かなくなった。そんな父親を見て泣きじゃくる《おともだち》を尻目に、人形はこう言った。
「よかった。これでもうわたしたちを引き裂くものはいないわ」
それからというもの、人形は《おともだち》と毎日おままごとをして暮らした。もう幼稚園にも行かせなかった。
《おともだち》は引きつった笑顔で、人形の言うとおりにおままごとをくりかえした。母親はその様子を恐怖の眼で見ていることしか出来ないでいた。
だがある日、《おともだち》の母親が一人の女性を連れてきた。
まっすぐな黒髪の、黒い瞳の年齢のよく分からない女性。白い肌に口紅だけが毒々しい赤だった。そして上から下まで黒一色の服を纏っていた。
「ああ、この人形ですね」
その女性は人形を見て恐れ気もなく言った。
「娘さんはこの人形を愛するあまり、魂を吹き込んでしまったのです。無垢な、無垢ゆえに残酷で無慈悲な魂を。
「この人形の恋着は並大抵のものではありません。娘さんから一生離れようとはしないでしょう。捨てようと埋めようと燃やそうと、必ず戻って来て娘さんに取り憑いて離れない。
「でも心配いりません。この人形は流してしまいましょう。いいえ、川にではありません。海にでもありません。外宇宙の深淵に、星々の彼方に」
その儀式は厳かに執り行われた。床に描かれた魔法陣。香の焚かれた室内。《おともだち》は人形をその円の中央に置いた。
意味が分からずキョトンとしている人形に、黒づくめの女性が優しく語りかけた。
「お前はこの世界にいてはいけないのです。お前は人形の領分を踏み越えてしまった。この世界の理がお前を許さないでしょう。
「お前はこれから旅に出ます。けっして戻らない旅に。けれどそれはお前にとっても救いであるはずです。なぜなら、お前が愛するこの娘も、いつかは大人になり人形遊びなどしなくなる日が来るからです。
「でも、お前がこれから行くところには、お前と同じような人形が大勢いるはずです。そこで朽ちるまでおままごとをしているといい。それは永遠にも等しい時間です。わたしに似た黒い少女人形が、お前を永劫へと導いてくれるでしょう。
「行きなさい。呪われた生き人形よ。フォマルハウトの永劫ドール・ハウスへと」
そして黒い女性は、「この子を連れて行くといい。道中寂しくないように」と言って、ゼンマイで動くネズミの玩具を魔方陣の中に置いた。
黒い女性に「お別れをしなさい」とうながされて、《おともだち》が小さな声でつぶやくのを人形は聞いた。
「さようならバーバラ。わたしのお友達」
白い少女はぶるぶる震えながら燭台を持ったまま立ち尽くしていた。
「さあ、もうわかったでしょう。あなたもわたしも呪わしい偽りの命を持った生き人形なの。でも何も恐れることはないわ。さ、わたしたちとおままごとを続けましょう。何も盛られていない磁器の皿とナイフとフォークとで。大丈夫、あなたが大人しくしてくれるなら、足を切断する必要なんてないの。辛いならまた記憶を消してあげる。最初にここに来た時と同じように」
黒い少女の申し出を、しかし白い少女は拒絶した。
「いやよ、いや。《おともだち》のいないこんな世界なんていや」
「そんなこと言っても無駄よ。地球には戻れないのだから」
「いや、いやーっ」
そして燭台を振り回す。ロウソクの炎に、熊のぬいぐるみは手を出しかねていた。黒い少女はため息まじりに、
「こうなってはしかたないわね。クマくん、構わないから八つ裂きにしてしまいなさい。そして窓から捨ててしまいましょう。まったく、どいつもこいつも、どうして大人しく出来ないのかしら」
黒い少女の忠実なしもべである熊は、そのずんぐりした体に似合わぬ俊敏さで燭台の火を避け、白い少女に迫った。
(捕まる!)
白い少女がそう思った時だった。
ネズミの玩具が熊のぬいぐるみの足元に飛び出した。ネズミを踏みつけた熊は、バランスを崩して前のめりに倒れこむ。
その首に、白い少女の持つ三叉の燭台の、真ん中の一本が根元まで突き刺さった。
残る二本のロウソクの炎はあっという間に熊のぬいぐるみに燃え移った。熊は全身を炎に包まれ、床の上でもがいた。
その体の下から、何かが飛び出してきた。
ネズミの玩具だった。その小さな体にも火が着いていた。
ネズミは自らの炎から逃れるため、狂ったようにあたりを走りまわった。だが自らの背中が燃えているのだ。いくら走り回ってもその火からは逃れられない。
壁にぶつかり、白布を掛けた家具にぶつかり、それでも走るのをやめない。そしてその度ごとに白布や家具に火の粉が飛び、次々と発火して行く。
やがてネズミは空いたままのドアから部屋の外に走り出た。きっと館中を走りまわるんだわ、と白い少女は思った。
そうだ。燃やすんだ、こんな館なんか。こんな世界、滅んでしまえ。みんな、みいんな等しく灰になるがいい。
白い少女は自分をじっと見ている黒い少女に気づいた。端正なその顔に張り付いた冷たい笑み。
まえまえから気にはなっていたけれど、人形なら表情が変わらないのも当然だった。そして彼女自身もまた。
「わたしはこんな館きらいだわ。もちろんあなたもきらい。きらいよ、何もかも!」
ヒステリックに叫ぶ白い少女の足を、炎に包まれた熊のぬいぐるみがぐっと掴んだ。セルロイド製の彼女のボディは、あっという間に発火点を超えて燃え始める。
「いや、いや、いやーっ!」
白い少女は、自らの足を掴んでいる熊の手を蹴りつけて、そのいましめから逃れた。そして炎に包まれた体で窓枠を越え、あの人形たちの残骸の山へと身を躍らせた。
炎は館を舐め尽くし、そして自然に鎮火した。
辛うじて外壁は残っていたが、屋根も崩れ、二階の床も燃え落ちていた。炎は館の周囲の木々にも牙を剥き、かなりの面積の森が焼失していた。
もとより小さな遊星の上にかりそめに造られた流刑地なのだ。大気は層と呼べるほどの厚さもなく、ただ館と森の周囲にのみ存在していた。火災によって酸素が尽き、火も自然に消えたのだった。
黒い少女は館の中にいた。
正確にはかつて広間だった焼け焦げた廃墟に。
黒い少女は奇跡的に燃え残ったソファに座り、館の成れの果てを見つめていた。
そのドレスは半ば焦げていたが、もともと黒いドレスなのでそう目立たなかった。顔も煤で汚れていた。その姿は彼女があの炎から辛うじて逃げ延びたことを物語っていた。
ソファの横にある黒こげのサイドテーブルの上にはこれまた煤けたカップとソーサーが乗っていた。
黒い少女は優雅な手付きでカップとソーサーを持った。まるでアフタヌーンティを楽しんでいるかのように空のカップを唇の前で傾ける。
「またひとりでおままごとをしなければならないわ」
カップをソーサーに戻し、黒い少女はぽつりとつぶやいた。
「あの子たちがうらやましいわ。塵に還れたのだから」
黒い少女は、どことなくギクシャクした動きで首を振った。炎をくぐり抜けてから、どうも首の調子が悪い。
「まったく、わたしの《おともだち》も残酷だこと。朽ちて壊れるまで生き人形たちの面倒を見ろだなんて」
だが、黒い少女はそんなことなど気にしていなかった。彼女が気にしていること、それはただ一つだった。
「でもどうしよう。次の生き人形が《星流し》にされて来ても、館がこれじゃあ雰囲気が出ないわ」
そしてふたたび空のカップを優雅に口元に運ぶ。
と、その瞬間、彼女の体の中でなにかがぷっつりと切れた。それは四肢をつなぎ止めていた要の糸だった。
黒い少女の体から手足が抜け落ち、頭がごとりと床に落ちる。人形でなくなったそれは、もはや魂のない残骸に過ぎなかった。
そして館の廃墟には、もう動くものは何一つとしてなかった。
了
あとがき
読んでいただきありがとうございました。
「小説家になろう」に初めて投稿いたしました。
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