2.広間でダンス
白い少女は広間にいた。
ドレスの裾をひいてステップを踏む。ダンスの相手はネズミの玩具だった。もっとも、ネズミはただ彼女の横でくるくる回ることしか出来なかったのだが。
黒い少女は熊のぬいぐるみを抱いて、ソファにだらしなく座っていた。熊の頭に自らの形のよいあごを乗せている。そして白い細い腕でぬいぐるみの布地をなで上げていた。その感触を楽しんでいるようだった。
白い少女は、黒い少女のそんな様子を目の端で捉えていた。見ようによってはひどく扇情的に見える光景だった。
その視線に気づき、黒い少女は声をかけた。
「あなたもまざる?」
「遠慮するわ」
「強情張っちゃって」
黒い少女はつぶやき、そして白い少女に話しかけた。
「それよりも、ねえ、あなた考えてくれた?」
「何を」
白い少女はダンスに気を取られているふりをして素っ気なく応えた。
「わたしの部屋で、一緒の寝台で寝ましょう、てことに」
ステップを踏んでいた足を止める。白い少女は相手に顔を向けた。
「すこし考えさせて」
「この前もそう言ってたじゃない。考える時間は十分にあったんじゃないの?」
「もうすこし……」
「あっそ。まあいいけど。でもそんなに悩むことかしら。こんな広い館で別々の部屋で寝るなんて寂しいじゃない? それに二人といっても、実際にはわたしのクマくんとあなたのネズミちゃんも一緒なのよ」
「……」
「あなたもクマくんのモコモコでフワフワな抱き心地は知っているでしょう? とっても気持ちいいのよ」
「うん……」
「ね。みんなで一緒に寝れば心細いことなんてひとつもないの。燭台にロウソクを灯して寂しさを紛らわせるなんてこともしなくて済むし」
「そう、かも」
「そうよ」
黒い少女は熊を撫でていた手を止め、ソファに座りなおして熱心に説いた。開放された熊のぬいぐるみはそっと立ち上がり、主人の邪魔にならないように椅子の横に退いた。それは忠実なしもべか、それとも訓練された兵士のような動きだった。
「一人で寝るなんてとても寂しいことだわ。わたしたち、せっかくお友達になれたのだから」
「お友達……」
白い少女は小さな白い手をきゅっと握った。
「そう。もちろん、あなたの《おともだち》の代わりにはなれないかもしれない。だけど、今はわたしだってあなたのお友達でしょう」
「そうね。でも」
「でも?」
黒い少女はかすかに頭を傾けた。まっすぐな黒髪がさらりと揺れる。白い少女は言った。
「《おともだち》は特別よ。そうでしょう」
「ええ。そりゃあね」
「《おともだち》は唯一無二の存在だわ。たとえ会えなくたって。どんなに離れていたって」
そう言う白い少女を、黒い少女はじっと見つめていた。そして、
「ねえ、でもあなた、自分がどうしてそう思うのか分かって言っているの?」
「なんのこと」
「だから、自分がどうして《おともだち》との絆を大切に思うのか、てことよ」
「それは、そんなこと当たり前だし」
「どうして当たり前と思うのかしらね」
そう問われて白い少女は沈黙した。黒い少女は続けて質問した。
「それならあなた、あなたの《おともだち》の名前を言える? どこに住み、どんな子だったのか憶えているの?」
その口調にはかすかな嘲りが含まれていた。
「思い出話はしちゃいけないんでしょう」
目を反らしてかわそうとする。けれど、黒い少女は、
「あらまじめなこと。ルールなんて破るためにあるのよ」
「勝手なことを! ルールを守れってあなたが言ったんじゃない」
「ふふん。禁忌を犯す快楽はあなたも知ってるでしょ。今はそういう時間よ。さあおっしゃい。あなたの《おともだち》の名前を」
「それは、だから」
「憶えていない。そうでしょう」
そう断じる。黒い少女は畳み掛けるように、
「そもそもどうしてあなたがこんなところにいるのか、それも憶えていないんでしょう」
「……」
「勝手なひとね。嫌なことは忘れて、楽しかった思い出だけにすがろうというの」
「違う、わたしはただ」
「違わないわ。あなたがここに来た時、わたしは言ったわよね。嫌な過去のことなんか忘れて、わたしと愉しみましょう、て。過去を逃げ場にしてはいけないって」
「でも、だけど」
「わたしはね、今を大切になさい、て言いたいの。わたしだって、わたしの《おともだち》と別れるのは辛かったわ。けど、時は流れる。けっして留まったりはしないの。それは分かるでしょう」
「……うん」
黒い少女は、白い少女の心中を推し量るように一時沈黙した。そして、
「まだ納得していないわね。なら教えてあげる。過去になんか意味がないことを」
そして、どこか嗜虐的な口調で続けた。
「あなた、自分の名前を覚えているの」
その一言は白い少女を鋭く突き刺した。
「わたし、わたしの名前は……」
思い出せない。それに気づき、白い少女は絶句した。
「もうひとつ。あなたはどうしてここにいるの」
「どうして、て。それは」
「どうしてあなたが《星流し》にされたか、てことよ」
「《星流し》……」
「そうよ。いいわ、思い出させてあげる。ここがどこなのかを」
そう言うなり、黒い少女は広間の天井を指差した。
「ごらんなさい」
白い少女はその言葉に従って顔を上に向ける。
吹き抜けの広間の天井はガラス張りになっていた。そこから見えるのは……
赤く燃える巨大な恒星。
それが薄もやにけぶる闇の中に浮かんでいた。
「太陽?」
「太陽ではないわ。あれはフォマルハウトよ」
「フォマルハウト……」
「そうよ。そしてここは地球から二十五光年離れた、フォマルハウト恒星系のまだ名も無い小さな遊星の上。いつ主星であるフォマルハウトに呑みこまれてもおかしくない、不安定な軌道を巡る滅びの星」
「でも、どうしてわたしは……わたしたちはこんなところに。いったいいつから」
「だから《星流し》されたんだって。それにいつから、なんて問うのは無意味ね。時はただ流れるだけ。一週間も、一ヶ月も、一年も百年も同じ。そもそもこの星の自転と公転の周期は地球のそれとは異なるのだし」
「そんな、そんなことって」
絶句する白い少女。
「もうひとつ思い出させてあげましょうか。《星流し》にされるには相応の理由があるということ。じぶんに罪がないなんて思ったら大きな間違いよ」
「罪……」
「そうよ。私たちは咎人なの。この《フォマルハウトの館》に《星流し》の刑に処された」
黒い少女はいつの間にかソファを立ち、白い少女の前に立っていた。
「ね、だからわたしたち仲良くしましょうよ。地球に残してきた《おともだち》のことなんか忘れて。だって」
顔を近づけ、白い少女の耳元で囁く。
「あなたを《星流し》にしたのは、あなたの《おともだち》なんですもの」
3.館を後に に続く