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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

空白を埋めるのは、闇

作者: ミソラ

 華やかなロココ文化が熟成しきった頃、その国で革命は起こった。


 身分制度や苦しい生活に不満を爆発させた市民の中に指導者が現れ、貴族の中にも市民に迎合する者が現れ、あっという間に立場は逆転した。

 革命を成功させた者たちは王侯貴族を次々とギロチンに送り込んだ。


 イリスも例外ではなかった。


 イリスはなんの変哲もない侯爵家の娘だったが、母親が文芸サロンを開催しており彼女も社交界に出てからはそのサロンに主催者側として顔を出していた。

 それが問題だったらしい。

 形ばかりの裁判で『貴族文化を讃え平民を蔑ろにする思想を増長した』と断罪された。


 それはそうかもしれない。貴族の令嬢というものは屋敷と宮廷に閉じ込められ、その世界以外のことは知らないのだから自分の住む世界を讃えるのは当たり前だ。

 革命が成功している今は市民を讃える本が流行しているという。ばかばかしいことだとイリスは思う。


 そして今、イリスはギロチン台に立っている。質素な麻の服に身を包み、両手は後ろで縛られている。

 目の前には妙な興奮で我を忘れているように叫んでいる大勢の市民たち。


 なるほど、皆が貴族の令嬢たちに見せなかったわけだ。……だって美しくない。

 二か月の間、監獄に収監されていたイリスも負けず劣らず薄汚れていたが、姿勢をまっすぐにして惚れ惚れとするような美しい立ち姿をしている。

 

「死」はもう目の前。

(ならばせめて堂々としていましょう。恥ずかしいことをしてきたわけではないのだから)


 その時、イリスはある視線に気づいた。お芝居の舞台のように高い場所にある処刑台からほど近い所に立っている男の視線。周囲の市民たちより頭一つ抜けた長身。ただ一人静かに佇み、深くかぶったマントのフードの奥からイリスを凝視する二つの青い瞳。


 イリスはその男に向かって微笑んだ。


 それが市民たちの怒りを買ったらしい。「殺せ」「殺せ」と怒声が上がる。


 死刑執行人がイリスの髪の毛を乱暴に掴み、首の生え際あたりでじゃきじゃきと音を立てて鋏を入れる。

 皆から美しいと褒められていた金色の長い髪の毛が風に乗ってぱらぱらと落ちていく。

 

 ギロチンの方へ引っ張られていく時、もう一度男に視線を送った。

 彼の顔は歪み、けれどイリスから目を逸らさなかった。


 頭を押されて木の枠で首を挟まれる。このギロチンは、父と母と兄、そして多くの貴族の血を吸った。そして今、音を立てて大きな刃が落ちる。


 あなたは生きて幸せになってね。


 では、さようなら……。


 ***


 ルシアンは子爵家の三男として生まれた。十才の頃、二人の兄が無事に成長したと判断され『スペアのスペア』は不要となった。養子に出されるか聖職に就くかの選択となり、その聡明さを気に入った大司教が引き取ると申し出た。

 

 実家の子爵家も、長男と次男になにかあれば還俗させればよいかと思い、教会に託すこととした。


 ルシアンに思い残すことがあるとすれば、主家筋の侯爵家の令嬢イリスのこと。

 八才の頃、新年の挨拶のため父に連れられ侯爵家を訪れた時に初めて彼女と会った。二つ年下の彼女は『虹の女神(イリス)』という名の通り、煌めく金色の髪の毛にエメラルドのような瞳を持った可愛らしい少女だった。

 ルシアンは幼いながらも恋に堕ちたと自覚した。


 その二年後、聖職者となることになり、イリスのことは諦めざるをえなかった。


 侍祭から始まり助祭、司祭となりイリスの屋敷がある教区に属した。

 なにか行事や祭事がある時に再び顔を合わせるようになった。イリスが自分のことを覚えていて話しかけてくれることが嬉しくて、自分は彼女の幸せを祈るために生まれてきたのだと思った。

 イリスの婚約者が決まったと聞いた時も、イリスのために祈りを捧げた。

 

 清廉で美しく、品もよいルシアンは高位の聖職者に可愛がられた。嫌なこともあったがイリスのために耐え、若くして司教までのぼりつめた。


 それなのに……。


 ルシアンは神を恨むようになった。イリスの幸せのためならば聖職者として全霊をかけるつもりであったものを。

 汚らしい人間どもがギロチン台のイリスに向かって浴びせていた怒声もルシアンを苦しめた。胸の中を憎悪と憤怒がどす黒く渦巻く。


 ルシアンは貴族の出でありながら聖職者であるため粛清の対象にはならなかった。

 その手を血でまみれさせた革命指導者や貴族の処刑を見せ物と勘違いしている市民たちもルシアンに(こうべ)を垂れる。

 下げられたその首にギロチンの刃を当てたい衝動を抑えつけ、司教の権限でイリスの遺体と髪の毛を手に入れた。


 ルシアンはイリスの頭を抱きしめる。


 目を閉じると思い出すのはイリスの最期。

 彼女は美しかった。ルシアンに向かって微笑んでくれた。イリスはルシアンの光だった。

 

 それだけで地獄に堕ちる意味もあるというもの。


 ***


 眩しい光がそそいでいる。薄く目を開けると青い空に白くて薄い布がひらひらと風に舞っているのが見える。


「天国……?」


 いや、どこかの屋敷っぽい。内装は豪華だが、がらんとしていて調度品はベッドのみ。ただ、いたるところに大きな花瓶が置かれ、白と黄色の花弁を持ったダッチアイリスの花が飾られている。

 その花言葉は『私はあなたに全てを賭ける』。

 

 ぼんやりと部屋の中を見渡していたイリスは、はっとして首を触ってみる。

「繋がっている……」

 金色の髪の毛もさらさらと腕にかかっている。


(どういうこと? ギロチンで首を切られたのは夢だった……とか?)


 しかし監獄の中での冷たい石の床や意味のない裁判、そして市民たちの怒声と耳の横で髪の毛を切られた不快な音は耳に残っている。


「イリス!」


 開いたドアの向こうに長身の男が立っている。黒い髪に青い瞳。今にも泣きそうにイリスを凝視する瞳。


 あの瞳は……。


「……ルシアン?」

「ああっ、イリス! イリスだよね!? 本当にイリスだよね!? そうだよ、僕だよ。覚えていたんだね!」

 ルシアンはイリスのそばに駆け寄り、跪き、泣きそうな笑顔でイリスを見上げた。

 

「ルシアン、どういうことなの? これは……」

「三年かかったんだよ。教会の祓魔師(エクソシスト)を買収して魂を新しい器に入れて……」

「え?」


 ルシアンはイリスの戸惑いも気にせず話し続けた。


 ルシアンが言うには、教会に属している祓魔師に金を積んで死んだ魂を復活させるように脅した。

 祓魔師は人の中に入った悪魔を追い払う役目を負っている。最初は拒否をした祓魔師だったが、闇の分野に長けた分、好奇心を抑えられず研究に研究を重ね禁じられた技を見つけた。


 その間にイリスの体は朽ち果てていき、首も離れていたためにイリス本人の肉体は諦めて新しい器を用意した。


「でもほら、イリスそのままだろう?」

 手渡された鏡に映るのは確かにイリスの顔だ。


「最初は別人だったんだけどね、だんだんとイリスになっていったんだ。嬉しかったなあ。イリスの魂が帰ってきたと実感したよ」


 ルシアンが邪気のない明るい笑顔を見せる。


 イリスは慄いたが、同時に哀れみを覚えた。ルシアンがしたことは正しいことではない。

(私がこの敬虔で美しい男を闇に堕としてしまったのかしら……)


 イリスは知っている。

 死んだ後に天国も地獄もないことを。司教であったルシアンは地獄に堕ちる覚悟でイリスを甦らせたのだろうが、彼にとってはこの三年がまさに地獄だったのだろう。

 イリスには空白となる三年間、ルシアンはどのような時間を過ごしてきたのだろうか。それは生来の美しさを残しつつも青白くやつれた顔が物語っている。


 イリスは手を伸ばしルシアンのこけた頬を撫でた。


「ありがとう、ルシアン。私を復活させてくれて」


(あなたがしたことは正しくはない。けれど……)


 ルシアンはそっと目を閉じた。その頬に水晶の粒のような涙がこぼれる。

 イリスは女神のような笑みを浮かべた。

 

(仕方ないわね。ともに闇に堕ちてあげる)

イリスはルシアンに対して特別な感情は持っていません。ただ、ずっとそばにいようと思っています。

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