衆議院議員選挙、やらかしちゃったね(立憲民主党)2→→→mugi_LEO、お前もだ!
ちょっとさぼっておりました。前回のエッセイでは冷静さを欠いていますね。済みません。
さて、もう少し言いたいことを加筆いたしました。誤解が少しでも緩くなることを願います。
裏金に関しては誤解を招く記述が多々あったと自ら反省しておりますので、もう少しお話をさせていただきたいと思います。(前回は「だ・である調」でしたが、今回は「です・ます調」です。)
先ず、裏金問題は政治家の選挙にかかるインチキの問題だと言いましたが、掘り下げればそんな単純な問題ではありません。
野党はどんな意味で「裏金」という表現をしているのでしょうか。政治活動に使われるお金を政治資金と言いますが、これには税金から援助されるものや寄付などがあります。しかし、寄付などは一部の者に自分だけに便宜を図ってもらうためになされる場合も考えられます。これは「賄賂」と言われるものでしょう。(※自分たちの大勢〔例えば民主主義か社会主義か〕に力を入れて欲しいという意図まで含まれるかはどうか分かりませんが)そこで政治資金規制法という法律で細かく規定され、制限されているのですが、このような正式な方法でなく、裏でやり取りされるのが「裏金」です。「お前も悪よの~」のあれです。実は政治資金規正法はザル法であり、いくらでも抜け道があると言われています。その一つが政治資金パーティーを開き、チケットを売って資金を集めるものです。これにもルールがあるのはご存じですよね。野党の一部も開催していました。自民党は集めたお金の内、ノルマ以上の分を返したらしいのですが、本来報告書に記録を残すルールがそれらについては行われなかったし、公式に何に使われたかが不透明となりました。これに野党が突っ込みを入れたのですが、今のところ正式な解明はまだです。一部の「裏金議員」はニュースなどで、私服を肥やすのには使っていないとか、選挙事務所の備品を購入したとか、明細はちゃんと公表出来るというようなことを言っています。全部の議員ではないので、ここは何に使ったか、課税の問題もあるのできちんと公表されるべきだと思います。
本来、選挙で勝とうと思えばいろいろなルールがあるものの、選挙カーで街宣したり、ポスターを貼ったり、手紙を配ったり、SNSに挙げる印象的な動画を作成したり、(要は自分を知ってもらうために)人手や手間をたくさんかけた方か当然有利なので、それにかかるお金もたくさんあった方が良いわけだと思われます。企業もその業界の振興や政治姿勢が自分の分野にとって有利だったりして欲しいと考え、(中には自分の企業を優先して欲しい考える企業も当然あるでしょう)その党や議員を応援するのでしょう。これを駄目ととらえるか、本来の行動ととらえるかの線引きは難しいのではないでしょうか。全ての人に満遍なくというは理想であり、現実にはほぼ無理です。ですからどんな人にどんな焦点を当てていくかというのは大事な政治判断だと思います。それらに対する運動を全て禁止するのはどうなのでしょう。
一番の問題はお金を持っている大企業が資金をより多く提供し、その党や議員の考えが政策を決めるため、必然的に優遇を受けるので不公平ではないかということだと思います。(現状は大企業が優先されているという批判。ただ、自分たちの考え方に近い人を選ぶというのは民主主義政治としておかしいことではないと思いますが。ただし不正な方法ではなくて。)
「裏金」と呼ばれるからには「賄賂性」が必要な気がします。キャッシュバックの賄賂性はどうなのでしょうか。
次に 石破さんも玉木さんも頑張れと言いましたが、善悪二元論ではなく、政策論議として落としどころを決めるという本来の政治行動だと考えたからです。
石破さんは人質(総理大臣の指名)をとられ、交渉の舞台に引っ張り出された形ではありますが、これこそが政治なのでしょう。
玉木さんの国民民主党が103万円の壁としている所得税課税のラインについては、個人的には玉木さんの言い分に?というところもあります。玉木さんの主張は税をとられないことにより、手取り収入が増え、所得を増やすという論です。(他にも理由を述べていますが)これって日本国憲法第30条「国民は法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」の趣旨に鑑みてどうでしょう。もちろん、障害などで仕事にも就けず税を納めることが出来ない方もいるはずです。その人たちは勿論、納税の義務が免除されなければなりません。その義務の免除が認められるラインが103万円に合わなくなってきたというのなら分かります。しかし、最低賃金が上がったからそれに合わせてというのはちょっとおかしい気がしてなりません。石破さんたち自民党はそれにより大幅な税収減があると見込んでいます。税金により、国や地方公共団体の様々なサービスが成り立っているのに単に所得を増やすためにそれらのサービスが低下するというのを国民は受け入れるのでしょうか。単に目先のお金が増えればそれでよしとし、後々の全体を考慮しないのというのは目先の人気取りの政策と変わらない、悲しい政策のような気がします。でも現実的にはこの103万円の壁は昔から見直されていないので、ここで見直すのは良い機会だとは思います。玉木さんも178万円まで挙げるのは絶対ではないと言っていますから、どこに落としどころ見つけるか、興味深いです。
あや?ちょっと油断している間にアメリカ大統領選挙も終わって(?)しまいました。私の予想に反してトランプ氏の大勝利になりました。アメリカ国民はそちらを選んだのですね。「アメリカの退廃」という言葉を前回使いましたが、正義よりも金なんですね。確かに正義では食べ物は買えないですから。第2次世界大戦前夜、ドイツ国民がヒットラーを選んでしまったようにアメリカ国民も同じ過ちを犯していないことを祈るばかりです。
ちなみにこの「小説家になろう!」で、子どもたちに考える機会を与えたくて童話を書きました。「由美子の読書感動文~悪魔に魂を売った人々編~」です。民主主義や政治、教育などについて登場人物を通していろいろ語られています。もし、よければそちらにも目を通していただければ幸いです。童話と言いながら内容的に子どもたちにはかなり難しくなってしまったかもしれません。(長編です。興味のある章だけ読まれてもよいかもしれません)例えば、ここには松下幸之助さんがPHP誌に投稿した「国民が政治を嘲笑しているあいだは嘲笑い値する政治しか行なわれない」とか「民主主義国家においては、国民はその程度に応じた政府しかもちえない」とかの言葉も引用させていただき、物語を展開しています。
本文最後にもある通り、民主主義や政治、戦争などについて一緒に考えていただけるようもう一本の作品をご紹介いたします。本来、童話として投稿し、子供たちの教科書的なもの(考えるきっかけ)として書いてきた物です。続編も執筆中です。自由とか愛とかも自分なりに立ち位置を決めるために・・・。