シーン38 染矢の覚醒
病室前の廊下に。
パイプ椅子を置いて。
足を組んだ染矢は。
バトルシップグレーの三揃いスーツに。
ビートル色のネクタイを合わせ。
仄暗い虚無感のような。
鏡の上の曇りのような影を。
その身に落としていた。
そばに立つ青木が。
「内藤さんです」
と囁く。
染矢が。
長い廊下の先に目を向けてみれば。
内藤は。
骨組みの大きな。
肉付きの薄い体も。
スーツも。
ヨレヨレだった。
疲れ切った放浪びとの足取りで。
近づいてくる。
見上げれば。
ドス黒い肌色。
苦り切った表情。
口は。
への字に曲がっている。
寝不足の。
赤い目だけが。
異様を放っていた。
収拾に追われていることが。
うかがえた。
*
かん子に放たれた。
三発の銃弾は。
偶然にも。
帯でその力を削がれ。
貫通しなかった。
だが。
弾は体内で暴れ。
いくつかの内臓を。
傷つけた。
七時間にも及ぶ手術が行われたのは。
三日前。
未だ。
かん子は。
意識を取り戻してはいない。
幾つものチューブに繋がれた容体は。
いつ急変しても。
おかしくない状態だった。
*
椅子から。
立ち上がる。
目眩を感じた。
額に触れれば。
死人のように。
冷え切っていた。
それもそのはずだと。
染矢は思う。
警察署内での。
四代目狙撃を。
ラスト一周を告げる鐘のように。
お祭り騒ぎしたのは。
TVのワイドショーだった。
その一部始終を。
何故か撮影していた高橋は。
その不可思議さに目をつぶり。
視聴率に目を向けた制作陣に。
重宝がられ。
連日のTV出演を。
果たしていた。
だが。
土砂降りの雨のごとく。
降り注ぐ。
報道という名の戯言は。
世間に。
任侠界には。
ことさらに。
不協和音の漣を。
煽り立てて。
広がっていた。
その邪な。
縞模様の渦巻きに。
警察の安全神話は。
グルグル。
巻きにされているのだから。
内藤の憔悴は。
当たり前のことだった。
誰もが。
思考停止へと追いやられ。
みぞおちに。
小太刀の先を当てられているかのように。
身構えている。
とらえどころの無い。
悪質な静けさだけが。
日ごと。
密度を増していた。
*
染矢のそばに立った内藤が。
青木と刀根見の。
左手に巻かれた包帯へ。
目をやった。
「お前ら、揃いも揃って指詰めたのか」
鈍重な声だった。
瞬足で。
目に角を立て。
内藤を射抜いた青木と刀根見は。
うなずきもせず。
何も言おうとはしない。
「お前ら、飯でも食ってこいよ」
染矢が言う。
青木が。
首を振った。
「染さんの警備をさせてください」
そのさまに。
内藤が苦笑する。
「四代目じゃなくて、染矢か。まっ、そうなるわなー」
意味深な目で。
青木と刀根見の顔を。
交互に見る。
青木は。
鋼鉄のような。
張った目つきで。
内藤を見返した。
「あんたに言われたくない」
どこから。
出したのか。
音量は無くとも。
覇気爆ぜる。
気迫があった。
「仮にも現役の今をときめく警部補殿が、話題のこの場所にお一人で来るはずがない」
染矢が。
言った。
「監視が何人ついてきてるか、お前ら高みの見物をしてこいよ。ついでになんか腹に入れてこい」
一拍。
「俺の使い物になりたけりゃ、腹を満たしてくるんだ」
「そうだ」
内藤が。
呑気な調子で。
合いの手を入れた。
「玄関前で機動隊と睨みあってるあいつらも連れてけ。そしたら報道陣の皆さんも一息つけるからさ」
染矢は。
上着の内ポケットから。
マネークリップを取り出し。
そのまま。
青木に押しつけた。
*
そして。
刀根見へ。
視線を移す。
「刀根見、下の奴らに飯を食わせたら帰らせろ」
一拍。
「“もういい、ありがとう”と伝えてくれ。二度は言わんぞ。連れて帰れ」
そして。
「いつまでも病院の門前にヤクザが溜まってたら、カタギの方々にご迷惑だ。それに俺らの評判を落とすだけだとわからせろ」
「それでも――」
すかさず。
刀根見が。
口を挟む。
染矢は。
青い微笑の影を。
その瞳に落とした。
内藤の顔を。
チラリと見る。
「警察の皆さまも、もう今度はしくじれないだろう」
薄笑いを。
浮かべる。
「何かあったら、第八機動隊の精鋭さま方が身を粉にして阻止してくださる」
染矢の言葉に。
蹴をされ。
二人は。
頭を下げる。
きびすを返して。
歩き出した。
*
二人の背中を見ながら。
染矢は。
スマホを手に取った。
ワンコールで。
椎田が出る。
「青木と刀根見が降りてゆく。飯食った後、誰かをつけて治療に行かせろ。皆を帰らせたら、お前と西岡は上がってきてくれるか」
『西岡に任せて、俺は今すぐ上がります』
「いや」
染矢が。
言った。
「一時間ほど内藤さんと話がしたい。一人にしてくれるか」
またも。
そばで聞いていた内藤が。
ニャリと。
笑う。
狐が笑ったら。
こんな感じだろうなぁ。
静寂の中。
椎田の言い分を聞きながら。
染矢は。
細めた目で。
内藤を眺めていた。
「そうだな。あいつらはそう言うだろうが、落として包帯を巻いただけだ」
内藤が。
笑っている。
「熱に浮かれて、いざという時に判断が鈍ったら厄介だ。お前が引きずってでも、友永先生の病院に連れて行け」
『俺が! ですか!』
椎田が。
がなり立てる。
「嫌なら、いうことをきかせろ」
突き放した。
忍耐力が。
尽きかけていた。
誰が聞いても。
そうわかる声だった。
十分ほどの仮眠を。
数回。
それだけで迎えた。
三日目の昼間だった。
*
電話を切った染矢は。
廊下の壁に。
背中を預けた。
「それで、四代目を弾いたヤツは、どこの誰だかわかったのか?」
同じく。
壁に背を預け。
腕組みをした内藤が。
「赤松との手打ちで、絶縁状が回った野中の若頭補佐だった河北を覚えているか?」
「ああ」
染矢が。
うなずく。
「その河北の舎弟だった篠田という男だ。性根の座った奴で、一課の取調べに黙秘を続けてるよ」
ボソボソと。
言った。
一息。
「十五で組に入ってから二十歳まで、鳶もやってたんだと。監視カメラには、軽々とフェンスを飛び越える姿が映ってたよ」
そして。
「家庭環境があんなじゃなかったら、オリンピック選手になれてたかもな」
それだけ言って。
内藤は。
黙り込んだ。
何かの底へ。
沈み込むように。
考えている。
染矢が。
聞いた。
「署長の首が飛ぶのか?」
やがて。
じわりと。
底意地の悪い笑みを。
口元に浮かべた内藤が。
「お前らヤクザに、署長の首が飛ぶような真っ当な人権なんてないんだよ」
と。
口にした。
「今回は東京高検検事長を唆し、合同捜査を唱えた本部長・梅沢の首が飛ぶ」
「なに笑ってんだ?」
と。
染矢が聞けば。
壁に当てた右肩を軸に。
ゴロリと。
その身を。
左へ反転させた内藤が。
染矢の顔を。
正面から。
ガン見する。
「赤松はどこまで計算してたんだ?」
一拍。
「四代目の狙撃も、奴のシナリオか?」
「なんの話だ?」
「今井の弁護士、生田からうちが手に入れた書類は」
内藤の目が。
染矢へ。
張りつく。
「あれは、どっからのもんだ?」
*
染矢は。
答えない。
沈黙だけが。
深くなる。
「手ぶらで帰らせんなよ」
内藤が。
口にした。
染矢は。
ふと。
病室の扉を。
見遣った。
「銃には前がある」
内藤を見る。
「九月に時効になった、あれだ」
内藤が。
目を見張った。
「生田に書類を渡したのは、お前か!」
一歩。
染矢へ。
身を寄せる。
「お前……四代目を裏切った理由はなんだ? 恩人だろうが」
内藤の目が。
揺らいでいた。
染矢は。
その目を。
見据える。
「刑事みたいな顔つきだな」
一拍。
「お前はもう、とっくにこっち側の人間だろう。なにを今更ぶれている」
染矢は。
内藤の顔から。
目を離さない。
「銃の出所を糸口に調べてみろよ」
一つ。
「お前の昇進に繋げろ」
そして。
「今回の責任を全て、本部長の梅沢とやらに押しつけろ」
二つ。
「大河原が他の刑事から恨みを買わぬよう、確実に辞職させろ。刑事なんてクビになったら、タダの人でしかない」
内藤は。
黙っている。
「それから、高橋を篠田の共犯容疑に仕立てて逮捕しろ」
三つ。
「あいつが今、マスコミで垂れ流してる動画で立証できるはずだ」
一拍。
「無理なら、社会的な信用を無くすだけでいい」
染矢の声は。
低い。
「ムショの三食昼寝付きなんて、あいつには甘すぎる」
そして。
「社会的信用をなくして、俺たちとの蜜月を、返す返すも惜しいと思わせろ」
一拍。
「あの頃はよかったとな」
内藤の。
目の色が。
変わっていた。
「今、俺が言った三つの要求がお前の手に余るようだったら」
一拍。
「二課の服部を引き込め」
染矢が。
言う。
「その材料になる、四代目との密会写真が俺らの手元にはある」
*
内藤の顔に。
浮かんだものは。
嫌悪だった。
それが。
ゆっくりと。
軽蔑へ。
値を上げてゆく。
最高値まで。
引き上がったところで。
内藤が。
呟いた。
「お前、変わったな」




