シーン19 紫煙
かん子の。
五代目襲名式が。
執り行われていた。
大広間の。
中央。
かん子は。
新調した。
純白の着物を。
纏っている。
帯締めも。
帯揚げも。
すべて。
純白。
半襟だけが。
青葉香る。
萌葱色だった。
凛々しい。
白磁色の。
礼装用袋帯には。
白絹糸で。
弾丸の絵柄が。
散りばめられている。
かん子と。
向かい合い。
正座する男たちも。
皆。
着物姿だった。
紋付きの羽織。
仙台平の袴。
それらも。
同じく。
純白。
一人。
また。
一人。
かん子と。
親子盃を。
交わしてゆく。
*
そして。
物珍しいのは。
荘厳な。
誓盃儀礼の場に。
これまで。
決して。
立ち会いを許されなかった。
女たちの姿が。
あることだった。
女たちも。
総じて。
白い着物を。
纏っている。
目を伏せる者は。
一人もいない。
顔を上げ。
儀式を。
見守っていた。
いわゆる。
――姐。
そう。
呼ばれる。
女たちだった。
かん子の。
五代目襲名式。
その後見に立ったのは。
四代目と。
五分の兄弟盃を。
交わしていた。
岡田組総裁だった。
誰もが。
一目置く。
伝説の。
渡世人。
岡田本人が。
後見を。
買って出た。
そして。
その岡田が。
女たちの列席を。
許した。
ならば。
誰にも。
異を唱えられるはずがなかった。
*
締めの口上が。
終わる。
かん子は。
豹の目で。
ゆるりと。
男たちを。
見回した。
「女も。この稼業のしきたりを。身体に刻む機会を。作ってやりたかったんや」
誰も。
口を挟まない。
「男には。わからん苦労を。あんさんらは嫁に強いてる」
男たちの。
後方。
白い着物の女たちが。
かん子を見る。
「今更やけど」
一拍。
「それでも。あんた達を支えとる姐達は。己の男を本まもんにするために」
豹の目が。
細くなる。
「毒をも煽る気概で。日々を生きとる」
「……」
「わてが改めて。謝恩会でもすればええ話や」
かん子は。
後方へ。
視線を。
運んだ。
「せやけど。この子達にも」
一人。
また。
一人。
目を合わせてゆく。
「ケジメを。作ってやりたかったんや」
そして。
「我がまま言うて。申し訳なかった」
最後の一人まで。
見終える。
かん子は。
頭を下げた。
「これからも。苦労をかける」
一拍。
「宜しく頼む」
「ありがとうございます。五代目」
声を上げたのは。
十和子だった。
「何があろうと。お守りします」
執行部最古参。
筆頭若頭。
佐藤俊朗。
その。
後妻だった。
*
佐藤は。
苦労して。
今の地位を。
得た。
それを。
支えてきたのは。
十和子の商才だ。
誰もが。
知っている。
もちろん。
佐藤自身の努力と。
組への忠誠が。
あってこそだが。
それでも。
佐藤は。
誰はばかることなく。
「今あるのは。十和子のお陰だ」
機会を得れば。
そう。
公言している。
十和子を。
宝のように。
扱っている。
誉れとし。
慈しんでもいる。
愛人を囲うことが。
甲斐性と。
謳われる世界で。
佐藤に。
愛人はいない。
外に子もいない。
十和子との間にも。
子がない。
だが。
二人は。
養子縁組した。
男の子を三人。
女の子を二人。
育てている。
*
隣の。
大座敷へ。
場を移した。
食事会。
紺の着流し。
紅色の腰紐を。
襷掛けにした。
男衆が。
介添している。
その中。
赤松が。
立ち上がった。
目を伏せ。
かん子の前で。
正座した。
場が。
静まり返る。
皆の目が。
二人へ。
集まる。
赤松は。
折り目正しく。
深々と。
頭を下げた。
「五代目。ご襲名。おめでとうございます」
一拍。
「今後とも。よろしくお願い致します」
静かな。
低音。
いつもの。
関西弁ではない。
完璧な。
標準語の。
イントネーションだった。
一瞬。
かん子の顔が。
強張った。
しかし。
すぐに。
鷹揚に。
「ありがとう」
と。
受け止めた。
「執行部の再編成について。意見を聞かせてほしい」
「……」
「染矢から。連絡させる」
赤松は。
伏したまま。
「かしこまりました」
と。
答えた。
顔を上げる。
手のひらを。
拳に変え。
今度は。
かん子の右隣。
岡田の前へ。
移った。
再び。
頭を下げる。
「叔父貴」
一拍。
「五代目の後見。ありがとうございます」
顔を。
上げた。
岡田が。
赤松を見る。
「やんちゃ小僧も。男を磨いたと見える」
目を。
細めた。
「懐かしいな。赤松よ」
「……」
「お前を。うちで預かったんは」
一拍。
「確か。十七歳の夏やったな」
「はい」
赤松は。
無表情だった。
「その節は。お世話をおかけしました」
徳利を。
手に取る。
「近いうちに。北陸へ伺います」
赤松が。
岡田へ。
酌をする。
*
――十七歳の。
――夏。
かん子の。
後ろ。
スーツ姿で。
控えていた。
染矢の。
こめかみが。
ズキリ。
痛んだ。
視界が。
揺れる。
染矢には。
十七歳の夏の。
記憶が。
なかった。
キャンプ先の。
川で。
溺れた。
病室で。
目を覚ました時。
記憶を。
失っていた。
何が。
起きた。
思い出そうとすれば。
激しい頭痛に。
苛まれた。
熱を出した。
何度も。
何度も。
繰り返した。
遠い。
夏。
――赤松は。
――北陸にいた。
染矢の背中を。
冷たいものが。
這い上がって来る。
拳を。
握り締めた。
身震いを。
押し殺す。
だが。
額には。
冷たい汗が。
浮いた。
――来るな。
染矢は。
小さく。
頭を。
左右へ振った。
片頭痛の。
気配を。
追い払う。
*
その気配に。
かん子が。
気づいた。
振り返る。
染矢の。
顔色を見た。
近頃は。
鳴りを潜めていた。
染矢の。
変調。
「外の風に。あたってき」
小声で。
言った。
「申し訳ありません」
染矢が。
頭を下げる。
「すぐに。戻ります」
立ち上がった。
瞬間。
眩暈が。
襲った。
身体だけが。
下へ。
落ちてゆくような。
浮遊感。
それを。
なんとか。
断ち切って。
廊下へ。
出た。
戸の近くにいた。
椎田へ。
「少し外す」
「はい」
「五代目の側についていてくれ」
椎田が。
染矢の顔色を。
見る。
「これを」
内ポケットから。
錠剤を。
取り出した。
「持っていてくれたか」
染矢が。
受け取る。
「ありがとう」
「……」
「頼んだぞ」
歩き出す。
パッケージから。
錠剤を。
押し出した。
口へ。
放り込む。
ガリ。
噛み砕いた。
「クソ」
疼き始めた。
頭へ。
悪態を。
吐いた。
★
今日。
襲名式が。
執り行われている。
夏月。
大河原組三代目。
大河原朱鷺が。
神楽坂で。
芸妓をしていた女へ。
買い与えた。
料亭だった。
八十平米ほどの。
中庭。
その周囲を。
純和風の。
二階建て家屋が。
ぐるりと。
囲んでいる。
庭の中央には。
八の字を描く。
池。
紅色の。
太鼓橋。
橋のたもとには。
季節外れの。
菖蒲が。
咲いていた。
染矢は。
橋の中央に。
立っていた。
欄干へ。
両手をつき。
泳ぐ。
錦鯉を。
眺めていた。
新緑の風の。
おかげか。
頭痛薬の。
おかげか。
鼓動しかけていた。
片頭痛は。
発芽することなく。
去った。
――よかった。
こんな日に。
あの痛みに。
襲われるなど。
ごめんだ。
――この。
――大馬鹿者め。
自分を。
咎めてはみる。
しかし。
相変わらず。
自分への。
興味は。
湧かなかった。
実感も。
ない。
あのまま。
倒れたとしても。
そうなったら。
そうなったで。
なるように。
なっただろう。
そんな。
乾いた考えが。
他人事のように。
浮かぶだけだった。
*
――十七歳の。
――遠い夏。
精密検査を。
受けた。
だが。
片頭痛の原因は。
見つからなかった。
川で。
溺れ。
生死を。
彷徨ったことによる。
心的外傷。
そう。
診断された。
カウンセリング。
睡眠療法。
そんな事に。
明け暮れた。
――夏。
――一人。
――取り残された夏。
――記憶がない。
――十七歳の夏。
その夏は。
いつもより。
涼しかった。
不安で。
仕方なかった。
理由が。
わからないまま。
なぜか。
不安で。
仕方なかった。
でも。
両親と。
明子の墓参りに。
初めて。
行った夏だった。
「まだ」
声が。
した。
「悩まされていたのか」
誰なのか。
わかった。
それでも。
染矢は。
振り返る。
赤松が。
立っていた。
染矢は。
視線を。
池へ戻す。
「二年ぶりだ」
「……」
「もう。治ったと思ってたんだ」
呟く。
赤松が。
染矢の隣へ。
立つ。
「今日のきっかけ」
懐から。
煙草を。
出した。
「なんやったと思う?」
「緊張したんだと思う」
赤松が。
火を点ける。
「そんなヤワやないやろ」
紫煙を。
吐き出した。
染矢は。
それを。
見つめる。
「一本」
「ん?」
「もらえるか」
赤松が。
煙草ケースを。
染矢へ。
差し出す。
染矢は。
一本。
咥えた。
赤松が。
自分の口端にある。
煙草を。
染矢の煙草へ。
近づける。
赤い。
火種が。
移る。
「ジッポは?」
「オイル切れ」
紫煙が。
二人の間で。
ゆるりと。
混じった。
*
「お前んとこの若竹」
赤松が。
何でもないように。
言った。
「沖縄の金城んとこに。修行に行かせた」
染矢は。
鼻で。
笑った。
「嘘つけ」
「ほんまや」
「使えない奴は」
染矢が。
煙を。
吐く。
「何を。どうしてやっても。変われない」
「……」
「あいつは。恵まれすぎてたんだ」
赤松が。
染矢の横顔を。
ちらりと。
見た。
「いい迷惑やったろ」
「何が」
「五代目に。押し付けられて」
「……」
「うちで引き取る言うたんやけどな」
妙に。
歯切れが。
悪かった。
「お前に預けたら」
染矢は。
笑う。
「こうなるって。わかってたんだよ。代行は」
一拍。
「あっ。五代目もだな」
煙を。
吐いた。
「結果は。同じだったが」
赤松が。
薄く。
笑った。
染矢も。
笑みを。
深めた。
*
「代行やろうが。五代目やろうが。どっちでもええ」
赤松が。
言った。
「俺の前では。気にすんな」
「……」
「そうや」
一拍。
「お前。高橋やるつもりやろ」
染矢が。
ゆっくりと。
赤松を見る。
「まだ。使い道あるんやから。早まるなよ」
「……」
「それに」
赤松は。
煙を。
吐いた。
「お前が。手ぇ汚す必要はない」
染矢は。
ゆっくりと。
身体を。
反転させた。
欄干へ。
腰を預ける。
苦笑が。
漏れた。
染矢は。
しばらく。
赤松を。
見ていた。
「お前。俺の事情に」
一拍。
「詳しいな」
「……」
「本家の誰から。情報抜いてるんだ?」
赤松が。
破壊的な。
そして。
魅惑的な。
笑みを。
浮かべる。
染矢の視線を。
するりと。
受け流した。
「お前も。万智子に報告させとるやろ」
「……」
「お互い様や」
「実子のお前の動向は。本家に関わるんだよ」
染矢の声が。
低くなる。
「五代目付きの俺が。知らないわけにはいかないだろうが」
「そうか」
赤松が。
染矢を見る。
「そんだけか」
染矢は。
目を。
細めた。
「不機嫌な言い方すんな」
赤松は。
無機質に。
染矢を。
見ていた。
「本家の事情を。知っとくんも」
一拍。
「実子の仕事なんやで」
ふと。
視線を。
池へ。
向ける。
「おあいこや」
呟いた。
「少しは。自重しろ」
染矢が。
噛み付く。
「そやな」
赤松は。
微笑んだ。
だが。
すでに。
上の空だった。
懐から。
スマホを。
取り出す。
左の親指で。
操作しながら。
「なぁ」
「何だ」
「このあいだ。話したことやけど」
赤松が。
染矢を見る。
「今はまだ。心にしまっとけよ」
「……何が言いたい」
「お前は。今まで通り」
一拍。
「五代目の面倒を。見てろや」
「……」
「俺の代わりにな」
電話は。
一コールで。
繋がった。
「いぬるぞ」
それだけだった。
――水沢か。
染矢は。
思った。
赤松が。
ちらりと。
染矢の顔を見る。
「じゃなぁ」
歩き出した。
数歩。
行って。
振り返る。
「それから。染」
「何だ」
「薬は。水で飲むもんや」
そう言って。
また。
歩き出す。
「亮治」
染矢が。
その背へ。
声を。
投げる。
赤松の足が。
僅かに。
緩む。
「いちいちとは。言わない」
「……」
「何かする時は」
一拍。
「事を起こすなら。連絡をくれ」
赤松は。
振り返らなかった。
ただ。
後ろ手に。
手を振った。
*
――また。
――置いてきぼりかよ。
染矢から。
ため息が。
漏れる。
お前が。
本家を出なければ。
赤松組を。
作らなければ。
俺が。
お前の補佐を。
していたはずだ。
澄んだ空気。
明るい未来。
希望にあふれる。
明日。
そんなものを。
待ちきれずに。
二人で。
語り合っていた。
あの頃のように。
*
染矢の。
携帯が。
鳴った。
椎田だった。
「今から戻る」
『岡田総裁が。赤松さんとお帰りになります』
「……チッ」
『水沢から。銀座に出ると聞きました』
襲名の日に。
後見人を。
連れ出す。
――実子だから。
――許される。
――実子だから。
――嫉妬される。
火の粉を。
自分から。
浴びるようなこと。
しやがって。
――クソ。
口から。
出かけた。
飲み込む。
「わかった」
一拍。
「玄関前で。合流する」
赤松には。
ボディガードが。
ついている。
だが。
岡田総裁が。
連れて来た側近は。
一人だけ。
こちらへ。
身を。
任せている。
そう思えば。
粋なことだった。
だが。
何かあれば。
責任は。
五代目へ。
飛んで来る。
染矢は。
また。
余計な。
気苦労を。
背負った。
「俺も。一緒に出る」
『はい』
「総裁の警備につく。車を頼む」
『承知しました』
「目立たない所に。待機させといてくれ」
一拍。
「西村と内田を連れてゆく」
『はい』
「お前は残って。五代目を頼む」
『え!』
「お前だから頼める」
即座に。
返ってきた。
『嫌です! 西村を残して。俺が行きます』
「お前は。腕が立つ」
一拍。
「だから。お前に任せたい」
『……』
「今井本部長。是枝組長の件も。まだ収まりきれてない」
『……』
「ここで。五代目に何かあれば」
染矢の。
声が。
低くなる。
「大河原の面目は。丸潰れだ」
一拍。
「だから。お前に任せたい」
僅かな。
間。
『承知しました』
椎田の。
声は。
硬い。
『お任せください』
姿など。
見えない。
それでも。
姿勢を。
正した。
椎田の姿が。
見えるかのようだった。
染矢は。
紫煙の残り香を。
吐き出すように。
静かに。
息を吐いた。




