シーン17 女みたいに綺麗だね
シーン17 女みたいに綺麗だね
翌日の午前10時すぎ、フリーライターの高橋が原稿を持って来た。染矢が気づいた時にはどうゆう訳だか高橋は屋内に上がり込んでいて、執務室のドアをノックもせずに開けて室内を覗き込んでいた。高橋に言いくるめられた部屋住みは“なぜ一報入れなかった“と指導役からの躾という名の鉄拳が降り注ぐだろう。
しかしながらとっくにいつもの時間は過ぎているのに、かん子は執務室にはおらず、私室から出た気配もない。ゴタゴタ続きのこの頃を思えば、それも致し方ないと察していた染矢は高橋に対する舌打ちを堪え「代行にお渡ししときます。のちほどこちらからお電話致しますので、今日のところはお引き取りください」と言って高橋を追い払おうとしたが、意に介さない高橋はソファに腰掛けながら「時間なら気にしなくていいよ。おっと〜ぉ、勘違いするなよ、私は暇じゃないからね。直に渡して確認したいこともあるし。コーヒーもらえないかな、お茶じゃなく」と言って足を組んだ。染矢はこの男に長居して欲しくはなかった。組内がゴタついていないか、かん子の様子はどうなのか、ネタになる事は起きていないか、高みの見物気分で原稿を渡すついでに探りに来たと、その顔にありありと書いてあったからだ。
部屋住みにコーヒー1つと内線を入れ、高橋の向かいにある一人掛けソファに腰を下ろした染矢が「代行がお読みになる前に確認させてもらえますか」と言うと、「どうしょうかな」ともったいぶった口ぶりの高橋はソファに置いたA4封筒をポンポンと左手で叩く。染矢は「そう、いじめないでくださいよ」と言いながらその独特たる稼業の眼差しを高橋の目に捻じ込んだ。「あんた、物腰はおっとりとしてしなやかだが、やっぱりな。クワバラ、クワバラ」と唱えた高橋は、左手でテーブルの上に置き直したA4封筒を染矢の前に滑らせる。そして「その遺言はなかったとする第二波と、野中組から仕掛けて来たとする原稿、私が書かせてもらったよ。記者に渡す手筈は整えてある。そのまま改稿なしで“アダム“に載るよ。そこでなんだが、私に原稿料を払ってもらえないかな」と悪びれる事なく口にした。
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染矢が原稿に目を通している間にコーヒーが届き、「ブルー・マウンテンか」と満足げに呟いた高橋はゆっくりと味わい始め「混じりけなしの本場ジャマイカ産は久しぶりだ」と一人ごちる。
大河原の金の力か、組への畏怖か、認めたくはなかったがこの男の文章力か、、記事は同情さえ呼ぶ内容で実によく出来ていた。性根さえ腐らせていなければ、この男は一流になれていただろうに……。染矢はスーツの内ポケットからマネークリップ式の財布を取り出し、目見当で30万ほど掴み取って差し出した。「あれ、私費なの⁈いいのかな、貰っちゃって」と言った高橋に、「この件に関してお渡しした中に経費も含まれていたんですが、足りなければ今度キャバクラにご招待した時に、でどうですか?」と微笑んだ染矢の手から、金を受け取りつつの高橋が「そうだね、そうしょう。小柄で出るとこ出た女の子がいいなぁ、トウが立ったご婦人じゃなくてさ。金はもう50万ぐらいでどうかな?」と言う。
「承知しました」と笑う染矢を見た高橋が、「君は、ほんと女みたいに綺麗だね」と言った。
カチャリと音を立ててドアが開き、大島紬にしては艶やかな色合いの着物を纏ったかん子が入って来た。「お待たせしてしもて」と言ったその顔色は青く、いつもよりも艶やかに引いた紅が、逆に血の気のない肌を強調していた。そんなかん子が「ええ香りや」と呟く。ソファから立ち上がった染矢が「召し上がりますか?」と聞くと、「ああ、もらおか」と応えたかん子は染矢が手にする原稿に視線を落とすや「どおやった?」と尋ねる。その目に引かれるように視線を落としていた染矢は「いい内容です。心配ないかと思いますが、一読してください」と手渡しながらかん子の顔に視線を向けた。豹の目にいつもの冴は無く、瞳には疲れが滲んでいた。
二人を眺めていた高橋が「そうしてると、まるで本当の親子のようですね。赤松さんはお元気ですか?」と水をさす。
高橋に微笑みを向け「元気にしとります。野中とのいざこざもこの記事が出れば、赤松には非がないと世間様にわかってもらえます。ありがとうございました」とかん子が言うと、高橋はかん子を真っ直ぐな目で見上げ「それでなんですけどね。是枝さんの死に方が僕の琴線に触れてしまって、ちょっと調べてみたんですけど、染さんとこの運転手、確か名前は若竹くんだったかな。その子が居たらしいんですよ、同時刻に是枝さんが水死した埠頭に。若竹くんに合わせてもらえませんか?代行からも一言もらいたいんですよね、下っ端とはいえ執行部の人間が不審死した現場に身内が居たという目撃証言について、どう思われますか?」と言った。
そういえば今日は若竹の顔を見せていないと思いながらの染矢は「若竹が、それは何かの間違いではないでしょうか」と口を挟んだ。一昨日赤松を追わせたと椎田から聞いてはいたが、あっ、昨日も顔を見ていない・・・・染矢の背中に、、、冷たいモノが走る。赤松…が……殺ったか。染矢はなんの根拠もなくそう悟る。間違いないと染矢の感も念を押す。
かん子は「ふふふ」と声にして微笑し「わてが組に引き入れた甥っ子ですせ。そりゃゆう事きかん時期もおましたが、その話どっから出た話ですか?あの子にも組内の者への手出しは禁忌と教えてあります」と言い、そんなかん子に苦笑を返しつつ「いやいや、情報源を明かさないのがジャーナリストのルールなのはご存知でしょう。証言があるんですよ、確かな筋の」とイケシャシャと言ってのけた高橋に、かん子は「あんさんに、わてらのルールを一から教えてもいいんでっせい。選ぶのは」と言ったきり黙り込み、染矢と高橋の視線を集める中「あんた、あぶく銭食い過ぎたな」とこぼし、机の引き出しから掴み取った封筒三つをポーンと高橋に投げ、部屋から出て行った。
絨毯から拾い上げた封筒の中身を覗き込みながら「いやぁー、まいったな。女の人って無意味に機嫌が悪い日があるから困りますよね」と言った高橋に、染矢は「“アダム“の発売日はいつになりますか?」と聞く。慣れた手付きで上着の内ポケットと外ポケットに、鷲掴みした封筒を入れながら「来週の木曜日」と答えた高橋のそれは命の期限でもあった。さて、どうしてやろうかと考えれば染矢の凶暴も久しぶりに笑っていた。こんな気分はいつ以来だろう。ワザワザ手を汚す必要もないがたまにはいいだろう、息抜きにも血にも飢えている。染矢が目に笑みを讃え「その日、夕方から空けといてください。なんか美味いモンでも食べに行って遊びませんか?」と誘うと、染矢の笑みを好色と踏み違えた高橋は「もちろんだよ、3Pとかどう?」と言った。
仏壇の前に正座したかん子に染矢からのメッセージが着信する。“ほとぼりが冷めるまで、若竹には身をかわすよう指示いたしました。充分な身支度をさせて送り出します。ご安心ください“と。かん子は静かに息を吐き、ロウソクに火を灯して白檀の線香を右手に取った。