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骨の髄まで  作者: 國生さゆり
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シーン12 ペラリと認める


  シーン12 ペラリと認める



 正面玄関前で停止した車から一人降り立ち、言いけた通りに走り出した車を見送った染矢は、紫土しど色のビルを見上げた。ここに来たのは初めてだった。テキ屋系の組の部屋住みとなり、思えば着実に力をつけてのし上がっていた。ヌクヌクとしていたわけじゃないが、後ろ盾があった自分とは違い過ぎる。己を信じ、羽ばたき、思うがままに生きている男の城。



 玄関モニターから「いつまでそうしてるつもりなんや、上がってこいや。5階におる」と赤松の声がする。その口調は柔らかく、どこかあどけなさが残っていて、遠き日々を染矢に思い出させた。鋼鉄のドアから解除音が響く。



 出入り口以外は仄暗い鏡張りで、内装はマットブラック一辺倒のエレベーターに乗って5階を押す。ふと、気になり、操作パネルの監視カメラに視線を向ける。赤松が見ていると何故かわかった。息苦しさを感じて、気づけばつやのあるアルミニウムグレイ色のネクタイの結び目を、左手の親指と中指でれていた。どこで会ってもガン無視体制でせっしてくるくせに、こうやって昔をなつかしめやがる、自己中野郎。



 部屋のドアは大きく開けはなたれていた。「おう、来たか」と染矢を迎え入れた赤松はお茶を入れていた。染矢はいかにも高級品というたたずまいのアルストロメリア色の3人掛けソファの中央に腰掛ける。目に付く全てから赤松が香る調度品。昔から趣味の良い男であった。



 そんな男の所作しょさをチラリと盗み見て思い出だす。幼き頃、共に茶道と剣道の手習いに通っていたと。すぐに茶道の師・南雲のお気入りとなって、あとがせたいと言わしめる素養そようを持っていたと。無論、剣道もしかり。



 それなのに中学2年になると両方の稽古をスパリとやめ、昼でもなく夜はもちろんの事、大河原が縄張りとする街へり出すようになった、今、赤松組を支えている幹部達を喧嘩でしたがえ、周囲からは畏敬の念を抱かれつつ、iron binding(鉄の結束)通称“ib“と呼ばれた集団を16歳で作り上げた。だからと言って赤松は馬鹿ではなく、高校教師から国立大法学部への進学をすすめられるほどの頭脳を持ってもいた。進学しない理由を聞いた時、「俺にはこれ以上、必要ない」と言ったのを覚えている。そもそもこれ以上の“以上“とは…、何だったのだろう。




 “今更いまさら…“とまたも考えていた。今日は過ぎ去った過去ばかりが頭に浮かぶ。ゲンナリとした染矢は視点を変えた。人の気配けはいがしないと気づいて「みな出払っているのか?こんな時制にお前を一人にするなんて、連中は何を考えている」と口にする。赤松はその端正な顔立ちの口元に魅力的な笑みを浮かべ「お前が一緒なんやから、なんの問題もないやろう。それにここは、最新のパニックルーム並みのセキュリティをかしてるしな。核が落ちても3年は籠城ろうじょうできる資材もそろえてる」と言った。「そうは言っても、水沢くらいはそばに置いとけよ」と言った染矢に、振り返った赤松は人をヒヤリとさせる視線で染矢を見つめ「水沢はお前が嫌いなんや。俺とお前が会話してるのを見た後、あいつがどんだけ不機嫌になりよるか、お前は知らんやろ。お前と合わせるやなんて、俺としては迷惑千万でしかない」と言った。面白がっているのが見え見えの甘く、んだ声だった。



 椿、水仙すいせん、桜、牡丹、菊、蘭の花の丸紋がバランス良くはいされた有田焼の白磁はくじを、遺恨いこんを残すような何かを水沢にしただろうかと視線を落として考えている染矢の前に置き、視線を上げた染矢に赤松は「余計なこと考えんな、茶でも飲め」と言った。



 茶器を手元に引きせて口にする。新緑のえぐみが丸みのある甘い味わいとなり、雨と森林の香りが鼻腔びくうから抜けてゆく。染矢の好きな風味だった。赤松がれるお茶は昔と変わっていなかった。茶葉の量、湯の温度、何をどんなに真似てみても、誰にもこんなお茶は淹れられないだろう。香味こうみがまたも染矢に過去を思い出させる。



 なぜ、亮治あかまつは、あの日から俺に何も言わなくなったのだろう。遊びに行く手軽さで姿を消した亮治あかまつはあの時、何を考えていたのだろう。今なら聞き出せるかもしれないと顔を上げた染矢に、赤松は「今は何も聞くな」と言った。ムッとした染矢が「俺が何を言うか、お前にわかるはずがない」と言うと、笑う赤松が「そう、冷たいこと言うなや。俺にはわかるんや」と言い、染矢はそう口にした赤松の顔つきが気に入らず「カッコつけやがって」と吐き捨てた。



 しみじみと笑みを深め「ところで、至急ってなんや?」と言ってお茶を飲んだ赤松が「自分で言うのもなんやけど、なんでこうも、俺の淹れるお茶は美味うまいんやろな」と口にする。染矢は「小さい頃からお前は何をやっても上手かったよ。華があるというか、人を魅了する才がお前にはある」とにせず、げんふるわすような細い声で言っていた。何年ぶりかの赤松との会話に心に悲しみと喜びがり落ちてくる。確かにガキの頃から亮治あかまつうらやましかったし、亮治のようになりたかった。兄と決めてしたい、追いかけ、そばを離れなかった。だが、今は違う。なのに…亮治あかまつを前にすると気持ちが勝手に動き出す。考えをそのまま口に出してしまう。無知な人間になった気がする。言葉を発して身をさいなむにいたってしまう。



 「お前にそう思われていたとは光栄や。話の腰を折ってしもたな。それで?」と赤松があらためて聞いたが、染矢は赤松の顔を眺めたまま何も言わない。なおの赤松に「なんや?俺の顔になんかついてるか?」と言われ、内心でハッとした染矢は集中を途切とぎらせたと自己嫌悪をかかえ、自分を蹴り飛ばしてやりたくも律した口調で話し出す。「このごろのゴタつきにくわえて、是枝がプールしていた13億がどこかへ消えた。今調べているが、多分姐の時子が隠してる。今井本部長が裏帳簿の件を歌いそうだと内藤から電話があった。代行は今井を引退させると言っている。それから…これが一番大きいが、この事を相談したくて来た。是枝をやったのはおそらく…、身内だ」若干緩ゆるやかな口調で話すと、醜悪しゅうあくが笑ったらこんな感じなんだろうと思わせる表情で話を聞いていた赤松が「で?」と言った。



 「で?」、、この論法に日頃から聞き覚えがありぎる染矢は反射神経で理解し「お前、知ってたな!」と声を跳ね上げた。すぐさま「だったら」と普通に返してきた赤松に、染矢は“もしや“と行きつき、否定してくれと願いつつ「全てを…仕組んだのは…お前なのか?」と聞く。白けた目つきで「代行が引退しやすくしたまでの事や。何が問題や?」さむざむ々しく言った赤松の胸ぐらを、染矢は左手でつかんでいた。いつ立ち上がって、どう掴んだのか覚えていなかった。赤松の奈落の底のような、深閑しんかんの目つきに染矢は凍る。こんなにも簡単に認めやがったこいつの心は、もう俺にはわからない。サシで会ったりするんじゃなかった。



 染矢の左手の薬指だけを右手で掴んだ赤松が「手離せ。じゃなきゃ折る」と抑揚なく言う。染矢はそんな赤松が憎たらしくも不快でしかなく“やるならやれ“と目で語り、手を離さずにいると赤松は簡単に折った。ポキッと骨が鳴るのと同時に染矢の「っ」と押しつぶれた声がれる。それでも笑っている赤松を染矢は赤く染まった視界でめ付け「是枝を殺したのはなぜだ⁉️身内をやるなんて!どうかしてる!!」と声を荒げ、スッーと目を細めた赤松は「あいつが隠していたのは24億やし、俺んとこの藤堂と夏目の居所を野中に売ったのが奴だったからや。どうして是枝が、あの能無しが、24億もの金を稼げたと思う?今井の叔父貴が裏で糸ひいとったからや」真摯しんしんと、聞きわけのない子をさとすかのような静かな口調だった。されど染矢は「そんな話!鵜呑うのみにできるか!だとしても、なんで!」と吐き出し、「事を始める前に俺に一言いってくれなかったんだ。他にやりようがあったはずだ」と続けてはみたが、やるせなさに戦意をがれてソファに崩れ落ちた。



 身内をまとにしたとバレれば、聞こえを重んずる組内にたれるんだそ。俺が何の為に代行の側にとどまっていると思っている。染矢の心に木枯らしが吹く。冷蔵庫から保冷剤パックを取り出して染矢に投げた赤松が「お前は何も知らんと貫け、動くなや」と言った。赤松を見上げ「亮治、何を考えているんだ?組を割るつもりなのか?お前、5代目に…なるんだろう?どうして…」と言った染矢は泣いていた。



 テーブルしに身を乗り出した赤松が、テーブルの上に置いてあったキーを染矢の前に押し出し「アーク信用金庫、駅前支店の貸金庫の鍵や。全ての証拠書類が入ってる。染、まだ動くなよ。お前には残念やろうが、支店長の日高に俺が連絡するまで開けるなと言うてある。今井の件は読み通りや、代行は所詮しょせん女や。うみを出しきらず、安定の取りまとめを選択した。成り行きを思慮深く読めん。読めたとしても見ぬフリをする女や。経緯けいいを知ったからにはお前はもうこっちがわの人間や、今まで通り、俺のことはシカトしとれ。2度とここにはくるな、連絡は俺から入れる」と言い刺した赤松のスマホがきを聞いていたようにり出し、氷点下の目で冷たく染矢を見つめたまま電話に出た赤松は「ああ、終わった。そうか、下に降りる」と血のかよわぬ声でげて、ヒラリと身をひるがえして部屋から出ていった。



 折られた薬指がれたようにうずきだす。「クソったれ」と呟く。俺がいつお前をシカトした。シカトしてるのはいつも……、お前だろうが。



 れた白磁とぜたお茶が、テーブルからこぼれ落ちていた。





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