シーン10 所業
11話が先に上がっています。申し訳ありません。入れ替え方がわからなくて、、、文章が飛んでしまうのでは無いかと、操作するのも怖いです。お手数をおかけします。
シーン10 所業
水死した是枝夏生の妻時子が、かん子に泣きついている。
「姐さん…。是枝が逝ってしまったんです、あの人が…、、あの人が死んでしまった…、なんで!何でですか!何で私がこんな思いを…しなくちゃ、いけないの…」と泣き散らし、抱きとめているかん子の胸を掻きむしる。かん子はされるままに時子を受け止め、その豹の目に灼熱を宿らせていた。烈火の紅ではなく、業火の果ての漆黒が焼けている。
「姐さん、あの人が自宅にプールしていたお金が…8億が……、無くなってたんです」と時子が懸命に嘆く。「なんやて、ホンマか、今井の件を聞いて、どっかに移動させたんと違うんか」とかん子が聞き正す。「あの人は私には不誠実だったけど、お金の管理は…私に任せてくれていました。無いんです。どこにも無いんです……、姐さん。私はこれからどうしたらいいんですか?あれこれと組を維持するのに月に650万は出ていくんですよ…、続けてゆくの…無理…」時子がすがる瞳でかん子を見上げた。時子の乱れ髪を直してやりながらのかん子が「わてがなんとかする。任しとき。今は是枝の葬式の事だけ考えとったらええ」となだめ、そのやり取りを見ていた染矢に、異様に殺気だった視線をジロリと向けたかん子は「時子はんが休める部屋を準備して、友永先生に往診にきてもらい」と聞き慣れない声で言った。染矢の背中がゾクリと泡立つ。「承知しました」と染矢は直角に頭を下げて退室した。
ドアに背を向けて立っていた椎田が、廊下に出てきた染矢のあとを追う。
染矢は歩きつつ椎田の耳元に顔を寄せ「是枝さんの本宅に行って、床にキャスターの傷跡がないか確認してきてくれないか、あったら出を辿って来てくれ」と抑えた声で言う。チラリと染矢の目を見た椎田はその意味を理解して頷き「青木に一本、染めさんから連絡入れておいて頂けますか?」と同じく抑えた声で囁く。「そうだな、入れておく。表立って探すんじゃねえぞ」と染矢が釘を刺すと、椎田は「わかってます。組内の様子も嗅いできます」と黒曜石を凝結したような目で口するや、会釈するように頭を下げ「お先に」と素早く立ち去った。
染矢はバレヌブルー色のスリーピースの内ポケットから、スマホを取り出しつつ考える。1億だと渋谷が1万枚、縦32センチ、横38センチ、高さ10センチ、重さ10キロ。8億なら高さ80センチ、重さは80キロ。そう簡単に運び出せはしない。1人では無理だ。移動させたのは是枝か、それとも奪われたか・・・、前者ならば何の問題もない。後者ならばまたも組のメンツに関わる事態となる。また1つ・・・厄介事が舞い込んだ。部屋住みに客間の準備と友永への電話を指示したあと、染矢は目白にメールを打つ。すぐに返信がきて“是枝の愛人、須賀今日子(スガ? キョウコ)に会って話を聞け。それから8億じゃない、13億だ。時子はわざと8億と口にしたんだ。5億くすねてる気でいる”と。
是枝の葬式が済んだ後、時子を詰めようと染矢は無関心にそう思う。どこまでもヤクザを知らない女に、ヤクザがどういう生き物かわからせる必要がある。染矢は馴染みの探偵事務所に電話をかけ「身辺調査を頼みたい。対象は是枝時子。ああ、そうだ、是枝組の姐だ。ここ半年、いや、8ヶ月前からにしてくれ。報告は俺だけに」と言って切る。プロとの話は簡潔で好ましい。無駄な会話をする必要も無ければ、余計な事を聞いて来る事もない。さて、代行は是枝組をどうするつもりなのだろう・・若頭の青木に任せるのか、本家に吸収するか、是枝はパフォーマンスを重視するペースセッター型の組長だった。ゆえに是枝組には癖の強い組員が多い。青木は秩序型だから是枝との相性は良かったが、青木にあの組員たちが抑えられるだろうか・・・。
スルリとスマートな足取りで足早に近づいてきた若頭補佐の橋本が、染矢に自分のスマホを差し出しながら「4課の内藤さんからです」と言った。「なんで、お前に掛けてきた?」と染矢が聞くと、「話し中だったからと言っていました」と言いながら染矢に身を近づけた橋本が、染矢の目を伺うように覗き込む。受け取った染矢はスマホを右耳に持っていきながら、日に一度は橋本に対して思う“距離感がおかしい奴だ“を内心で呟きつつ、口では「もしもし」と言った。「忙しいそうだな、染矢。それはそうか連日だもんな。単刀直入に聞くが、是枝はなんで1人で行動したんだ?誰に会いに行った?」不機嫌さを隠さず聞く内藤に、染矢は「どうした?何かあったのか?」と平凡に聞き返す。まずは内藤が待つ情報を引き出す為にわざとしらばっくれる。そんな染矢が癇に障った内藤は声を荒げて「お前!わざと質問で返したな!大河原組の動向確認は俺の専売特許なんだよ!小細工しやがって!なんならお前を引っ張ってもいいんだぞ、染矢!是枝の件、なんか聞かせろ」と言った。内藤の掠れ気味のトーンに徹夜明けかと思いながらの染矢は「行き先は誰も知らなかった。俺たちも誰と会ってたんだと言ってる段階だ」と告げる。
「チッ」と舌打ちした内藤は「手打ちしたとはいえ、赤松組の件が収まったわけじゃない事は誰だってわかってるはずだ。そんな最中!1人で!深夜に!若頭が出張るか⁈しかも場所は埠頭だ!夜釣りってタイプじゃないだろうが是枝は!お前は身内の誰がやったと思ってるんだ?」と言葉を粒立てつつ、ズバリと指摘してやる。
染矢は唇を噛んだ。態度はクソだが賢明な頭脳を持ってやがる。だから、小遣いを渡して飼っている。だが、、頭が回り過ぎるのも厄介なもんだと考えていると、「おい、聞いてんのか⁈」と内藤は苛立ちをみせ、ほくそ笑んだ染矢は「わからないんだ、本当に」と語気を尖らせてやる。その声に耳立てていた橋本が目を見開いた。染矢は橋本の目を見入り“付いてくるな”と毒蛇のような殺気を放つ。
その間も喋り続けていた内藤が「そんなことで代行の懐刀が務まるのか、是枝を誰がやったか突き止めたら真っ先に!俺に連絡しろ!内々で収めようとは思うなよ。警視庁経済班、検察、公安、1課に4課の監視下に置かれたクソ面倒くせー大河原は、今や全方位で注目の的だ。それから優しい俺様が教えてやる。今井が歌いそうだ。歳だな、ありゃ」と言った内藤に、染矢は押し殺した声で「本当か」と静かに聞く。
内藤は感情を表に出すのを何よりも嫌う男、染矢へ一矢報いてやったと笑みを深め「いい酒を他人の金で飲み過ぎたんだよ、身の危険と金の心配がなくなれば、クソして飯だけが楽しみの犬に成り下がる。4代目が甘やかしすぎたんだ。今井は安穏に牙を抜かれたのさ」と睡眠不足に過重労働の鬱憤ばらしで言ってくる。即座に「言い過ぎだ」そう返したものの、染矢は心うちで若い頃の貫禄が体重に変わった今井を、器量を酒に削がれた今井の姿を、無念に思い浮かべていた。
そんな染矢の歯痒さを敏感に嗅ぎ取った内藤は「どこの業界も同じなんだよ、染矢。金で腐らない奴はいるが、権力と地位と名誉は人を甘露煮にする」と辛辣な口調で言った。確かにそうだと思いつつも染矢は口を開かなかった。親しくしていても所詮は警察、国家権力に守られている人間だ。その気になればいつでも俺らを引っ張れる。そう思えば内藤との人間関係は白けるものでしかない。内藤は内藤でヤクザに愚痴かよと己を笑っていた。「話し過ぎだな、俺も甘くなった」内藤は無言を通せる染矢の若さが妬ましく、一方的に電話を終わらせた。
一人立ち竦んでいる橋本にスマホを投げ返した染矢は「内藤と連むのはいいが、気をつけろ。鼻は効くし、頭の回転も早い。鼻薬の金がいるなら俺に言え、回してやる。それから赤松にアポを取ってくれるか。至急の用件だと言ってくれ」と頼んで踵を返し、かん子の部屋へと向かいながら青木に電話を掛け始めた。




