あたしと同じ人
ハルに引きずられるようにして、撮影所に向かう途中。
ケータイの無愛想なバイブ音があたしに着信を知らせた。
薄手のコートに入っていたケータイを取り出して相手を確認する。
あたしは登録されていない番号からだったら出ないことにしているのだ。
だって、めんどくさいからね。
―――あ…なぎちゃんからだ。
ケータイの液晶に映し出されていたのは『なぎちゃん』という文字と電話番号。
まるで女の子のような名前だけど、なぎちゃんはあたしより7つも年上の立派な男の人。
ちなみに本名は三船渚と言って、あたしの母親の妹の息子―――つまりは従兄にあたるお人なのです。
「もしもし?」
『冬美!?』
出た瞬間耳に響いたのは、物凄く勢いのついた乱暴な声。
いつもは低くて穏やかな声しか出さないなぎちゃんがこんな声を出すときはよっぽどのこと―――緊急事態である時だけ。
だから今も何か大変なことが起きているのだろう。
ケータイ越しから張りつめた雰囲気が伝わってくる。
「緊急事態?」
実のところ、今現在なぎちゃんを襲っている緊急事態が何かは簡単に想像がつくんだけど、とりあえずそう聞いてみる。
たぶん…―――いや、100%の確率でなぎちゃんが緊急事態に陥っている原因は、あたしの手を引いて意気揚々と歩いている奴なんだろうけど。
『春斗、お前のところに行ってないか!?』
―――やっぱりね…。
「うん、来てるよ。今一緒にいる」
『本当かっ!?』
なぎちゃんが大きな溜息を漏らす。
安堵とも呆れともとれるような盛大な溜息。
その溜息でケータイ越しから伝わってきていた張りつめた雰囲気が消えた。
『春斗のヤツ、また仕事放り出してんだよ』
「うん、本人から聞いた。だから今、一緒に撮影所に戻ってるところ」
『そっか…。あとどれくらいで着きそう?』
「うーん…ハルが一方的にあたしのこと引っ張って行ってるから撮影所の場所あたし知らないんだよね。だからどれくらいで着くのかはっきりとは分からないけど…けっこう歩いたからもうすぐ着くんじゃないかな?」
『ふーん…。じゃあ俺、撮影所の前に出て待ってるから』
「わかった」
『…冬美も毎回毎回、春斗に振り回されて大変だな』
「なぎちゃんもね…」
なぎちゃんは大学卒業後、小さな芸能プロダクション「TWINKLE」に就職した。
2年前急にモデルになると言い出したハルは、なぎちゃんを頼って「TWINKLE」からモデル界に彗星のごとくデビューし、あっという間に売れっ子となった。
そんなハルのマネジャーをしているのがなぎちゃんだったりする。
ちなみに、ハルの活躍により「TWINKLE」は今や大手芸能プロダクションへと急成長した。
それ故、社長を含めた「TWINKLE」の人間は皆ハルにすこぶる甘い。
ハルが仕事を途中で放り出すなんて我儘なことをしても、今まで解雇されることもなく許されてきたのはそのためだったりする。
「今の電話、なぎ兄から?」
「うん」
「今回、なぎ兄の見張りが厳しくてさー。抜け出してくんの大変だったんだよね」
「…」
ハルは人見知りというか何というか、自分が「身内」と認めた人間以外にはかなり冷たい態度をとって心を開かないところがある。
その代わり認めた人間にはとことん素を見せて甘えるという、何とも厄介なタイプだったりする。
幼馴染であるあたしをはじめ、ハルが「身内」と認めている人間はけっこう少ない。
幼いころからあたしとハルの面倒をよく見てくれていた、いわばお兄ちゃん的存在のなぎちゃんは、あたし同様、ハルに「身内」と認められた数少ない人間の内の一人として、日々彼の我儘に振り回されているのだ。
「くくっ…なぎ兄また一生懸命俺のこと探してんだろうなー」
「あんたって奴は…」
形の良い唇から零れ落ちる、軽やかな笑い声。
目深に被った帽子の間から微かに除く、無邪気な漆黒の瞳。
―――ああ、なぎちゃん…
自分の我儘で周りを振り回し、その状況を楽しむ悪魔のような男。
それは老若男女誰をも魅了する、絶世の美しさを持ったあたしの幼馴染。
―――コイツ全然反省してないよ…
神様がいるなら聞いてみたい。
何で極度の怠け者であるあたしの幼馴染が、こんなにめんどくさい男なのでしょう?