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花束を燃やせ

作者: 一橋冬

読んでくださりありがとうございます。


待ち合わせ場所に到着すると、彼は既にその場で待っていた。見るからに高級そうな服だが、着られていると感じさせない完璧な着こなしだ。

 それに対して、自分の服は決して上等とは言えない。少し恥ずかしく感じながら声を掛ける。


「お久しぶりです。待ちましたか?」


「いや、先程着いたばかりだ。早速で悪いが、どこか喫茶店にでも行かないか?」


 彼のすぐに本題へ入る癖は変わっておらず、思わず懐かしさを感じる。本題とは即ち、喫茶店で彼の話を聞くことだ。

私は家庭の事情もあり街へ出る機会が少なかったため、その前に街を見て回りたいと思う事が多々あった。しかし、毎回違う喫茶店を相談場所に選ぶ彼のお陰で、街にある喫茶店の場所だけは覚えている。ささやかな自慢だ。

 しかし喫茶店はどれも上級貴族や中級貴族向けばかりだから、この知識が活かされたことはない。悲しい限りである。


「珈琲を2人分頼む」


辺りにあった適当な喫茶店に入り、彼は珈琲を2人分頼んだ。私のような薄給が頼める物が無いことは、店構えから分かっている。

彼と共に喫茶店に入った際ははいつもそうであったと、また懐かしさを感じる。


ほぼ平民の下級貴族である私が上級貴族の彼と居る理由は、話。特に相談や悪口を聞かせるために他ならない。

「相談役」と呼ばれる私達のような存在を持つことは、貴族の中で暗黙の了解として知られている。上級貴族は日々のストレスを発散させ、下級貴族はそれを受ける代わりに金品を受け取る。つまりギブアンドテイクだ。


 私の場合見返りは珈琲だが、学園時代の友人の中には高価な装身具を貰ったと自慢している者もいた。しかしその後、友人は秘密を漏らしたという名目で相談役を解雇されていた。見返りを自慢したことから、秘密も漏らす可能性があると判断されたのだろう。


基本的に、相談をする方もされる方も互いに干渉しないことが多い。だが私と彼は、その大多数に当てはまらない。


 見るからに堅物な彼だが、実は意外と話が面白い。普通は相談役と雑談などしないものだが、彼はよく私と雑談をしたがった。婚約者と話す内容の練習という名目だ。

彼が楽しそうに話す姿を見る人は、なかなかいないだろう。彼は自分で、雑談をする友人はあまりいないと話していた。自分がその中に入ることができ、少し嬉しい。このようなこともあり他とは違う関係だとは思うが、周りから見るとどれも同じなのだろう。


 私たちの座る半個室の座席に、珈琲の香りが淡く漂う。どうやら珈琲を淹れ始めたようだ。

彼も珈琲の香りに気がついたらしく、窓の景色から喫茶店内へ視線を移す。珈琲を飲むのは前回彼の話を聞いて以来だから2、3年は飲めていない。


学園時代を懐かしく思いながら、手元に置かれたメニュー表の頁を捲る。矢張り私には手が出ない額の物ばかりで、金銭感覚が麻痺しそうだ。

きっと妻は、一度も珈琲を飲んだことが無いだろう。いつか一緒に飲みたいものだ。


 私の妻は、同じ下級貴族の感情が豊かな女性だ。学園を卒業してすぐに結婚した。私も妻もまだ20歳を越えない年齢であったが、周りも同じような年齢で結婚していた。

結婚関連の知識が乏しい私は、早いと思ったが周りがそうなら大丈夫だと納得することにした。

実はその「周り」の中には、彼も含まれている。招待されて参加したが大層立派な結婚式で、植物が多く飾られていた。よく考えると、それ以来彼に会うのは今回が初めてだ。


珈琲を飲んで「苦い」と顔を顰める妻の顔を想像し、周りにはわからぬように少し笑みを浮かべる。彼は他人の感情の変化に機敏なため、私を見て怪訝な顔をしていた。


そういえば、彼が感情の変化をすぐに察知するようになったのはいつからだっただろう。




程なくして珈琲が運ばれてきた。猫舌な彼は、カップに手を付けない。私は幾つもの角砂糖を遠慮なくカップへ沈め、甘くなった液体と砂糖の食感を楽しむ。珈琲好きな人間からしたら信じられないだろうが、此処にはいないので問題ない。


珈琲が三分の一ほど減ってから、ソーサーへカップを置く。

彼の顔を見ると、少しの緊張が感じられた。これまでに無い様子から、重大な何かが語られるととって間違いないだろう。


「作り話だと、そう思ってくれて構わない。」


そう前置きして、彼は話し始めた。 


 







最終学年の夏季休暇に入ってすぐのこと。友人からの呼び出しで、彼は驚きの事実を告げられた。薄々勘付いてはいたが、嘘だと思いたかった。



彼は悩んだ。

目の前には幼少期からの友人と2人の少女。


少女達はそれぞれ彼と友人の婚約者である。

髪や目の色こそ違うものの、似通った顔立ちをしている。

優しい光に包まれた庭園での、優雅な茶会。沈鬱な表情で座る4人。果たして和やかな雰囲気になることがなかったということは、想像に難くない。


よくある話だ。

友人が、婚約者がいる身でありながらも他の女性を愛してしまった。それが彼の婚約者である。



「愛している」



その言葉では軽すぎる程に、彼は婚約者の事をを想っていた。

彼の想いを、勿論婚約者も友人も知っていた。

だからこそ禁断とも言える恋に落ち、彼の「想い」がその障害となって2人の恋を加速させた。何とも皮肉な話だ。彼は内心頭を抱えた。


円形の机の上。当初は温かく湯気の立っていた紅茶が、それぞれの前でゆっくりと冷めていく。冷めきった紅茶に庭園の木の葉が浮いたころ、友人が沈黙を破った。


「婚約者を入れ替えてはくれまいか」


彼に向けられたその言葉について、彼は感情を抜きにして考える。この案は、今考えうる中で最も良いものだ。

というのも彼と友人の婚約者は珍しい双子であり、婚約者を挿げ替えるだけでこの問題は解決する。どう考えても、この場において最も穏便で全家門に迷惑のかからない解決方法である。

 但し、暫くの間は社交界の話題となるかもしれない。友人はそれを覚悟しているようで、目には固い決意を秘めている。


最善策は友人の提示した案を受け入れることだ。


そう結論付けた彼は、感情に蓋をして友人の提案を了承した。



事の顛末を両親に説明した彼は、少しばかりの慰めの言葉を受けた。彼の想いを彼以上に知っていたからこそ、半端な慰めができなかったのだ。


普段は豪華な食卓に、彼の好物である素朴な兎のシチューが並んだのは料理長の計らいだ。

寝室に安眠効果のある香が焚かれていたのは、執事による気遣いだ。

しばらくの間彼に送られ続けた励ますような視線は、覚えきれないほどいる使用人達によるものだ。





 存外こちらの方が辛かったかもしれない。彼は苦笑しながらそう語る。

一度彼の家へ訪問したことがあったが、身分の高さからは想像できないほど家族仲が良かった。私の家族もそうであったなら、財税状況は今より幾分かましだっただろう。





それはともかく、後日正式に婚約者の交換が行われた。

特に問題もなく終了し、何事もなかったかのように毎日が続いていく。


彼と彼の新しい婚約者だけが、その毎日についていけずにいた。




彼の婚約者は双子の姉で、貴族らしさと天真爛漫な少女の面を併せ持った稀有な存在だった。花が好きだったため、植物に関連した研究職を目指して勉学に励んでいた。

 その可憐な容姿からは考えつかないほどの情熱を持ち、夢へと突き進む正に光のような少女である。


彼の新しい婚約者は双子の妹で、夢と現実の境界が無い。これは悪い意味ではなく、ただの事実だ。彼女が願えば、夢は現実になる。逆もまた然り。それが故に彼女は悪夢に苦しむ。

 誰にも理解はされないし、できる筈もない。これは彼と彼女の秘密だそうだ。私の知る彼女は落ち着きのある柔和な女性である。




初めこそ悲嘆に暮れていた彼だが、自分ではどうしようもないことは分かっていた。

その為月に数回は新しい婚約者と顔を合わせるようにした。これは勿論屋内でだ。庭園なんて、出られるわけがない。


 その原因となる友人と彼の元婚約者は幸せに暮らしているのだから、自分が何時までも引き摺るわけにはいかない。

そう思った彼は、少しずつ現実を受け入れ始めた。


そうしてて数か月が経つ頃、彼は現実を現実として受け入れるこ成功した。しかし新しい婚約者は、現実を受け入れられずにいた。

 誰よりも優しく寄り添ってくれた友人が傍から居なくなった。その事実に耐えられないようであった。


しばらく寝食を共にしてほしいと頼まれて彼の邸宅に来た婚約者は、生きながらに死んでいるような有様だった。どうやら、顔合わせの時は化粧で顔色を誤魔化していたらしい。彼が知っているより遥かに病んでいる。


婚約者は、1日の半分以上を寝ること、つまりは夢を見ることに費やしていた。

だが何度夢を見ても、彼との幸せな日々だけが見えない。


「見たいものが見えない」


その絶望が婚約者を心身共に追い詰める。

現実を受け入れていた彼は、婚約者の絶望を晴らそうと必死になって行動した。


心を安定させる効果のある薬を料理に混ぜ、一日の大半を彼女と過ごした。



その甲斐あってか、婚約者の1日はは若干不規則ながらも常人と変わらない程度まで改善された。憔悴しきっていた婚約者の顔に、少しずつ生気が戻りはじめた。


ここまで自分を、現実を受け入れる人だ。話してもきっと現実だと受け入れてくれるだろう。


そう感じたという前置きの後に、婚約者は自身の能力について彼に話した。

それは夢を現実に、現実を夢にできることだ。姉にすら信じてもらえなかったが、彼は信じた。一縷の望みに縋りついたのだ。


彼は婚約者に、「友人と婚約者ではなく、彼と彼の元婚約者が幸せになる夢を見ても同等の結果が得られるのではないか」と問うた。その考えに納得した婚約者は、その夢を願い毎夜眠るようになった。

数日後に拍子抜けするほどあっさりとその夢を見た婚約者は、その夢が現実であるように願う。





目が覚めると、彼女の婚約者は友人に戻っていた。

夢は現実となったのだ。


そのことを彼も知っていた。

彼女の力を現実として認識したことで、夢となった現実を覚えたまま現実となった夢を生きられるようになったのだ。





私には、よく意味が分からなかった。だからこそ聞き手に選ばれたのだろう。

彼の言葉が焼き付いたかのように、脳裏から離れない。


「ああ、僕は何も知らない。僕ではなく友人を選んだ婚約者も、僕の想いを知ってなお僕の婚約者を愛した友人も。

だから、知らないものは燃やしてしまおう。」


あの笑顔は、歪なものだった。矛盾を無理矢理無くすための、何処か空虚な笑顔だった。


きっと彼は、少しの躊躇いもなく婚約者からの花束を燃やしたのだろう。彼女が研究し育てた花の花束。それを乾燥させオイルに浸し、長期保存ができるようにしたもの。

それは彼の大切なものであり、花束には彼の想いがオイルより染みていたのだろう。裏切られ狂ってしまう程に。


彼を愛していない婚約者からの花束は、彼の手で焼かれてこの世から消えた。それは、ここから現実が消えた瞬間であった。









僕も彼女も、不幸だった秘密を抱えて幸せに生きていく。

あの茶会での提案より穏便で、迷惑など誰にもかからない。

これが僕の望んだ結末であり、考えうる最も良い問題解決法だ。


そう話していた彼も、今は父親となって立派に爵位を継いでいる。彼の一時的な婚約者も、友人とは良好な関係を築いているようだ。


何が現実か、何が嘘なのか。それが本当に良い解決法だったのか、彼の婚約者と友人は幸せだと言えるのか。

凡人の私には、解らない。


 彼の話は私を懺悔を聞く神父にした。しかし彼は、赦しが与えられることを望まなかった。

そうして彼は、私を矛盾へと落とした。何はともあれ、妙に気の合った私を彼の道の付添人として選んだことは確かだ。


私もそれを嬉しく思う。ただ、妻には少し申し訳ない。

本当のことを話し、彼の狂気に侵食される自分を止めてもらいたい。けれど私にはできない。


真面目だけが取り柄な私に、自分の唯一を壊す勇気は無かった。彼の信頼を裏切ることも、妻に異常だと言われることも。どれも耐えがたいからこそ、逃げた。



私には何もわからない。

ただ、彼の想いに長年浸され続けた花束が燃える様を、見てみたかったとぼんやり思うだけだ。

ダーク系・メリバ系共に初めて書きました。

上手くできているか分かりませんが、楽しんでいただけたなら嬉しいです。


評価(☆)やブクマなどをしていただけると、今後の励みになります。

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