第1話
目覚ましの音が耳が入り、脳が揺らされる。この音は未だに慣れない。
まぁ慣れて寝坊でもすれば、首を切られることになるだろう。目覚ましを止め、体を起こす。
寝間着から着替え、ベッドと小さいクローゼットだけの自室から出た。
使用人の仕事である掃除をするため、掃除用具がある隅っこの部屋へと向かう。自分の部屋がその2個隣なので時間はさほどかからない。人が話しかけたりしなければ。話さなければいいのだ。
「あら?ヒュウガ、偶然ね」
「ロベリアお嬢様、おはようございます」
自分の願いも虚しく、案の定見つかった。なんで朝の4時に起きてんだよ。寝ろよ。
ニヤニヤとしながら話しかけてきたのはロベリア。自分が仕える主人の娘だ。歳は自分より二つ下の11歳。
端正な顔立ちで、ちゃんと手入れされてニキビやシミひとつない肌と美しい紫色の髪からは、光が放たれているようにも思える。
「掃除手伝ってあげようか?」
「いえ、大丈夫です。お嬢様にこのようなことをさせるわけにはいきません」
手伝わせたことが誰かにバレでもすれば、自分の首が文字通り飛ぶからな。許してくれ。
そう断ると彼女の顔が露骨に不機嫌そうになる。好意を無下にされたので当然だろう。
「せっかく手伝うって言ってるのに……。お父様のことなんて気にしなくていいわ。どうせ私なんかに興味ないし」
頬を膨らませ、いじけたように毛先を弄る。彼女は四女なので姉達に比べれば、軽んじられているように感じたのだろう。自分によく絡むのも、おそらくそこから来ている。
だが彼女の美しさは持ち前のルックスだけでなく、主人から買い与えられた服からも成り立っている。
「そんなことはありませんよ。ご主人さまはロベリアお嬢様のことをしっかり気にかけています。この前もお嬢様のことを……」
「もうそのウソは聞き飽きた。せいぜい政略結婚の弾でしょ?」
鋭い。彼女の言う通り、主人は彼女を政略結婚に利用しようとしている。
四女だから嫁ぎ先でどんな目に会おうが傷は浅い。それが主人の考えだ。彼女の美しさを磨いているのも、政略結婚に有利になるからに他ならない。
主人の彼女に対する感情は、一般的な家庭の父が娘に向ける感情とは程遠い、冷酷で非常な貴族の感情だ。
主人が俺の命の恩人じゃなかったら、今頃ぶん殴っていただろう。そうした場合、命はないが。だがそう思ってしまうほどに、あいつには腹が立つ。拳を強く握りしめ、下唇を噛む。
「まぁいいわ。助けて欲しくなったら、声をかけなさい。午前中は書斎にいるから」
「えぇ……まぁ、はい」
自分の怒りを察したのか、話を切り上げてくる。
言い終わると、後ろを振り返りそのまま歩いていった。スレンダーな体が、窓から入ってきた太陽光に照らされる。
その時に腰まで伸ばした髪が風で揺れ、太陽光を美しく反射する。その光景の眩しさに少し身じろいだ。
少しの動作であそこまで美しいとは。圧倒され、しばらくの間動けなくなる。
あの美貌とあの性格なら普通の家庭だったら、ちゃんと大切にされたはずなのだが。貴族の家にさえ生まれなければ、もっといい暮らしも出来ただろうに。なんならもう少し早く生まれさえすれば。
使用人の自分ではどうしようもないのに、無駄にいろんな考えが湧いてくる。
まぁ、使用人に同情されるのも迷惑でしかないだろうな。心の中で苦笑する。
掃除、早くしないと。
部屋に飛び込んで掃除用具を取り出し、その勢いのまま飛び出した。箒で廊下の隅から隅まで掃く。
自分の担当してる範囲は4m×50mなので足が疲れるが、これでも年齢を考慮して狭くしてもらったほうだ。
手汗で掴んでいるところが下にズレてきたので、箒を持ち直した。
掃き掃除も終わったので、雑巾がけだ。これが一番辛い。全力でしても時間がかかるし、体への負担が大きい。単調な作業なので、飽きも来やすい。
最悪だ。よくこんなのを毎日続けられるな、俺。
文句を言ってても終わらないので、仕方なく取り掛かる。毎日のことなのに、いつもこんなことを思っている。深くため息をつき、雑巾がけの姿勢になった。
腰が痛え。声に出したいのを我慢しながら雑巾がけをした。