第13話
森の中の地面は固く、脚にダメージを与えていた。俺はともかく、ロベリアはついてくるのがやっとなぐらい消耗している。ねぎらいの言葉をかけたかったが、こっちも息が苦しくて喋れるほどの余裕がなかった。
枝は腕を裂き、飛び散る小石は肌を掠める。血が出る感覚は気にならなかった。それほどまでに焦りと恐怖が頭の中で走り回っていた。
息も絶え絶え、腹部の痛みに耐えれなくなってきた頃、暗かった森が進むごとにだんだん明るくなってきた。それはこの森を抜けれることを暗示していた。
希望が見えた途端、真っ暗だった将来のビジョンが目の前に広がった。森を抜けたら、どこか住み込みで働いてみようか。アオイが言ってたみたいに冒険者にでもなってみるか。
何でもいいからロベリアと一緒に生きていきたい。ふたり一緒なら、たぶん俺たちは元気に暮らせるだろう。夢を胸に大きな一歩を踏みしめた。
だがその時、何者かに横から突き飛ばされ、ロベリアの手と俺の手が離れてしまった。硬い地面に叩きつけられ、痛がる間もなく胸ぐらをつかみ上げられる。痛みに顔を歪めながら、自分たちを引き裂いたそいつの顔を睨みつけた。もう森はそいつの顔がはっきりとわかるほどに明るかった。
そいつは老人だった。必死に胸ぐらを掴み上げる手を殴りつけるがいたがる様子もなく、それどころかさらに力を強めてきた。明らかに老人が出せる力ではない。
だが希望は一筋見えた。追手が一人なら俺を囮にすれば逃げることができる。
しかし彼女は一人で生きていけるのか、疑問がその行動を塞いでくる。
俺はこのときの疑問が、彼女とともに生きたいという傲慢な願いが形を変えていただけなことに気づいていなかった。
「離せよぉ……おいっ……!」
「そう言われて離すやつがいるか、間抜け」
老人は案外若々しい声でそう答える。男の注意が完全に俺に向いていることを確認した俺は大きな声で叫んだ。
「ロベリア、目閉じて走れっ!」
それを聞いた男の注意が一瞬ロベリアに逸れる。隙を見逃さず、胸元に隠していた閃光弾をそいつの顔に叩きつけた。閃光弾は光とともに破裂し、俺の指を吹き飛ばした。
「いってぇ……!」
閃光弾の光をまぶた越しではあるが至近距離で見てしまったので視界がない。俺は右手が焼けた痛みに耐えながら、その場に立ち尽くすしかなかった。
そんな中、無事な左腕を誰かが掴まれる。ロベリアの手だと思ったが、彼女とはまったく違う硬い感触だった。
痛みに気を取られていた俺は抵抗もできず、そのまま引き寄せられる。そしてそのままの流れで胸に強い蹴りを喰らい、バキッと嫌な音が出る。肺が潰れ、うめき声が勝手に口から漏れ出した。
地面に叩きつけられ、さらに胸を思いっきり踏みつけられる。次は口から血が吹き出し、あたりに飛び散った。
「がぁっ!うぅ……!」
「ヒュウガっ!やめて、これ以上ヒュウガを傷つけないで!」
「お嬢様、申し訳ありませんがその頼みは聞けません」
ロベリアの訴えも虚しく、そいつは痛みに悶えていた俺を横から蹴飛ばした。体が転がりうつ伏せの体制になると、次は吐瀉物を吐き出すように口から血を吐いた。鉄の味が口の中にこびりついていくのがいやにわかった。
血の嘔吐を続ける中、忌々しい声が前方から聞こえてくる。這いつくばりながら回復してきた眼で、咄嗟に目の前を見た。
自分の目が回復したことを後悔しすることも知らずに。
主人がロベリアの腕を強く掴んで逃げれないようにしながら、口の端を吊り上げていた。ロベリアは震えながら涙を流し、振り絞るようにして声を出した。
「ヒュウガ……わたし、ごめん……!」
「違う!元はと言えば俺が……!」
謝り合うロベリアと俺。それを嘲笑うように男は俺の残った左手を踏みにじる。左手からはゴリゴリと嫌な音が上がり、骨がゆっくりと潰れる感覚が脳にはっきりと伝わってきた。
「うっ、あぁっ……やめろっ……」
「ふん、使用人風情が勘違いするからそうなる」
主人はそう鼻で笑いながら、ロベリアの腕を強く握る。ロベリアは痛みに顔を歪めたが、声は出さなかった。その光景は俺にとっては今まで受けた攻撃よりもよっぽど苦痛だった。
なけなしの力を振り絞り、立ち上がったところを、思いっきり蹴られる。グシャッと鼻が潰れ血が吹き出した。
もう打つ手がない。行動の一手一手が全て封じられていた。
「ヒュウガ!」
「お嬢様はこちらに来てはいけませんよ。貴女には別の役目があります」
「役、目……?」
役目と言う言い方に引っ掛かる俺をよそ目に、男は手でロベリアを制しながら、こちらに近づいてくる。機能をほとんど失った右手を地面について立ち上がり、なんとか応戦しよう左手を振り上げた。
男は腕を振りかぶり、俺の体を貫かんと拳を突き出してくる。俺は自身に起こることから逃れようと、目を閉じた。だが拳は俺には届かない。主人が止めるように言ったからだ。
「待てスラン。殺す前に種明かしをすると言っていただろう」
「これはこれは。失敬いたしました、ズーク様」
スランは軽く頭を下げ、横へとはける。そしてロベリアから手を離したズークはこちらへと歩いてきた。飛びかかりたかったが、痛みで歩くことすら出来ない。自分の無力さに強く唇を噛んだ。
「ヒュウガ、お前には目をかけてやってたというのに……使用人には破格の扱いのはずだったぞ」
「うるせぇ、ロベリアが幸せじゃなきゃ……意味ねえんだよ……」
「フン、戯言を。だが今回はそれでいい。よく頑張ってくれた」
「どういう意味だ……」
「今回のことは全て私が計画したことだ」
信じられない言葉が耳に入る。全て?どういう意味だ。
「お前たちが逃げるよう誘導しろとセーネに命令したのはこの私だ」
「なんでそんなことを……」
「それはスラン、お前が説明しろ」
「かしこまりました、ズーク様」
スランは薄い板を取り出し、それをこちらへと見せる。板には大量の人間が描いており、その一つ一つが動いていた。
人間たちの右下にはこの国の貴族の名前が書き記されている。それが何を指し示しているか、受け入れがたい現実を拒んだ。
なんの反応も示さない俺にしびれを切らしたのか、ズークは俺に真実を突きつけてくる。
「お前たちの逃走劇はただの見世物だったのだよ」
「……嘘、だろ」
「物語の主人公になってる様は実に無様で滑稽だったぞ、ヒュウガ」
絵の人間たちは一斉に笑いだす。腹を抱えながら笑う者、涙までも流しながら笑う者。千差万別の反応だが、嘲笑であることだけは共通していた。
ロベリアは膝から崩れ落ち、空虚な目でこちらを見つめていた。怒り、悲しみ、絶望が混ざり合い、涙が頬を伝う。俺はもうその涙を拭うこともできない。
「スランそろそろ終わりにしろ」
「最後はやはり炎ですかな?」
「あぁそれでいい。画面映えするように」
「えぇ、承知いたしました」
主人に軽く例をしたスランはゆっくりと、見せつけるように手の上で火の玉を作り出していく。
俺に死が刻一刻と迫る中、ロベリアはこちらへと来ようと立ち上がり、駆け出そうとする。ズークに腕を掴まれ阻まれようとも、手を必死にこちらに伸ばした。
「ハァッ!」
掛け声とともに火の玉が投げられ、ゆっくりと迫ってくる。普通は避けれる早さだが、ダメージを受けすぎた体は動かない。
それでも動けと体に命令したが、致命傷だらけの体はもう動かなかった。
「ヒュウガっ!」
ロベリアの叫びも虚しく、火の玉は俺の中に入り込んで行く。そして轟音が響き、同時に俺の体は発火した。
「あっ……がぁ……!」
全身が内側から焼かれ、声にならない声が絞り出される。熱い、熱い、熱い。痛みから逃れようともがこうとしたが、体は動かない。炎が暴れる感覚をただ受け入れるしかなかった。
内臓が焦げ、骨はゆっくりと灰になっていく。それがわかるほどの感覚はないはずなのに、なぜか鮮明に感じられた。
「ごっ……がっ……ぁ……」
酸素を求めて必死に呼吸しようとするものも、肺が焦げてそれも満足にできない。唯一無事な脳だけが勤勉に働き続け、痛みを報告し続けていた。
「お父様、もう逃げたりなんかしないから、逆らわないから!ヒュウガを殺さないで!」
「フン、もう遅いわ」
ロベリアは涙を流しながら懇願する。最後に見るロベリアの顔が泣き顔なんて嫌だ。そう思っても、もはやこの現実を変えることは不可能だった。
結局俺は何も変えられなかったんだ。ロベリアの力にもなれず、それどころか心に深い傷痕を残した。最低最悪の男だ、愛する女を誰よりも悲しませるなんて。
「ヒュウガ……嘘よ……こんなの……」
「おいスラン、たしかに苦しむ様は面白いが派手さとは程遠い。他にもっといいのはなかったのか」
「見世物としてはこちらのほうが良いと思ったのですが……失礼しました」
視界はだんだん暗くなっていき、声も遠ざかっていく。俺はもうすぐ死ぬのだろう。なぜかとても冷静だった。
ロベリアとずっと一緒にいたい。叶わぬ願いを胸に抱きながら、静かに終わろうとした。
しかしその時、大きな声が頭に響く。
「中学生ぐらいにしてはよーく頑張ったな。後はオレに任せろ!」
その声はなぜか焼けて出ないはずの俺の声だった。
暗くなっていく視界にはあっけにとられるズークとホロス、そして驚嘆の表情を浮かべるロベリアがいた。




