生を終えた先にあるもの
何故今を生きているのだろう。
生を終えたら何があるのだろう。
僕は知りたい。
ただそれだけだ。
今を生きる誰もがこの先を知らない。
人々は想像する。
哲学と宗教は同じだ。
僕の気持ちや考えが肯定されるとは思っていない。
でも否定される筋合いもない。
だから僕は声に出さないで心に秘める。
僕が今を生きる理由はない。
だが勝手に死んでもいい理由もない。
自ら死ぬにはお金がかかる。
自分の死後、尻拭いをしなくてはならない人々が
確かに存在する。
お金もなくて理由もないなら死んではいけない。
最後まで生きなくてはならない。
人は死ぬとき無意識に生にしがみつくらしい。
死ぬ瞬間は苦しみだから。
どんなに死を望んでいても
その場の苦しみから解放されたくて
生に手を伸ばしてしまうのか。
苦しみを乗り越えた先にあるのは救いか。
それとも新たな苦しみか。
どんなに生を望んでいても
死を受け入れなくてはならない人は
どんなに無念だろう。
出来ることなら僕の寿命を分け与えてあげたい。
もしこの世に神がいて天国と地獄が存在するのなら
きっと僕は永く生きるだろう。
神に愛されていないだろうから。
生を与えられて終えるとは何を意味するのか。
死とは一体なんなのか。
今を生きている限り答えを出せない一生の謎
それでも僕は考え続け想いを馳せる。